BAPTISM~2024.11.4『宮崎有妃vs上谷沙弥』~
はじめに
この時私は、歴史的光景を目撃したのかもしれないと感じた。
WAVE所属の狐伯と、スターダム所属の上谷沙弥が並んで、それぞれの団体の決め台詞をコラボレーションしていたからだ。
2024.7.14、プロレスリングWAVE後楽園ホール大会。
約1ヶ月間にわたり行われたWAVEのシングルリーグ戦・『CATCH THE WAVE 2024』は、スターダムから参戦した上谷沙弥の初出場初優勝で幕を閉じた。
開催期間中、スターダムのサイン会で直接ファンから中傷される被害を受けながらも、WAVEマットでは外敵である上谷の存在は所属やレギュラー参戦と肩を並べるくらい、彼女の存在は受容されていった。
ほんの1年~2年前であれば、WAVEとスターダムの選手が隣り合って決め台詞で締める展開はおろか、スターダムの選手がWAVEに参戦することなんて予想すら出来なかっただろう。
何故ならば、WAVEとスターダムの間には深く長い河が流れていたからである。
上谷が優勝する丁度2年前(2022年7月)のことだ。
『CATCH THE WAVE 2022』優勝を果たし、団体最高峰のRegina de WAVE王座を獲得した鈴季すずは、スターダムのシングルリーグ戦・『5☆STAR GP』参戦が決まっていた。
WAVE王者としてスターダムマットに上がることとなった鈴季すずに、WAVEの創業者であるGAMIは檄を飛ばす。
自団体の王者が他団体で負けることはあってはならない。
ただ、この認識以上に、WAVE側がスターダムに対抗意識を持っている事が窺えた1シーンであった。
その関係性が雪解けに至った要因は、今年の春にスターダムから契約を解除された創業者の存在が大きかったのだろう。
誰しも口には出さないけれど、彼が去って以降、WAVEとスターダムは驚くほど急接近していった。
それまでは極力他団体と絡む機会も少なかったスターダムが、他団体との全方位外交に舵を切ったことも影響したのかもしれない。
その象徴的事案こそが、WAVEのシングルリーグ戦に参戦した上谷沙弥であり、八神蘭奈だったと私は思う。
誤解を恐れず言ってしまうと、女子プロレスファンの中で、スターダム所属というだけで選手に拒否反応を示す者も過去に何名か見てきた。
でも、上谷や八神は試合を通じてそういう周囲の空気を変えてみせたし、WAVEでそのような批判意見を唱える者は(私が見る限りでは)いなかった。
外敵である上谷が優勝しても、会場は多幸感に包まれ、上谷の入場シーンに憧れる先輩レスラーまで生まれたほどである。
それは、上谷沙弥が見せた試合の熱量だったり、表情の豊かさだったり、それらを否定せず受容していったWAVEやファンの存在だったりが大きいと私は感じている。
このいずれか一つでも欠けてしまったら、素敵な光景を見ることなんて出来なかっただろう。
メインイベントを終え、リーグ戦の表彰式に移った際、WAVEのGAMIから上谷の次回参戦について言及がなされた。
波女になった者は、宮崎有妃が保持しているRegina de WAVE王座への挑戦権が与えられるからだ。
その舞台は、2024.11.4後楽園ホール大会。
WAVEが次に行う後楽園大会にタイミングを合わせた結果、夏にリーグ優勝を果たしてから王座挑戦まで、約3ヶ月半以上も期間が空くことになった。
ただ、8月に入ればスターダムでもシングルリーグ戦・『5☆STAR GP』が開幕する為、このインターバルの長さはタイミング故に致し方ないと私は思う。
充実した表情で語る上谷に対し、シングル王座を保持している宮崎有妃はこう返した。
私はこの時、想像すらしていなかった。
シングル王座挑戦まで1クール以上空いたスケジュールと、「WAVEには広田も宮崎もいる」という発言が、王座戦当日までに重要なエッセンスとなっていくことを…。
優勝から2週間後のヒールターン
上谷がリーグ戦優勝を果たした僅か2週間後、衝撃的な知らせが舞い込んできた。
2024.7.28スターダム札幌大会で、上谷が突如ヒールレスラーに転向したのである。
2024年6月の国立代々木競技場第二体育館大会で【最終敗者以外全員ユニット強制脱退マッチ】に敗れた上谷は、一人『Queens Quest』の看板を背負うようになった。
その後、本隊に近い舞華達ともタッグを組む機会が増えていたが、その舞華に対し、自身がサイン会で浴びせられた「お前を泣かせてやる」という言葉を用いて裏切るという、まさかの展開…。
