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『タルタリア帝国』という陰謀

 『タルタリア帝国』という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 最近、ロシアからYoutube等で発信されはじめたスピリチュアル歴史ファンタジーによって有名になりつつある呼称である。

 数百年ほど前に泥の洪水によって滅んだ、ユーラシアの大部分と北米にまで広がっていた帝国のことをそう呼んでいるらしい。


 歴史を知っている人ならば、あ、それ『モンゴル帝国』のことね、とピンとくるのだが、「彼ら」はタルタリア人をモンゴル人のようなモンゴロイドとは認めず、白人種のスラブ系民族の国であったとしている。

 ……そうじゃなかったことはヨーロッパ人の旅行者が残した記録からもわかるのだけど。

 でもそういうことにしたいらしい。

 だから、この話には、「人類の歴史ははじまってからまだ百年か2百年しかたっていない」説というオプションまで用意されていたりする。
 それ以前の歴史はすべて現代になって捏造された作品であるというのである。



 これは、共産党によって過去を消された、平均寿命が短い国だからこそ出せた荒っぽい説だと言わざるを得ない。

 百歳超えの老人がふつうに近所にいるような国では展開できない話である。


 うちの近所の90代のタマちゃんなんか、子供のころに老人から聞いた、その老人の親が話していた一家の由来なんかを知っているのだから。

 そうすると、タマ90+老人推定60+推定親30のときの子=180。

 180年前の人間が語ったさらに先祖の話を知る人間が日本にはまだ数多く生息しているために、歴史がはじまってまだ2百年と言われても「なにバカなこと言ってんだっぺ」で終わってしまうだろう。

 大きな町の市街地は昔、アメリカ軍による空襲で灰になってしまったが、田舎の家には江戸時代の先祖が書いた日記なんかが物置や仏壇にまだあったりするのだ。

 ちなみに、タマちゃんは学校に行ってないので字が読めない。だから、歴史の勉強もしていない。しかし、タマちゃんの語ることと公式の歴史とのあいだにズレはない。タマ有能。



 話を戻すと、かつて、モンゴル帝国は西は東ヨーロッパから南はインドやインドシナ半島、北は北極海にまで勢力を広げており、今でもその痕跡を残している。(教科書の歴史ではモンゴルの北限はかなり南に設定されている。これは現在の小氷期の気候による推定であり、17世紀以前の地図では北極海付近にまで町がある。)

 彼らはもともと遊牧民であり、リッチな支配者層も移動するテント型宮殿に暮らしていた。だから、諸民族を征服して国が大きくなり、移動しない町と建物を建てる必要性に迫られたとき、被支配民である中華やイラン、ヨーロッパなどから建築技師を連れてきて、それぞれのセンスと技術によって町の造成や建築を行った。

 だから、モンゴル帝国内には中華風の町やイラン風の町、ヨーロッパ風の建造物があった

 ヨーロッパ人旅行者の記録からも、モンゴル人のオルドにヨーロッパ人技師がいたことがわかっている。

 モンゴル人はヨーロッパ人の棟梁にヨーロッパ風の建造物を造らせた。だから、シベリアにもヨーロッパ風のレンガ造りの建物はあった。それだけの話である。


 何も不思議なことはない。

 だが、ロシアはそのようなモンゴルの歴史に背乗りする形で、歴史を書き変えようとしている


 彼らがそれを可能だと考えたのは、モンゴルが遊牧帝国であり、残した痕跡が比較的少ないことと、17世紀に起きた急激な寒冷化による大災害でその痕跡の多くが消えてしまったことによるのだろう。
 (⇒⇒隠蔽される17世紀の大洪水参照。)




 昔の地図には北米大陸もタルタリアと書かれているが、それはモンゴルが征服したからではなく、モンゴロイドが暮らしていたからだろう。

 今だって、日本のド田舎のお年寄りにとっては外人さん=アメリカ人であったりする。
 昔、英語で話しかけられたイスラエル人の女の子が「わたしは英語圏の人間じゃない。イスラエル人はヘブライ語を話すのよ」と怒っていたが、見た目で区別できないのだから仕方ない。日本人だって中国人と間違われるし、そんなもんである。

 だから、昔のヨーロッパ人も北米でモンゴロイドに出会ったときに、タタール人がここにもいる、と思ったわけである。


 タタールとはモンゴル軍に加わっていたモンゴル系民族のことである。ヨーロッパ人が付けた名称ではない。

 これは、日本がネーデルラントをオランダと呼ぶ現象と同じである。
 昔の日本人がネーデルラントのホランド州から来た船員に出身地を聞いたために、すべてのネーデルラント人をホランド人(オランダ人)と呼ぶようになってしまったというが、ヨーロッパの東端にいたロシア人もタタール部の人員に「誰?」と尋ねたのだろう。

