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実在したかもしれないアトランティス②
海の民とは
紀元前13世紀の終わりごろ、西から海の民と呼ばれる謎の連合軍が現れ、東地中海を襲った。エジプトではファラオ・メルエンプタハがリビア・海の民連合軍と戦った。紀元前12世紀になると、海の民はウガリットなどの現レバノンからイスラエルにかけての海岸線の諸都市を襲撃して破壊する。
プラトンが書き残した話では、アトランティス連合軍に勝利して押し返すことができたのは、アテネ率いる近隣諸国連合とエジプトだけだという。
海の民の襲撃に際しても、アテネとエジプトは破壊を免れ、存続している。
ということは、この海の民と呼ばれる人々は、アトランティス帝国の指揮下で征服事業に参加した西地中海諸国連合ではないのか?
日本に攻め寄せた元寇も、モンゴル軍単体でやって来たものではなく、高麗、女真、漢人などのモンゴルに征服された諸民族とモンゴルとの混成軍が、モンゴルの指揮のもとで遠征事業を行ったものであった。アトランティスも征服した民を使って、さらなる征服を試みたのではないだろうか。
海の民によるエジプトへの襲撃は、メルエンプタハ時代の襲撃から30年後、ラムセス3世の時代にも行われている。まるで、2度目の元寇・弘安の役や、ペルシア戦争におけるアケメネス朝ペルシアによる2度目のギリシア侵攻のようだ。いずれも失敗に終わっている。
海の民による2度目の襲撃の際、海の民を構成する民族が増えている。これは、1度目の侵攻で征服された民が2度目の侵攻に加わったとするのが自然だ。世界史あるあるである。
プラトンによれば、アトランティスの島が沈んだとき、海上のアテネ軍も壊滅したという。
海の民を押し返したあとに大地震や津波が起きたという記録を見たことはないが、それまでの地中海世界ではたびたび大地震が発生し、何度か大津波に襲われている。だから、大地震と大津波に関して懐疑的になる必要はない。
それでも、海の民を押し返した直後のギリシアとエジプトに大津波の記録がないということは、津波が押し寄せたのは大西洋沿岸であって、壊滅したアテネ軍というのは大西洋まで追撃に出ていた部隊のことかもしれない。
エジプトはアトランティスを何と呼んでいたか
では、アトランティス帝国が海の民の総司令官であるとするならば、なぜエジプトの海の民襲撃の記録に「アトランティス」という文言が出てこないのか?
その理由は、エジプト人はアトランティスをアトランティスと呼んでいなかったからである。「アトランティス」というネーミングは、ギリシア人の解釈による訳語である。
では、何と呼んでいたのか。
エジプトを襲ったのは海の民だけではなかった。
エジプトには、古代リビアの首長が諸民族とともに侵略してきた、という内容の文書が残されている。ということは、古代リビア人が海の民のリーダーである。
もし、海の民がアトランティス配下の連合軍であると仮定するならば、エジプトはアトランティス人を古代リビア人として認識していたということになる。
アトランティスの年代について
あれ?でも、アトランティスの年代は…?とオカルト好きな方なら読んでいて気になったことだろう。オカルトだか都市伝説だかの世界ではアトランティスは今から1万2千年前に滅んだとされている。
その根拠となっているのはプラトンが残した記述だが、…まあ、それは置いておくとして、確実なのは、1万2千年前にはアテネは存在しなかったということだ。
アテネはそこまで古い都市ではない。小さい集落としては昔からあったかもしれないが、都市国家として現れたのは紀元前2千年紀の中ごろである。だから、アトランティスの話が紀元前1500年よりも前だとするのは無理がある。アトランティス人のルーツとなったシュメール文明でさえ、今から4500年以上前にはさかのぼれない。
⇒参照(実在したかもしれないアトランティス①)
シュメール系統の言語、インド・ヨーロッパ語族などが年代をやたらと古く大きく言う場合、そこには解読のミスと誤訳が関わっている。日本の記録もそうなのだが、「初期の王様の在位期間やたらと長すぎ問題」は単純な翻訳ミスからはじまってる。セム語系民族はそういうミスをしないが、シュメール語系統の言語はよくやるのである。これは人の問題ではなく、言語の歴史と特性の問題なのだが、解説をはじめると長くなるから割愛する。
というわけで、都市国家アテネが誕生してから数百年がたって力をつけた紀元前1200年ごろに、アトランティスが海の民を引き連れ侵略をはじめたとすると話のつじつまが合うのである。
以上。まとめると、アトランティスの正体は、もとシュメールの王家の子孫が興した帝国であり、海の民というのはアトランティス───エジプトの認識では古代リビア人配下の諸国民連合であった、かもしれない、という話。
⇒⇒アトランティスとエジプトとの関係~実在したかもしれないアトランティス③~につづく。
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ポセイドンの由来など、のちの神話につながるシュメールの王の系譜に関する本は後日出版予定です。その予備知識となるシュメール期の人々のマインドを理解するために、先に出版した本がこちらです。よく間違われますが、宗教に関する本ではなく、歴史に関する本です。エデンの園の位置から出エジプトのルートまで、地図付きで解説しています。聖書とシュメール期の記録や宗教には整合性があります。⇩
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