「らんまん」と考古学者
NHK朝の連続ドラマ「らんまん」が9/29日に最終回を迎えた。
「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎博士をモデルにした、朝ドラらしい爽やかな物語だった。
印象に残っているのは、東大の植物学教室に出入りを許された主人公が、教授から「私のものになれ」とか「小学校も出てない虫けら」等と言われてもきっぱり撥ねつけ、独力で研究を続けていくことを決意する場面だ。
このシーンを見て、相沢(澤)忠洋(1926-1989)さんのことが重なった。
ご存知の方もおられると思うが、旧石器時代の遺跡・岩宿遺跡を発見した考古学者である。
しかも大学に籍を置く学者ではなく、納豆などの行商をしながら独学で考古学の研究を続けた市井の研究者である点が、牧野富太郎と重なって映る。
相沢さんは戦後間もない昭和24(1949)年に群馬県笠懸村(現みどり市)で黒曜石の石器を発見。これがきっかけで旧石器時代の遺跡・岩宿遺跡の存在が明らかになった。
それまでは日本列島には縄文時代以前には人類が住んでいなかったと考えられていたため、定説を覆す発見である。
ところが世紀の大発見にもかかわらず、相沢さんの存在は当初は学界やマスコミからはほとんど無視された。
地元からは”学歴もない行商人風情が”という妬みから誹謗中傷が加えられ、石器を持ち込んだ大学の発掘報告書にも、発見者として彼の名前が載ることはなかった(大学教授が「発見者」として発表)。
それでも相沢さんは挫けることなく黙々と発掘調査を続け、その後も次々に旧石器時代の遺跡を発見していった。
その結果、不当な批判も次第に消えて、正当な評価を得るようになったという。
没後の1991年には群馬県桐生市に相澤忠洋記念館が開設され、その功績が称えられている。
「らんまん」を見終えて、時代も分野も違えど、牧野富太郎と相沢忠洋が味わった苦労は変わらないのだろう、と思えた。
相沢忠洋さんについて詳しく知りたい方は、相澤忠洋記念館のHP↓をどうぞ。
★見出しの画像は、subaruphoto2002さんの「キレンゲショウマ」を使わせていただきました。ありがとうございます。
(※キレンゲショウマの命名者は「らんまん」で田辺教授のモデルとなった矢田部良吉氏です)