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歴史探偵エッセイ:京都旅行写真祭り②

皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです!

今回も1月に行った京都歴史旅の
写真を一言添えながら紹介したいと
思いますのでよろしくお願いします。

■応仁の乱史跡
 「応仁の乱」に関しては勉強不足で
紹介するほど勉強してないので今回は写真で
応仁の乱に関する写真だけ撮ってきました。

来年も京都に行けたら応仁の乱に関する
記事を書けるようにしますのでお待ちください!

高師直邸が西陣の近くにあったそうです、
高師直は足利尊氏の右腕として働いていましたが
尊氏の弟で政治の実質的トップであった
「直義」と関係が悪化し、対立し
「観応の擾乱」と言う足利の兄弟喧嘩に発展し、和睦後暗殺された武将です。

昔の教科書では足利尊氏像と言われた絵は
現在では高師直であると言われています。

■山名宗全邸
 西陣の付近には応仁の乱西軍の総大将である
「山名宗全」の邸宅がありました。
ここから応仁の乱の激戦地は歩いて数分でした。

応仁の乱発端の地という石碑や看板は
神社の一角にありました。

本当にこんな閑静な住宅街が応仁の乱の
戦闘地だったなんて思えませんでした。

■室町幕府政務の中心地は同志社大学に!
 「花御殿」と呼ばれた室町幕府の政務所は
現在、同志社大学の校舎となっており多くの
学生さんが勉学に励んでいました。

この遺構は足利将軍12代の頃のものと
言われています。

ちなみに、この遺構を見学するさい警備員さんに
「入っていいですか?」と確認したのですが
「え?見るんですか?」みたいな不思議な
顔されました!笑
遺構の横には大学のおしゃれな
カフェテリアがあり女子学生さんが友人と
カフェメニューを食べながら話してる横で
おじさんが室町時代遺構の写真を撮る
というシュールな状態でした。

■相国寺の天井龍
 鳴龍と言われる天井に描かれている龍の図が
有名な相国寺にいきました。
 確かに龍の絵の迫力が凄くて絵の周りを
見上げながら歩けるのですがどこにいても龍と
目が合うのがすごいと思いながらあの時代に
この天井を見ていた恐怖すら抱いていた
かもしれません。

ちなみに相国寺の七重塔は109メートルという
高さで残っていれば日本木造建築最高の高さであったと言われています。
相国寺と創建した足利義満の権力の凄さが
伝わってくる遺跡となっています。
※総門の写真は撮り忘れました。笑

■幕末のリアルな息遣い「蛤御門」
 禁門の変と言われる幕府軍と長州軍の
戦いですが、そのリアルを感じれるのが
この「蛤御門」です。

 「蛤御門の変」とも言われる戦いの
銃弾の跡が柱や扉に残っているので
綺麗な御所や京都の町に実際に戦争が
あったのだと想像できるリアルな歴史を
感じることができるスポットです。

蛤御門を実際に見て思ったことなのですが
門の外側に銃弾の跡が長州側の攻撃だとして
内側の銃弾の傷は幕府軍の攻撃跡なので
天皇陛下がいるところなのに…
「結構お互い打ち合ってんのね!」と
実際見に行って感じた気持ちです。

■まとめ
 今回の記事では応仁の乱や禁門の変などの
戦に関する写真を多く掲載しました。
実際に感じたことは現場を歩かないと
わからないことがいっぱいあるな〜と
思いました。

教科書で読んだりテストに出るから
記憶してましたがやはり現場を歩いて
意外と戦場を歩いてみると陣が近かったり
と実際に行って学べたことが多くあったので
この写真で皆さんに少しでも歴史の息遣いが
伝わればうれしいです。

次回も京都の写真エッセイをお届けします。

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