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読書note No.27 下園先生 人間関係の疲れをとる技術 序章


今日も読書ノート、開いていきますね🤗

2021/01/27 27日目!

とてもためになる本を紹介します。
じっくり読んでいきたいと考えますので、小分けで紹介していきます。

<1book>
ー自衛隊メンタル教官が教えるー人間関係の疲れをとる技術
はじめに 序章
下園壮太
朝日新聞出版 2017年

<3point>
①とにかくがむしゃらに働くことを優先してきた我々日本人は、自分や他人が、本来は動物であり、疲れる生き物であるということを忘れ、理性と根性があれば、何でもできると勘違いしている部分がある。実は、「人間関係のトラブルと」と「疲労」は、双子の関係にある。自分が疲れている、と認識できない(したくない)の人も、「人間関係のトラブル」は無視できない。なんとかしたいと思っている。また人間関係は、疲労の悪化に強い影響力を持っているので、人間関係トラブルを小さくできれば、疲労全体にもかなりの効果を期待できる。しかも、人間関係トラブルも改善の効果は、個人的な疲れの軽減にしかも、人間関係トラブルの改善の効果は、個人的な疲れの軽減にとどまらない。不必要な人間関係トラブルが減れば、皆穏やかに過ごせる。穏やかな社会が作れれば、人々がより文明や社会の発展のほうに、エネルギーを向けることができる。元自衛官である私は、人間関係を改善することによって世界平和への貢献ができるのではないかと妄想している。

②現代人は、対人で疲れる以前に疲れている。そもそも人付き合いがめんどくさいものだ元気なときなら、そのめんどくさいことも何とかこなせる。しかしエネルギーが低下すると、「人間関係」が、大きな苦痛の種になってしまうのだ。もちろん、人間関係のあり方が変化していることも、対人関係の疲れに大きく影響している。一番大きいのは、「価値観の多様化」だ。現代の日本では基本的に衣食住の心配はなくなり、生活が豊かになった。経済の発展は、いろいろな選択ができる世界を可能にしてくれた。いわゆる「多様な価値観」が存在できる時代になったのだ。しかしそれは同時に、私たちに新しい負担も与えている。人との摩擦の機会を増大させていると考えることができる。
 現代人が人に疲れるようになってきた2つ目の原因は、「生の人間同士の交流が減っている」ことだ。生きる単位は、大家族から核家族へ、そして個家族へと変化した。以前は祖父母や多くの兄弟にもまれて育った。大変鬱陶しい部分も確かにあったが、いやがおうでも「人」に慣れることができた。人に慣れると、「人に対する現実的な期待」を持つことができるようになる。例えば、怖い人もいれば優しい人もいる。同じ人でも状況によっては違う反応をすることもある。ところが今は、様々な人間関係にもまれて育つと言う環境も、どんどん少なくなってきている。生身の人間に慣れていない若者が、そのまま大人になっていくと、自分の対応を人がどう感じるのかが予測できない。価値観が違うだけでなく、生身の人間と言うデータそのものが圧倒的に不足しているのだ。

③もともと人は「人が怖い」
そもそも人間は、生き物として「人を怖がる」と言う側面も持っているのだ。あなたの頭の中を、人類の始まりの時代にスイッチしてみて欲しい。今は想像もしにくいが、人が人を殺すことが当たり前の時代が、人類の歴史の中の、95%以上の時間が続いていたのだ。この「他者に対する警戒心」が、実は、今の私たちにも根強く残っている。いや、残っているというより、そのままだ。猛獣や他族に脅かされることもなく、食べ物が夜中でもコンビニで手に入る時代になったのに、である。
 「原始人メカニズム」により立ち上がる、人への恐怖感。これに、さらなる影響を及ぼしているのか、インターネットだ。原始人は、「回数と時間」で物事を決めるので、インターネットの情報は、無尽蔵だからこそ、偏った見方が強化されてしまう。原始人は「口コミや本音に重きをおく」ので、特に特定の相手に「敵意」がありそうな場合は、その行動の本心はどうなのかなどの「相手の内面に関する情報(いわゆる本音情報)」に強い関心を抱く。さらに「危険な目にあうのではないか」と言う危惧が根底にある場合は、ネガティブな情報ほど、伝達力を持ってしまう。また、原始人メカニズムには「期待と比較」と言うプログラムが備わっている。SNSは、このプログラムを過剰に刺激してしまう面を持っている。集団で生きることを選択した原始人にとって、命がけの作業への正当な見返りを確保する「期待と比較」というプログラムは、まさに生きるためになくてはならない昨日だったのだ。現代人でもしっかり機能してしまう。それも例のごとく命がけレベルのこだわりで。

<1episode>
 価値観の違い
例えば会社の「飲み会」。以前は職場の飲み会に誘われたら、「参加」が前提だった。今は参加を募る。出席か欠席か、選べるのだ。「出席が当たり前」と考える上の世代にとって、飲み会は、普段話せないことを気楽に表現し、わかりあうための大切な機会だ。しかし、若い世代は、勤務時間外はプライベート優先で、他の用事があれば欠席を選ぶ。どちらが正解でもない。同じ「飲み会」に対する価値観が違うだけである。「なぜ若い世代は平気で断るのか」「なぜ上の世代は飲み会を重視するのか」、その葛藤は、お互いの批判も含む。それはエネルギーを使うし、疲れるのである。

<1action> 
 ここまで、読んで、発想がすごい!と感じました。確かに、人間も動物です。生存本能があります。かつ、「快適によりよく生きたい」欲求もあります。それが、原始時代から、培われた、ほぼ意識しないレベルでの、感情というか、反応というかが、現代社会の「価値観の多様化」「インターネットの普及」「個の時代」の影響を受けて、人間関係の疲れを増長させているのかと、妙に納得してしまいました。疲れを意識して生活してみようを思いました。


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