約1年半、クラスから遠ざかっていた息子。
みんなが初めてやる「自然の家」の準備活動や少人数クラスの体育や国語算数などには抵抗なく参加できるようになった。
また、「自然の家」の準備活動で教室に戻った流れで次の時間の授業(道徳)や給食も教室で過ごせるようになった。
今週になり、息子は教室で授業を受けるうえで2つの悩みがあることを話してくれた。
① 「まだ一人で教室に入っていくことが不安。友達か担任に迎えに来てほしい」
⇒教室での授業に行くときには息子が普段いる相談室まで迎えに来てもらう対応をお願いした。
② 「具体的に何を勉強しているかわからないから不安」
⇒担任の先生に来ていただき、理科と社会の今の授業内容について説明してもらった。
そうそう。
そもそもこういう繊細さがゆえに学校に行けなくなった。
以前の私は、この繊細さの部分にだけ気が向いていた。
しかし、悩みがあるという時点で、「教室に戻りたい」「授業に参加したい」ということ。
~最近の私と息子~
❶息子が自分の不安を言葉にする
❷本当の気持ち(「やりたい」気持ち)を確認
※ここが大切な気がする!
❸一緒に考える(選択肢を持つ)
❹息子が決定する
※❷で「やりたい」に変換していると「作戦を立てる感覚」になる。
❺息子が実行する(息子の希望で協力することもあり)
❻できてもできなくてもいつも通り
こんな感じでできることが増えてきている気がする。
その中で学校に配慮をお願いしないといけないこともある。
その時、
過保護と思われるかな…
面倒な親と思われるかな…
お願いしてできなかったら申し訳ない…
以前はその感情に押しつぶされ、何度も涙を流し、できない息子を心の中で責めてきた。
今でもこのような感情はゼロにはならない。
しかし、それ以上に1番は、このような親の感情を「わかってほしい」
これが私のホンネ。
(参加している地元の親の会のアドバイザーの先生からどこかの学校でPTAが主催となって不登校や行き渋りの子の親の集いを行い、そこに先生方も参加したという話を聞きました。親のホンネに関心を持ってくれる先生に出会いたい。建前でわかったふりをされることが一番つらいし、余計にホンネが言えなくなるので…)
今は、このような感情は感じつつも客観的に「あ、きてるきてる。苦しいな~そりゃ苦しくもなるよね」とどこか冷静に受け止められるようになった。人間だもん。苦しくもなるよ。いいんだよ、苦しくなっても。
今日も、1限から登校していたが、前回参加できた理科に参加できなかった(参加する気満々だったが、迎えに来てもらう予定が来なかったら、急に不安になった)が、参加できなかった息子を責める感情には全くならなかった。息子と相談室で気楽に過ごし、次の体育はノリノリで参加。私は帰宅。
約束の時間に相談室に戻ると、社会の授業に参加していて、不在だった。
1年半ぶりの社会の授業に参加した。
何かができないから全てできないわけではない。
やるかやらないかは息子が決めること。
「できたかできなかったかでまわりは、何も変わらない」と実感し始めている息子。
うんうん。
給食、5・6時間目と教室で過ごし、友達と下校した息子は、徐々に学校にいる時間が減っている私を気にすることなく、むしろ教室での出来事を楽しそうに話してくる。
息子はそのうち必ず私にお役御免を突き付ける。
それまでは約束は破らない。
これが信頼であり安心になる。
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