子育てって一体なんだろう。1
子育てって一体何なんだろうと考えることがあります。
毎回自分の感じる事は違うし、きっとそれは積み重ねた年齢や経験によってまた変わってくるのだろうとは思うのですが。
子どもを育てるとしたら、日本人のお手本になっているのは多分、聖母マリアのような大和撫子のような人がいつも微笑んで怒らずに子どもと接している姿。
そんなの偶像でしかない、と分かっていても、そこまでなれない自分に絶望した父母は多いのではないでしょうか。
最近の子育て論では、子どもは未熟で全て教えなければならない存在として認識するのではなく、一人の人間として意思を尊重して育てましょうという風潮にあります。(叱らない育児というのは本当に叱らないのではなくこういう意味かと)
今までの家族の形は、祖父母と親が切々と正解がある事を叱って褒めて育てるのが一般的でしたが、新しい育て方を求められています。
保育者教育者でもその育て方の切り替えは難解なのに、そんなの無理でしょ(笑)と最初思いましたが、要は「この子はきっとこう思っている、正してやらなきゃ」というものを全て捨てればいいという事。(暴力系はNOですが)
1歳の子どもが皿を床に投げて遊んでいる、ご飯も床に飛び散った。これは説教タイムだ!と叱って正してどうすればいいかを教えていた昭和平成時代。
そうではなく、子どもが投げた→なぜ投げたのだろう?と投げた理由をひたすら探す。
子どもにも皿を投げたい時に投げる権利はあり、ご飯がどこまで飛び散るか見たい権利もある。まだ、投げたらどうなるか分からないのです。
実験したい、ワクワク。
一生懸命作ったご飯、しかも毎回こうだとイライラする気持ちはあって当然だし、保護者にはお疲れ様ですとしか言いようがないが、そこまでまだ子どもは汲めない。
(対応としては、気になっている気持ちを満足させる為に、投げて大丈夫そうなお皿と環境で思う存分投げさせてあげたり(その内満足して飽きます)、気持ちが落ち着くまではこちらがアーンして食べさせてあげたり等々。。。)
「実験したいならやればいい」というのは確かに今までになかったものでどこまでどうなのか不安もあるでしょうが、ある程度付き合っていくとどうすれば気持ちが落ち着くのか分かるようになってきます。
「やりたいと思う事を安全な環境で試すのを手伝う」、それが子育てだと今は感じるようになりました。
ご飯は綺麗に全部食べようね、靴は脱いだら揃えようねなどマナーを教える事も大事ですが、そこは教育機関と連携すれば、理解できる年齢になれば出来るようになる。
だけど、日々のそのやりたいという意思を叶えてあげられる、一番援助出来る位置にあるのは家族で。
このやりたい気持ち(興味関心)の芽生え→やってみてどうだったか学ぶ→次はこうだと自分で仮説を立てる→もう一度やってみて結果を考察というのが、後々の学習態度意欲にものすごく繋がってきます。
自分で考え行動するという事にも繋がってきますし、それが対人であればコミュニケーションを学ぶいい機会です(喧嘩の仲裁を簡単に親がしない、正解を押し付けない)。
今よく求められている非認知能力にも繋がってきます。
乳幼児は安全基地を元に探索活動をするので、家族の元でやりたい事探しが出来るのは一番いいかと。(保育園なら保育士と)
教えることはやらなくていいんですか??と質問が来そうですが、まず前提に大人側が本当にやった方がいい事とそうでない事を整理し直した方が良いかと。
例えば片付けなさいという事。生活習慣はきっちりつけたい、と思っていたとして、
幼稚園から帰った後に、手洗いうがいして着替えてカバンも片付けてなどは、帰ってきてからの一連の作業の流れとして定着しやすいです。
その後夕方ブロックで遊んで、ご飯前に片付けなさいとなった。でもまだ作り途中でどうしてもまだ作りたい、もしくはこのまま残しておいて後でまた作りたい。
そういう時は、時間に余裕があるのであれば30分程度伸ばしてみたり、作り途中の物はココ、と置くスペースを作ったりして、対応できます。
よく「片付けるのが面倒だからそんな事を言って嘘ついている」という方もいますが、そこは大人が一度それは本当に嘘をついているのかどうか自分の思いを考え直し、子どもを信じてみるのも手です。
まずは、そのやる気を削がない為に自分はどう努力したらいいのかなと考え、大人が柔軟な対応をすると子どもにも真摯さが伝わり、真摯な対応を返してきます。
生活習慣は遊ぶのを邪魔しない部分で練習できるように組み立てて、どこかで一つ出来るようになっていればその内他も出来るようになってきます。
割合で言うと、今までの大人の常識の8割型はやらなきゃいけない事減らしてもいいような気もします。
私たちも親や世間に教育されその常識を持っているので、常識を変化させるのは難しいと思いますが、一つ考えを変えてみると後はスルスルと紐が解けてきます。
これからの世の中を生きていく子どもたちには、これからに必要なものをカバンに詰めてあげたいですよね。
教える、という時代から、支える伴走者という時代へ。
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