悲しい事件や他団体で得た栄誉を経て、スターダム本隊のエース格に上がっていく機運を感じていた選手が、このタイミングでキャリア初となるヒール転向を果たした急展開に、衝撃を隠せない者は多かったように思われる。
だが、不思議なもので、彼女がヒールに転向してから、注目度と人気は更に高まっていった。
ヒール転向直後に迎えた『5☆STAR GP』では、優勝決定戦まで駒を進め、因縁が生まれた舞華と激突。
惜しくも試合には敗れたものの、舞華からは「今まで戦ってきた中で、お前今日一番イキイキしてんじゃねえか!」と言われるほど、上谷は以前よりも充実していた。
ワンダー・オブ・スターダム王座を約1年4ヶ月・防気がする衛15回を記録した絶対王者時代よりも、彼女の注目度は増していた気がする。
それでいて、元来持ち合わせている表情の豊かさは、悪の道に進んでも留まることを知らない。
ヒールになってから自身のファンを【しもべ】と呼び始め、彼女のことを【沙弥様】と呼ぶファンも増えていった。
ヒールレスラーとして着実に人気を高めつつある上谷沙弥であったが、ヒール転向前に決まっていた予定が一つだけ残っていた。
前述したRegina de WAVE王座戦だ。
『宮崎有妃vs上谷沙弥』
優勝決定戦以来となる上谷沙弥のWAVE参戦は、ヒールターンを経て約3ヶ月半振りになる。
この一点が気になった私は、注目興行がひしめき合う2024年最後の三連休最終日を、後楽園ホールで過ごすことにした。
今回の『宮崎有妃vs上谷沙弥』の感想を語る上で、個人的に幾つか踏まえておきたいポイントがある。
誤解を恐れず言ってしまえば、今回の試合に【所属vs外敵】のタイトルマッチで生まれるバチバチした敵対心や緊迫感といったものは皆無だった。
しかし、ヒールレスラーとしての上谷沙弥を知らないWAVEや宮崎有妃が、独自の世界観を崩すこと無く上谷に対峙したことで、スターダムでは実現できないような光景や、今の上谷が見せない素顔を暴くことに成功したのである。
その結果として、【所属vs外敵】のシチュエーションで想起されるものを超える試合が誕生した。
王者である宮崎も、上谷を外敵と見なして迎撃するのではなく、「業界大手のヒールユニットに、団体の個性を怯まずぶつけていく」一点を貫き続けた。
その姿勢は、入場シーンから始まっていた。
メインイベントの王座戦の煽りVTRが終わると、上谷がヒールターン前に使用していた入場曲『Sky Dance』が会場に流れる。
王座戦の場合、挑戦者から先に入場するのが通例だ。
今回の挑戦者である上谷は先入場になるが、入場曲は既に新しいものに変更していた為、『Sky Dance』は久々に聴いた。
ただ、他団体参戦の場合(スターダムに限らず)前の入場曲が流されるパターンも極稀に存在している。「今回もそのパターンなのだろう」と私は理解した。
しかし、登場したのは何と、王者である宮崎だった。
上谷の入場シーンをコピーする気合いの入れようは、7月に王座戦が決まった時、宮崎が口にしていた憧れでもある。
その後、今の上谷が入場した事で、リーグ戦優勝~王座挑戦まで約3ヶ月半も空いたインターバルによる対比を感じさせることになった。
試合の方向性を決定付けたのは、王座戦の記念撮影を終え、両者が向かい合ったタイミングだろう。
上谷は舌を出して挑発すると、宮崎は上谷の手を掴んで人差し指を舐め始めたではないか。
冷静を装っていた上谷の表情が途端に崩れ出していく。
ここから、宮崎の独壇場が始まった。
前身の『大江戸隊』から改称する形で今夏に発足したスターダムのヒールユニット『H.A.T.E.』。
メンバーで唯一『大江戸隊』在籍経験の無い上谷は、謂わば新ユニットに生まれ変わったことを象徴する存在だと言えよう。
そんな顔役である彼女が、宮崎から恥ずかし固めをかけられそうになったり、人体浮遊の無茶振りに巻き込まれたり、ハードコアマッチに引き摺られたりしている。
これがスターダムのリング上で行われていたら、売り出し中の上谷や『H.A.T.E.』のキャラクターやイメージの崩壊にも繋がりかねない内容だったと私は思う。
しかし、この内容が成立したのは、『CATCH THE WAVE』優勝当時にWAVEの色に染まろうとした頃の上谷しか知らない選手やファンがいる、WAVEの舞台だった事が大きい。
そして、前身の『大江戸隊』時代よりも愛嬌やコミカルな部分を削り落としたと思われた『H.A.T.E.』の面々が、WAVEの独特なノリにも引くことなく染まることが出来る度量を見せた事で、私はこのユニットの事が好きになってしまった。
洗礼をものともしない姿に惚れる…!
