随想|サザンオールスターズとの出会い1990
kentaro fujitaは、事務職のかたわら、詩、エッセイを執筆、現在、Amazon Kindleで自身の執筆30年を記念した詩集『GROUND』を発売中。この公式noteでは、好きなひとや大切にしていることなど、誰の役にも立たないしょーもないことをお届け、たまーに、空を見たかいと、あなたのとなりで寄り添える姿になりたい。
サザンオールスターズとの出会い
サザンオールスターズを知ったのは、中学2年(1990年)の11月だっただろうか。
小学生の頃からの親友が、その兄の影響でサザンを聴いていた。サザンを勧めてくる親友に、「いい曲があったらカセットテープにまとめてよ」とお願いしてみたら、64分だったかな、快く1本作ってくれた。収録されていた曲は完全には覚えていないが、「勝手にシンドバッド」(1978年6月)から当時の最新作、アルバム『稲村ジェーン』(1990年9月)、シングル「真夏の果実」(1990年7月)までの新旧織り交ぜた名作がずらりと並んでいた。
覚えている限り振り返りたいが、「稲村ジェーン」から始まり、「フリフリ'65」「希望の轍」「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」と続いていた記憶があるが、明るいサザンが気に入った。あと、「C調言葉に御用心」や「BYE BYE MY LOVE(U are the one)」のようなポップソング、「いとしのエリー」「真夏の果実」「Ya Ya(あの時代を忘れない)」「メロディ(Melody)」「栞のテーマ」みたいなバラッドもあった。
今も思っても、ベストな選曲でさすがだと思う。私も自作の、カセットテープ、MD、CD-R、プレイリストは作ってきた。一方で1990年代までで作るプレイリストは、いつか完璧なものを作り上げたいと思ってしまう。完璧とは私自身の美意識ではあるが。
はじめて買ったサザンオールスターズのアルバム
翌年の2月頃、親友に初めて購入するサザンのアルバムは何がよいか聞いたところ、アルバム『タイニイ・バブルス』(1980年3月)が良いのではと、アドバイスを受け購入した。理由を聞くと、親友がCDを持っていないアルバムだった(後々聞くと『熱い胸騒ぎ』(1978年8月)と『タイニイ・バブルス』以外はCDでは持っていた。当時、なかなか起きれない朝、CDラジカセのタイマーが動きだし、まず電源がカチッと着く音、ボリュームがタイマー用にウィーンと動き、1曲目に収録されている「ふたりだけのパーティ〜Tiny Bubbles (type-A)」のギターが鳴ることがルーティンとなった。
最初に親友からもらったカセットテープほどではないと感じていたが、何度も何度も聴きまくった。また、親友から他のCDも借りて聴き漁る毎日を送っていた。歌詞カードを手に持ちながら、CDを聴き世界にどっぷりと浸かったのだ。あまり個人では買えるほどの資金もなかったが、親友には内緒でどんどん、アルバムやシングルの所有を増やしていった。
当時はネットもコピー機もなく、音楽雑誌も毎月購入できなかったので、別の友人宅で雑誌のバックナンバーを読んだりしたものだ。数ある音楽雑誌でも、「CDでーた」という雑誌が気に入っていた。分量も価格もお手頃だったと言える。
新作を手に入れるお話は、また今度。