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Roots~2024.11.17『齋藤彰俊vs丸藤正道』~


絶望の時代で分かってるんだよ
愛だけじゃ世界は救えないことも
そぅ でも
愛で救われた事実を人は忘れられないんだ

UVERworld『Roots』

はじめに

私が齋藤彰俊というプロレスラーを知ったのは、2009年6月のことだった。

高校2年生だった当時の私はプロレスファンでは全く無かったけれど、土曜の深夜に入ったニュース速報と、翌朝の訃報を見て胸が痛んだ。


両親が寝静まった土日の深夜に、電気を消した部屋で密かにテレビ番組をザッピングするのが好きだった私は、その過程で深夜のプロレス番組を見ることがあった。

小橋健太の逆水平チョップ、棚橋弘至のシングルマッチetc…。
そのダイジェスト映像の中で見たことのある、緑色のガウンとコスチュームを見に纏っていた選手が亡くなった。

自分の知っている芸能人や有名人が亡くなる時は大体悲しいものだけど、当時は放心状態だった記憶がある。
大してプロレスにハマっていない当時の私でさえ、そんな感覚だったのだ。プロレスファンの心中は計り知れない。


そのニュースが伝えられる中で、大きな身体を小さくして、涙ぐみながら三沢光晴に詫び続ける男がいた。


試合中の事故だったのに、この十字架を背負うと決意表明する彼を見て、更に胸が痛んだ。

あれが、私が齋藤彰俊を知った初めての出来事である。




2024.11.17、私は愛知県にあるドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)に足を運んでいた。


この日行われる、齋藤彰俊の引退試合。

私がテレビで齋藤彰俊を知ってから15年以上経った。
人生とは面白いもので、 まさか名古屋まで齋藤彰俊の引退試合を観に行くことになるなんて、全く予想もしていなかった。


この15年間で、私はプロレスのことが好きになったし、プロレスリング・ノアも好きな団体になった。

社会人になるタイミングでプロレスにハマり始めて、齋藤彰俊の試合も現地で見ることが出来た。


今回名古屋に向かったのは、好きな団体のビッグマッチということと、「これを見逃したら自分の中で後悔してしまう」と思ったこともあるけれど、それだけではない。

私の中で、印象に残っている齋藤彰俊の勇姿がある。
それは、2024年の齋藤彰俊。つまり、今だ。


私は『平成維震軍』時代の齋藤彰俊を知らないし、プロレスファンとして前述の事故を見ている訳ではない。
それでも、私の中で思い入れを強く見てしまう齋藤彰俊の姿は、『TEAM NOAH』時代の活躍が大きい。

そんなカッコいい彼の最後を、どうしても見ておかないと後悔する。
だから私はここにきたのだ。


『TEAM NOAH』と世界ヘビー級王座

今回の引退試合について書く前に、私の中でどうしても触れておきたい項目がある。

『TEAM NOAH』と世界ヘビー級王座のことだ。
この2つは、2024年の齋藤彰俊を語る上で外せないトピックになったと私は考えている。


近年はモハメド・ヨネやキング・タニー(谷口周平)と共に『ファンキーエクスプレス』の一員ではあったものの、2022~2023年頃から解説席に座る機会が増えていった齋藤彰俊。
熱量の高い解説が好評を博す一方、試合に組まれる機会は段々と減っていった。


そんな中、2024年1月に潮崎豪が新ユニット『TEAM NOAH』を発足させた。


「今のNOAHには闘いが足りない」という理由で結成された『TEAM NOAH』に対し、当初は「宙に浮いているユニット無所属をかき集めただけだ」とか「イマイチ乗り切れない」なんて反応も聞かれた。

でも、『TEAM NOAH』結成によって水を得た魚のようにイキイキとし始めたのが、他でもない齋藤彰俊であった。
新ユニットに属したことで最前線で戦う場が得られただけでなく、『REALZERO1』や他団体選手との対抗戦にも積極的に出向く機会が増えたのだ。


