本を、借りるんじゃなくて、買う理由


本を読むのが好きなのだけれど、読みたいものがありすぎて、全部は買えないってこともあるかもしれない。特に、読書が進んでゆくと、1冊2万円くらいする古典とかが気になり始めて、「これは気にが無いなー」と思ったりしている。

そうゆう時は、大抵図書館とかで借りてきて読んでいるのだけれど、この前、新しく買った本が「何だか既読感があるな」と思ったら、1ヶ月くらい前に図書館で借りて読んだ本だった時は自分でも驚いてしまって、「やっぱり買うのは大事かも」と思うこととなった。

買うのは、作者や制作に関わった方に敬意を払うためというのも、もちろんあるけれど、やっぱり一番大事なのは、「思い出せること、と読み返せること」だと思う。

1本が本棚にあれば、思い出せる

当たり前の話なのだけれども、部屋の本棚にある場合は、置いてある、というだけで目に入ってくるのだ。だから、「そうだ、あの時こんな本を読んだよね」みたいなものが別に言われなくても、思い出せたりする。そして、そんな風に背表紙を見るだけでも、どんどん記憶に定着していったりするような気がする。

それはキンドルも一緒で、暇なときに(移動の時間とかに)キンドルの中にある本をパラパラと確認するだけでも、何だか「そういえばこうだったよね」みたいなものが思い出せたりする。

そうゆう意味では、この本とこの本が関連づいているみたいな本の配置換えとかも楽しかったりして、電子書籍でもできるようになってくれれば良いのになと思ったりします。


2本はなんども読み返して、いろんな読み方ができるから

もうひとつ大きいのは、長期的な視野で見た時に、なんども読みかえして、いろんな読み方ができるから。それも長期的なスパンが長ければ長いほど、その作品の楽しみ方も違ってくるのだと思う。

例えば、私が初めて車輪の下を読んだのは小学生の頃だったのだと思うのだけれど、当時は、神童的なところのあるハンスに憧れとか「そうなりたいな」みたいな気持ちを持っていたりして。

たとえ同じ小説でも、中学生で読んだ時、高校生で読んだ時、大人になってから読んだ時に、読み取り方や心に響くシーンは全然違ってくる。

それを、文庫本とかにそのまま感想を書き込んだりしていれば、その本がそのまま自分の思い出のひとつとゆうか、ずっと共有してきたストーリーになるのだ。そんな風にして、いろんな本たちも大切にして、長期的な視野で付き合っていけるものにするためには、やっぱり借りたりちょっとどこかで読むためには、物足りなかったりしますよね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?