邪馬台国に触れないのが学界のトレンド!?
このところバタバタして更新が滞りがちなのを反省しつつ…
最近読んだのが『探求弥生文化 上 学説はどう変わってきたか』(浜田晋介著・雄山閣)。
弥生時代の研究の歴史(研究史)について書かれた本で、戦前の皇国史観から戦後の唯物史観、さらに近年のプロセス考古学まで、学説の変遷について分かりやすく書かれている。
「他の研究者の発掘報告の内容を疑うことを夢想だにしない、あるいは不謹慎とする考古学界の雰囲気」
「根拠や証拠となるものの出土状況が、確実に弥生時代のものであるか、といった手続きを踏まえないで採用され、それがのちに証拠に樽べき条件を備えていなかったと確認されることがある。そしてその資料とそれを解釈して形成された学説が否定されるということが、過去の弥生文化研究で起こった(後略)」
等、刺激的な文言も散見するので、興味深く読めた。
ただ、個人的に不満だったのが、邪馬台国や卑弥呼について一言も触れていない点だ(そこかよ!)。
少なくとも索引には見当たらないし、九州説や畿内説についても記述がなかった。
「自分が研究しているのはそこではない」ということなのだろうが、旧石器捏造事件やAMS法年代論を巡る問題についても言及しているので、邪馬台国論についても著者の「現時点での」考えを聞いてみたかった、というのが率直なところである。
それに関連して言えば、以前読んだ『古代史講義』(ちくま新書)シリーズの「邪馬台国から平安時代まで」でも、邪馬台国について詳細に記述してあるが、肝心の所在地についてはひとことも触れていなかった。
別の章でも「本章は邪馬台国畿内説にこだわらないが」とわざわざ断りをいれて論旨を進めている。
現代の風潮として、畿内説・九州説のどちらを表明しても批判が寄せられるからあえて書かないのか、それとも学会主流や恩師とは異なる考えを(密かに)持っているから、敢えて書かないのか…といろいろ想像(邪推)してしまう。
学者の方々は、自説が誤りだったとなると「学者生命を失う」と考えるのかもしれないが、古代出雲王朝についての考えを自著で改めた梅原猛さんや、晩年に畿内説→九州説に変わった門脇禎二さんの例もあるので、率直に自説を披露していただきたいものだ。
畿内説・九州説の学者がシンポジウムやテレビで口角泡を飛ばして熱く議論すれば、邪馬台国論争も盛り上がるのになあ、と勝手に思ったりする。
その時は泡沫説の一人として、私も「近江説」をぶち上げたいものです(むろんお呼びがかかればですが…)。
★見出しの画像は、山野草さんの「浜街道から望む朝の近江富士」を使わせていただきました。ありがとうございます。
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