その象徴的な事例が、2024.3.31に行われたZERO1靖国神社相撲場大会だったと思う。

田中将斗らを始めとした『REALZERO1』とのユニット抗争を経て、齋藤彰俊はクリス・ヴァイスの持つ世界ヘビー級王座に挑戦することになった。


王者の厳しい攻めに苦戦を強いられた齋藤であったが、試合終盤、奥の手であるデスブランドが見事クリスに決まり、王座戦に勝利したのである。


この試合に勝った齋藤は、第33代世界ヘビー級王者に輝いた。


この時、写真を投稿した私に対して、幾つかのアカウントからこのような指摘がなされた。

「シングル初戴冠ですね!」


私は信じられない思いで、齋藤彰俊のWikipediaの項目を見てみた。何と、本当にこれがシングル王座初戴冠というではないか。

何気なく撮っていた写真は、私にとって忘れられない1枚となった。

この時いただいた「カッコいい」という反応を見て、私は思った。
「齋藤彰俊は、今が一番カッコいいんじゃないか?」と。


シングル王座初戴冠と思えぬ佇まい。
その記念すべき光景を至近距離で見れたことが、私は本当に嬉しかったんだ。


その後、齋藤彰俊は3度の世界ヘビー級王座防衛に成功。


2024.7.13日本武道館大会で4度目となる世界ヘビー級王座の防衛戦に臨むも、潮崎豪に敗れ王座陥落…。


この試合後に齋藤彰俊はリング上で引退を表明したのであった。

突然の引退宣言に、どよめく場内。
しかし、大舞台で潮崎豪とベルトをかけて対戦した直後の引退宣言は、2023年まで置かれた状況を思えば非常に素晴らしく、出来過ぎと言っても良い最高のシチュエーションだった。


そこから引退試合まで、残り4ヶ月の日々はあっという間に過ぎ去っていった。


聖地・後楽園ホールでの試合も、『TEAM NOAH』として動いてきた『LIMITBREAK』での試合も、遂に最後を迎えてしまった。


気がつけば、齋藤彰俊の試合は、引退試合当日の1試合を残すのみとなった。

その最後の試合は、丸藤正道とのシングルマッチ。
一度NOAHから契約を切られてフリーランスになった後、NOAH再入団のキッカケにもなった相手を、今回は齋藤から指名する形で実現した。


「もう、次の大会で最後なんだな」

そう考えた時に、私は無性に名古屋まで試合を観に行きたくなっていた。


気がつけば私は、当日の往復新幹線と大会のチケットを確保していた。
11.17、現地に行かないと自分の中で後悔が募ってしまう。そう考えたら、「行かない」という選択肢を取ることがどうしても私には出来なかった。

出費しても、頑張って稼げば良いんだ。
そう自分に言い聞かせた。


『齋藤彰俊vs丸藤正道』

迎えた引退試合の時…。

試合前、齋藤彰俊に対する声援が場内に飛び交う。この日の大会で、明らかに空気が変わった瞬間でもある。

いよいよ、引退試合の主役が登場する…。


後から入場してきた齋藤彰俊が持ってきたのは、事前にファンから寄せられたメッセージが掲載されたフラッグと、三沢光晴が生前着用していたガウンであった。


エモーショナルやストーリー性を狙っているのではなく、齋藤彰俊引退試合の舞台に必要なアイテムとして、自然と持ち出された三沢のガウン。

戦前、丸藤は「三沢さんを背負って闘う」と述べていたが、並々ならぬ覚悟を齋藤彰俊も示してきた場面で、私は涙が止まらなかった。


自身の周年大会でも涙を見せることのなかった丸藤が、試合前から溢れる気持ちを抑えることが出来ない。
私は今、凄まじい光景に立ち会っているのだと理解した。


「僕は、あの日以来、リングやコメントで三沢さんの話をしてこなかったんですけど、自分の人生の中で最初で最後、三沢さんを背負って闘いたいと思いました。だから、2対1ですよ。齋藤さん。三沢、丸藤 vs 齋藤彰俊です」


