チームの先頭に立ち、行動で示したキャプテン(土浦湖北高校OB 田中海斗インタビュー)
関東大会出場というレベルの高さに惹かれ土浦湖北へ
――野球を始めたきっかけについて教えてください
いとこが全員野球をやっており、元々自分だけは違うスポーツをやっていました。親戚で集まる時も皆で野球をやっていて、自分は上手くできなかったため、上手くなりたいと思い野球を始めました。
――高校を選んだ決め手は何でしたか?
最初は自宅に近いところの高校でいいと思っていました。そんな時に土浦湖北高校の監督が試合を観に来てくれたり声をかけてくれたりして、自分が入学する直前に卒業した代が春に関東大会に出場していたということもあり、レベルも高いということで入学を決めました。
秋の敗北を機に目標を甲子園出場に上方修正
――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。高校時代に掲げられていた目標について教えてください
自分たちと入れ替わりで卒業していった代は強かったのですが、1個上、2個上の代は県大会で勝ち上がれていませんでした。自分たちの代は強い代になりたいということで、県立高校で1番になるということを目標にしていました。
県立一番という目標を掲げて挑んだ秋大会は負けてしまい、その敗北から目標をもっと高く持とうということで甲子園出場という目標を掲げて練習していました。
――甲子園優勝を目標としていた当時の印象に残っている練習などについて教えてください
野球の練習がキツいというのはチーム皆が同じ感想だったと思いますが、中でも自分たちはアップがキツかったです。雰囲気などがダメだったりするとすぐ監督にやり直しと言われてしまいました。
最初は大回りというグラウンド2周半を速いスピードで走るメニューをやるのですが、声出しなど外から見た感じがダメだったりするとすぐやり直しと言われて、それを3,4回やらされたりすることが夏でも関係なくあったので、それが一番キツかったです。
――ちなみにそのアップは最長で何時間くらいでしたか?
1時間半くらいはやったことがあったと思います。アップ時間が元々長くて、全てのメニューで40~50分の長さで、所々でやり直しと言われるともっと長くなっていました。とりあえずアップを乗り越えてしまえば……というところがありました。
チームが仕上がってきた中での甲子園中止
――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
例年だったら甲子園があって、それに向かってやっていくというのがどのチームも普通だと思うのですが、その甲子園がなくなるかもしれないとなった時に不安がよぎりました。
秋に負けた分、夏しかなかったので、そこに懸けて練習していました。練習試合でも勝ちきれなくて上手くいかないことも多かったのですが、最終的にはいい感じにチームが仕上がってきて「夏はイケる!」ってなった時に甲子園がなくなってしまいました。それを監督から言われて、「甲子園がなかったらやる意味があるのか?」ということは正直思いました。しかし「ここまでやってきたから最後までやり切ろう!」という雰囲気にチームがなって、何とか最後までやり切ることができたと思います。
自分たちの立ち位置を知るいい機会となった代替大会
――そんな中各地で代替大会の開催が発表されましたが、大会の開催を聞いたときの心境を教えてください
秋に負けて一冬越えて、その先には普通なら春季大会があるじゃないですか。でも春大会もなくて、自分たちが今どのくらいの立ち位置にいるのかということを知れていなくて、そういうことを知るのにもいい機会だから優勝を目指してやっていこうということになりました。今思えば、独自大会はあってとても良かったかなと思います。
――田中さんは主将を務められていたとのことですが、代替大会へ向かっていくにあたりチームメイトへかけた言葉などはありましたか?
自分はキャプテンなんですが、キャプテンらしいキャプテンではなかったと思います。なので声をかけるといったことはあまりできなかったのですが、チームの気持ちが落ちているときに一番最初にグラウンドに行って、一番最初に準備をするなど、言葉はあまり上手ではないので、自分が先頭に立ってやっていくということをしていました。
――茨城県では代替大会が準々決勝までで終わってしまいましたが、それに関して思ったことなどはありましたか?
優勝までは決めたいと思っていましたが、例年なら最後に勝って終われるチームは1チームしかない中で、大会が途中で終わったこともあり最後に勝てて終われたのはそれもいい思い出なのではないかと思います。
あの夏を取り戻せプロジェクトで区切りのいい終わりを
――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
最初はこのプロジェクトを知らず部員から教えてもらいました。自分たちはベスト4で終わったため不完全燃焼ですし、1位じゃないのに甲子園に行っていいのかという思いもありましたが、甲子園でできることはなかなかないことだと思いますし、甲子園でできるのならやりたいなという思いです。
あの夏は最後にちゃんとした形で終われなかったので、最後に皆で集まって区切り良く終われるのかなということで、とても嬉しかったし実現させてほしいという思いでした。
――当時のチームメイトの皆さんとこのプロジェクトの話を聞いてやり取りなどはありましたか?
皆からは「絶対出るでしょ」という感じで言われて、自分もそう思っていたので迷いとかはありませんでした。チームが最後に中途半端な感じで終わってしまったので、甲子園で最後に野球をすることを皆やりたいと言っているので、いい終わり方なのかなと思いました。
――このプロジェクトでの目標について教えてください
自分たちの代は全員夏の甲子園がなかったので、勝ったチームの1人でも多くが甲子園でできるように協力していきたいと思います。
――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
甲子園でやれるように皆さん応援よろしくお願いします。
頑張るぞ!
お知らせ
これまで月曜日と木曜日の週に2回投稿してまいりました選手へのインタビュー記事ですが、今後は毎週月曜日の週1回の投稿となります。
今後は選手へのインタビュー記事だけでなく、新たな記事の企画も準備しておりますので、是非楽しみにしていてください。
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