<小説>白い猿⑥ ~前田慶次米沢日記~
六
「にわかには信じられぬ話だ。忍びの勤めをそっちのけで、白い猿を捕らえようとしたというのか」
兼続があきれたように言った。
「いや、三十匁の大筒の弾はたしかに盗まれた。だから役目を果たしたうえで、欲をかいたということなのだろう」
慶次は白布高湯での一件の報告のため、兼続の屋敷を訪れていた。
猿回しに扮した忍びの一味は、死亡した頭領の猿丸を除く三名が捕えられ、奉行所に引き渡された。
厳しい取り調べの結果、会津藩が背後にいたことが明らかになった。
「それにしても、忍びも落ちたものだな…」
「いかにも」
兼続と慶次は同時に嘆息した。
だが、彼らが欲に目がくらんだのもやむを得ないことかもしれない。
関ケ原の戦い以降、忍びの仕事は急速に減ってきている。
伊賀や甲賀など一流の忍び集団はともかく、小さな忍びの群れの多くが、職にあぶれて半ば野盗化しているとも聞く。
「それはそうと、あの子猿どもはいかがする?」
慶次が気にかかっていたことを口にした。
猿回し一座が壊滅し、猿番として残っていた治兵衛も捕らえられた。
この男は猿回しが本職で、忍びの仕事には直接関わっていなかったが、行動を共にしていた罪は免れず死罪となった。
むろん猿たちに罪はない。かといって野生に帰しても自力で生き抜くことは難しいだろう。慶次の心配はその一点にあった。
兼続の答えは意表を突いたものだった。
「我が藩で飼うことにした」
「なんと!」これにはさすがの慶次も驚いた。
「今さら野に放したところで生きられまい。なので、世話をすると申し出た藩士に飼わせることにした」
「それは有り難い!」
慶次は満面に笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
「『上杉は畜生も飼えぬほど貧しくなったか』と嘲(あざけ)られるわけにはいかぬからな」
ふだんは生真面目な兼続が珍しく冗談を言った。
上杉家筆頭家老として重責を担う直江兼続の日々は多忙である。
会津から移った藩士の住居の確保や城下の整備をはじめ、暴れ川松川(最上川)の改修など、為すべきことは実に多い。
そんな多忙をきわめる中で、引き取り手のない子猿を養うという些細なことにも心配りができるのが、兼続の人としての度量の広さである。
慶次は改めて、米沢の地に来る決断が正しかったと思った。
余談だが、上杉家の猿回しについては、高田彦兵衛ほか四名の家臣が米沢城下猿引町に住み、正月には五穀豊穣・家内安全を祈って城下の町々で猿回しを行ったとの記録が残っている。
七
慶次が白布高湯をふたたび訪れたのは、一年後の初夏のことである。
慶次が〈関白殿〉と名付けた吾妻山中に暮らす白い猿を、その後見かけた者はいなかった。
白い猿は罠にかかった際に怪我をしていた。生存競争の厳しい自然の中では、それが原因で死んでもおかしくない。
そうではないことを祈るばかりだが、こればかりは慶次にもどうしようもなかった。
慶次は夜がまだ明けきらぬうちに、川沿いに湧く露天風呂に行った。
そこからは昨年と同様、河原の一角に湯だまりが見えた。
だが、そこに白い猿の姿はなかった。
翌朝も、その翌朝も慶次は露天風呂に足を運んだ。しかし白い猿は現れなかった。
未練がましいと言われればその通りだが、白い猿の安否が知りたかった。
明日は堂森に帰るという日の夕刻、慶次はふたたび露天に足を向けた。
山の落日は早く、あたりには夕闇が迫っている。家路を急ぐ鳥の声とともにふくろうの鳴き声も聞こえてきた。
湯治場に灯がともった。
慶次は提灯を手に、木立を抜けて露天風呂に向かった。
あいにくの雲に遮られ、河原は判別ができないほど暗くなっている。
そのとき谷間を縫うように、雲の切れ間から一筋の夕日がさした。
すると、湯だまりの一つにぼうっと白い影が浮かんだ。
紛れもない、白い猿〈関白殿〉の背中だった。
――生きていたのか!
慶次の胸が高鳴った。
〈遅かったじゃないか〉
悠然と浸かる猿の背中は、そう言っているようだった。
――もう少し近づいてみるか?
とっさに慶次は考えた。しかし、すぐに思い留まった。
人がむやみに野生に近づいてよいものではない。
慶次は踵を返し、静かにその場を離れた。
宵闇の風が慶次の頬を優しくなでた。 (了)
★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、 masuno_shotaさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。