戦前、三沢光晴の存在にも言及していた丸藤であったが、試合内容は特段三沢というものを意識した立ち上がりにはならなかった。

丸藤正道に対して、己の全てをぶつけて挑む齋藤彰俊という構図は、郷愁や歴史ではなく今を紡ぎ出していた。


そんな齋藤彰俊に丸藤も反撃を開始。
四方のコーナーで逆水平チョップを浴びせるなど、容赦のない攻撃が牙を剥く。


試合中盤、丸藤が不知火を決めるも3カウントは奪えず。


齋藤彰俊も、強烈なエルボーとアイアンクロースラムで反撃する。


そして、渾身のスイクルデスで勝負をかけるも、カウントは2。


すると、丸藤が虎王を連発で叩き込んで流れが一変。

追い詰められる齋藤彰俊に向けて、観客から声援が飛んだ。


「彰俊!あの技を未だ出してないぞ!」


私はハッとした。そうだ、あの技が出ていない。

私の想起した技と、声の主が浮かべていた技は恐らく、2009年6月に試合が止まってしまった、あの技しか無い。
引退試合だからこそ、あの技が出ないまま試合が終わってしまう訳にはいかないのだ。


この声援が飛んだタイミングで、丸藤がエメラルドフロウジョンを投下。
丸藤の「三沢さんを背負って闘う」という戦前のコメントを象徴する、"2vs1"の強烈なフィニッシャーで3カウントを狙うも、齋藤も肩を上げる。


丸藤が齋藤を起こして、トドメを刺そうとしたタイミングだった。


齋藤が丸藤の背後に回って、バックドロップを決めたのだ。
この試合で必要だった一撃は、完璧な形で決まった。


しかし、この一撃を喰らってもすぐさま立ち上がった丸藤は、齋藤彰俊にローリングエルボーを発射。


最後は、叫ぶ齋藤を振り切るようにランニングエルボーバットを決めて、3カウント。


2009年6月、齋藤彰俊のバックドロップで止まった試合から約15年半…。
齋藤彰俊の引退試合は、彼のバックドロップから立ち上がる丸藤の姿を試合終盤に生み出した。

三沢を感じるシーンは最終盤だけだったかもしれないけれど、最終盤だったからこそ、技の意義と重みと深みは増している。

そんな攻防を生で観れた瞬間、私の魂は間違いなく震えたのであった。




まとめ

今回の『齋藤彰俊vs丸藤正道』は、見た人を愛で救うプロレスだったと私は思う。

プロレスで起きてしまった当時のショッキングな出来事に対して、プロレスという形式で、当時叶わなかった光景を見せることでしか果たせない役目がある。
私はこの試合でハッキリ実感した。


「あの日、三沢が立つことの出来なかった続きなのかもしれない」

最終盤の攻防に対する感想や指摘を見ていて、この引退試合に込められた愛で、救われた人はきっといたんだと私は確信した。


この試合に敗者はいなかった。
それを示すかのように、勝敗のついた一戦で試合を裁いた西永レフェリーは、勝った丸藤の腕だけではなく、齋藤彰俊の腕も同時に挙げた。さりげない所作だけど、粋が間違いなく詰まっていた。


引退セレモニーは齋藤彰俊の家族のみをリング上に招く形で行われた。
記念撮影に応じる家族の姿を見て、私の涙腺はひどく壊れた。

どんなにキツい言葉を浴びせられた時期にも、齋藤彰俊を支え続けたことに対する畏敬と感謝の念。
だから、笑顔で収まる姿を見て私は安堵した所もある。


この試合を見て救われた事実も、最後の最後までカッコ良かったことも、多分私は忘れないだろう。


名古屋まで観に行って本当に良かった。

本当に34年間お疲れ様でした…。

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