ヒールレスラーやヒールユニットの振る舞いに対しては総じてブーイングが浴びせられるものだが、セコンドの介入行為や無法ファイトではなく、「人体浮遊で浮遊しなかったから」、「恥ずかし固めに応じなかったから」という理由でブーイングを浴びるヒールレスラーを私は初めて見た(笑)。
試合中盤、宮崎が持ち出したラダーを上谷が使って攻撃した際、宮崎が頭部を負傷。
流血に追い込まれるも、宮崎の優勢は変わらない。
強い独自色を放った前半から一転して、後半は王座戦らしい試合展開に突入していく。
上谷のセコンドについていた渡辺桃が、レフェリーを暴行して試合に介入するも、宮崎がラリアットを喰らわせる。
即座に宮崎も、セコンドにいた櫻井裕子を使って反撃。
まさに、【目には目を、歯には歯を】の精神だ。
その後、宮崎がムーンサルトプレスを投下するも、上谷は間一髪で肩を上げる。
即座に外道クラッチでフォールを狙ったが、これもカウント2。
宮崎が試合を優位に進める状況で、上谷が反撃する。
上谷が宮崎に飛びついてフランケンシュタイナーを決めると、これが3カウントに。
かくして、上谷は第22代Regina de WAVE王座を獲得し、自身のキャリア初となる他団体の王者に輝いた。
外敵に団体の至宝が流出する事態ではあったものの、会場に落胆するような空気は皆無。
このシチュエーションではあまり見られない、珍しい光景だ。
それでも、会場中は寧ろ「良い試合を見れた」という満足感に溢れていた。
この時私は、歴史的光景を目撃したのかもしれないと感じた。
あの夏、後楽園ホールで感ぜられた空気と、殆ど同じ匂いを…。
まとめ
私は、プロレスで呼ばれるベストバウトには2種類あると考えている。
1つは、年間ベストバウトに入るような激闘。
もう1つは、何年経っても忘れられない、語れる内容の試合。
私の中で、今回の『宮崎有妃vs上谷沙弥』は後者にあたる試合だった。
万人が認めるようなベストバウトと言うよりは、刺さった人のプロレス感を変えてしまう程、年月を経ても効いてくる。そんな試合。
だから私はこの試合の事が忘れられないし、素晴らしいと思ったから今回noteを書いている。
何より素晴らしかったのは、WAVEの関係者も手放しで試合を楽しんでいた光景だろう。
仮にもし、選手や運営側が「こういうことも出来るんだ」とひけらかす素振りを僅かでも見せてしまったなら、きっと、この試合の良さは失われてしまったはずだ。
冒頭で述べたように、WAVEとスターダムの関係性は今年に入るまで険悪な代表例そのものだった。
その関係性を良化させる懸け橋になったのが、ベビーとヒールの二面で人を惹きつけた上谷のパーソナリティーと、彼女を拒否せず受容したWAVEの磁場が大きい。
だって、参戦先の団体関係者から「女子プロレス大賞取ってほしい」と応援される外敵なんて、そうそういない気がするもの。
対戦した宮崎と上谷。
双方の所属団体であるWAVEとスターダム。
その全てが、器量の大きさを見せた事で生まれた奇跡。
本当に素晴らしい試合だった。
1人でも多くの人に知られてほしい一戦です。
※関連項目