 西方遠征のリーダーのバトゥに尋ねれば違う答えが返ってきたはずだが、おそらく通訳や捕虜に尋ねたのだろう。


 そんなこんなで、ロシア人はモンゴルをタタールと呼び、ヨーロッパではギリシア語の地獄タルタロスにかこつけてタルタリー、彼らの国をタルタリアと呼ぶようになったと言われている。


 東シベリアは長らくモンゴロイドの土地であった。
 ロシア領になった今だってそうである。原住民はサハ人エヴェンキ人ネネツ人など、みなモンゴロイドだ。
 北極圏に暮らすイヌイットもモンゴロイドだ。

 極東にロシア人が押し寄せたのはつい最近のことで、ネネツなどの極東の民族とロシア人の文化や倫理観の違いによる軋轢は『デルスウ・ウザーラ』で読むことができる。

 
 『デルスウ・ウザーラ』を読んでも、ロシア人はスラブ民族が平和な世界を築いていた高潔な民族であると言えるのだろうか?

 彼らが平和の民ではないことは、極東の町ウラジヴォストークの名前にも表れている。

 ウラジ=制覇、征服、ヴォストーク=東。
 スラブ系のロシア語で「東を征服せよ」という名の町を極東に建てておきながら、もともとここにスラブ系の平和な帝国があったなどとよくも言えるなと、面の皮の厚さにはおどろいてしまう。

 平和的でもないし、もともといなかったから征服拠点を作ったわけなのだから。



 こんな穴だらけの『スラブ系タルタリア帝国説』だが、どうもプーチン大統領はこの説を容認している、というより利用しようとしているようだ。
 ひょっとすると、この説を最初に発信したのは工作員だったということもあり得ると思う。

 歴史の改竄には必ず政治的意図が絡んでくるので、要注意である。 
 


 ウクライナに関するプーチンの主張はおおむね正しい。キエフ・ルーシ国とロシアは不可分だろう。だけど、『スラブ系タルタリア帝国』はただのデタラメである。
 あっちが正しいならこっちも正しい、とはならないので、気を付けなければならない。


 それにしても、これはモンゴルに征服され支配を受けていたロシアの「タタールのくびき」のトラウマ、モンゴル恐怖症の裏返しのような説ではないだろうか。


 スラブ人のタルタリア帝国を主張することは、モンゴル人とその帝国の存在を否定するようなものだが、この動きに対して当のモンゴル人は何も言わないのだろうか?

 先祖の歴史が消されてしまいかねないのだけれど……。


 平たい顔族のチンギス・ハンの帝国がロシアに背乗りされてしまえば、同じく平たい顔族のフン族アッティラ王の歴史も背乗りされかねない。

 彼らがやろうとしていることは西欧世界への反抗ではなく、極東諸民族の歴史の抹殺である。


 もちろん、同じく平たい顔族の日本はすでにファンタジー版『タルタリア帝国』の一部に組み込まれている。

 だから、日本もロシアの歴史改竄の動きには注意すべきなのだ。
 日本ももとはスラブ人が支配する国の一部だった、なんて言わせないように。



 『スラブ系タルタリア帝国』の主張には、シベリアから極東にかけてのヨーロッパ風建造物の存在が挙げられるが、世界は大航海時代の以前から思いのほかグローバルに人の行き来があったのだ。そんな世界でミーハーな日本人が海外の建造物に興味を示さないはずはない。だから、鎖国以前の日本にヨーロッパ風の建造物が建っていたとしても何の不思議もないし、レンガ造りの建物がヨーロッパ発祥というわけでもない。バベルの塔からして焼きレンガ造りなのだ。だから、それらがスラブ系タルタリア帝国の存在の証拠とはならないのだ。


 プーチンはインテリである。たくさんの真実の中に混ぜられた大きな嘘に若者たちが騙されないよう、歴史改竄の動きは注視せねばならない。

  昔のプーチンは現場の工作員のような眼をしていたが、今のプーチンは内勤の事務職か研究者のような眼をしている。
 彼はいったい何者なのか?
 ウラジーミル・プーチン。

 ウラジ=制覇、ミール=世界、ならば、ウラジーミルの意味は「世界を制覇するもの」といった具合だろうか。

 もし、ロシアがモンゴルを騙るとしたら───、彼は自分が何者になるかを知っているのだろうか?



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