#14私が好きな武将「黒田官兵衛」
皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです!
今回は、天才軍師:黒田官兵衛を
取り上げたいと思います!
皆さんは黒田官兵衛を知っていますか?
最近で言うと、大河ドラマ「軍師官兵衛」で
岡田准一さんが演じていましたよね!
正直、私もそこで「黒田官兵衛」に興味を持ち
調べたりしました。
ですので、私は今回皆さんに官兵衛の
良い所・好きな所・可愛い所をご紹介して
少しでも興味を持ってもらいたいと思いますので
よろしくお願いいたします。
1、黒田官兵衛とは?
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
戦国の三英傑(信長、秀吉、家康)に
重用されました。
官兵衛は播磨国(現在の兵庫県)の
姫路に生まれ小寺政職に仕える。
小寺政職の元で近習として働いていた
官兵衛に転機が訪れます。
織田家の毛利攻めに呼応して主君の小寺政職と
ともに織田家の臣下となり、秀吉と行動を
共にします。
秀吉と共に行動しどんどん力をつけていく
官兵衛に悲劇が襲います。
信長の重臣である「荒木村重」が謀反を起こし
官兵衛が謀反を止めるよう説得にいくも
幽閉されてしまいました。
なんとその期間約1年半…気が狂いそうですよね…
劣悪な環境で幽閉された為、
官兵衛は足が不自由になったと言われています。
その後、有岡城攻めがはじまり、
荒木村重が逃亡、その後有岡城は開城し
官兵衛は救出されました。
謀反を起こした「荒木村重」は開城を前に逃亡
鞆浦に逃げ話や堺で茶を学んで秀吉の御伽衆になったなど様々なその後の話がありますが、
本当のところは謎です。
また、主人であった「小寺政職」も
実は裏切り側で織田を裏切り、
毛利と手を結ぶため織田側の官兵衛が
邪魔になり官兵衛を始末する為に荒木に殺害を
依頼したという説があります…諸説ありますが…
有岡城から解放された官兵衛は、
取り憑かれたように仕事をこなしていきます。
織田方から裏切った元主人である、
「小寺家」含む播磨方の国衆を攻略、
毛利攻めを再開します。
有名な「鳥取の渇殺し」や「高松城の水攻め」など毛利方を怒涛の勢いで攻めていきます。
しかし、ここでとんでもないことが
起きてしまいます…
1582年、織田信長が明智光秀に
裏切られて死んでしまいます。
世に言う「本能寺の変」です。
自分の主人が死んだ秀吉は大ピンチですが…
そこは頭キレキレ官兵衛です!
ピンチをチャンスに変える男です。
「中国大返し」をして秀吉の天下取りの
足掛かりを作りました。
中国大返しを成功させ、山﨑の戦いで明智を、
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を倒し、秀吉は着々と
出世街道を爆進していました。
それを裏から支えていたのが官兵衛でした。
その後、関白となった秀吉と徐々に
関係が悪くなり隠居などもしましたが…
秀吉が亡くなるまで仕えていました…
秀吉死後…九州にいた官兵衛は動きます。
天下取りの戦を始めようとしました。
それは、関ヶ原の戦いの前から準備をしており
九州の西軍側の領地を攻めていきます。
諸説ありますが、官兵衛が九州から力をつけ
関ヶ原で疲弊した東西どちらかの勝利軍と戦い、
天下を獲る作戦だったと言う話や、
徳川側への忖度や、領地拡大など様々な説が
ありますが、俗説が多いです。
結果としては、関ヶ原の戦いがわずか
6時間程度で終わってしまい徳川方にも大した
損害もなく、官兵衛の作戦も水の泡となり
九州で戦っていた官兵衛は家康の停戦命令を受け
官兵衛の関ヶ原の戦いが終わりました。
関ヶ原後の官兵衛は徳川からの恩賞も
辞退し隠居し静かな日々を過ごしました。
それから4年後に京都伏見藩邸で亡くなりました。
享年59歳でした。
2、なぜ歴史探偵Qは官兵衛が好きなのか!
・決断力、説得力
官兵衛の凄さはたくさんあると思いますが
決断力と説得力を挙げたいと思います。
官兵衛がまだ若い時、小寺家に仕えていた際
小寺家の播磨は毛利と織田に挟まれた
所にありどちらに着くのかを
話し合っていた時に多くの家老や
重要武将達は毛利家につくべきと
言っていたが、官兵衛は織田家の勢い、
力を考え織田につくべきと発言し
主君や重臣達を説得させてしまう。
この「決断力」「説得力」が好きな所です。
・「説得力」があるが故に…
先ほど説得力があると言いましたが、
力がありすぎるが故に官兵衛を苦しめます。
まず、荒木村重との因縁ですが…
荒木村重の謀反を自分なら辞めさせられる
と行動に出ますが官兵衛は
幽閉されるハメに。
自分に自信があり、説得力に自信があった
から行動に移したと思いますが…
ちょっと勇足だったかなと思います。
言い方は悪いですが、官兵衛の
少し可愛い所かと思います。
・秀吉への忠誠心
織田家の毛利攻めから官兵衛と羽柴秀吉の
関係が始まり、そこから官兵衛は
秀吉が亡くなるまでブレることなく
秀吉を支えていきました。
諸説ありますが、秀吉の晩年は官兵衛を
遠ざけ、三成を重用し関係が
悪化したこともありましたが官兵衛は
表面上は変わらない忠誠心で秀吉に
仕えていきました。
心の中は官兵衛にしかわからないので…笑
3、まとめ
今回、黒田官兵衛について「史実」だけでなく
後世の「逸話」や俗説などを
まとめて書いてしまい、わかりづらく
してしまい大変申し訳ございません。
ただ私は本当に黒田官兵衛の良さを
皆様に伝えたかった一心でございます。
なぜ、ここまで私は官兵衛に惹かれたのか…
本当に官兵衛は何者か、どう言う人物か掴めず、
フィクサーのような存在だからです。
秀吉が太陽なら官兵衛は月のような存在で
決して目立って武功をあげ出世することもなく
秀吉に領地を求めることもなく。
ただひたすらに自分の役割をこなし、秀吉の
天下太平の道を一緒に作っていきました。
あまりに無欲の為、秀吉に警戒心を
抱かせたのはご愛嬌ですが…
そんな姿がすきなのです。
黒田家譜などの後世の資料なので
本当の官兵衛かわかりませんが
私は専門家ではないのでそうあって欲しい。
そう思います。
エンターテイメントとしても。
以上
調査報告 終了
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