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アブラハムの故郷はどこ?

 彼らはカナンの地に行くために、カシュド人のウルから一緒に出かけた。
(創世記11章31節)


 アブラハムの故郷はメソポタミア南部のウルだとする説が、今は主流かもしれない。

 でも、それは違う。

 子孫のモーセはアブラハムを「放浪のアラム人」と認識していたのだから、アラムの地にいたとするのが妥当だ。


 アラム人は、メソポタミアの北部地域一帯に定住していた人々だ。

 父親のテラたち親族を残してきたハッラーンの町もアラムに含まれる。だから、アブラハムとその兄弟の生まれ故郷である「ウル・カシュディム」という町も、メソポタミア北部にあったはずだ。



 「ウル」は「町」を意味するので、名前にウルが含まれる地名はメソポタミア周辺には数多く存在した。

 ウル・ミア→オールミーエ、ウル・アシュト→ウラルトゥ、ウル・シャリム→エルサレムなど。
 

 ウル・カシュディムのカシュディムとはカシュド人のことで、アブラハムの時代の紀元前2千年ころには、やはりメソポタミア北部にいた民族である。カシュド人がメソポタミア南部に現れるのはそれからおよそ千年後のことになる。

 紀元前7世紀にメソポタミアの覇権を握り、前6世紀にはユダ王国を滅ぼした新バビロニア王国はカシュド人の国と見なされていた。
 ネブカドネザルに滅ぼされたユダ王国の指導者層は、シュメールにあるバビロンに捕囚された。カシュド人のウルがメソポタミア南部のウルであるとする誤解が生まれたのはそのあとの時代である。


 これはテラの歴史である。
 テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。
 ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカシュド人のウルで死んだ。

 テラはその息子アブラムと、ハランの子で孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カシュド人のウルから一緒に出かけた。しかし、彼らはハッラーンまで来て、そこに住みついた。

(創世記11章27~28,31節)

 これは、アブラハムがカナンの土地、現在のイスラエルに向かう前の出来事である。

 このシリーズでは、アブラハム以前のヘブル人の動きについて追っていく。

 父テラがカナンへ向かおうとした理由や、ハッラーンに留まった理由、それから、アブラハムの父テラとそれ以前の先祖がどこにいてどこから来たのか。

 これらの謎は、聖書の記述と考古学の成果とを照らし合わせることで解けるかもしれない。


 聖書に書かれていないことを考察するシリーズだが、聖書以外のところからいろいろと引っ張り出して失われた歴史を再構築するというのは牧師さんの仕事ではない。学者さんも肩書が足かせになる無謀な冒険である。
 だから、ここでやらせてもらう。
 もう、気軽にいっちゃうもんね。


 ということで、
 ヘブル人のルーツをたどる新シリーズ、スタートします!


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