見出し画像

語学習得と睡眠時の夢

 また、夢を見た。
 夢の中の筆者は、英語訳をしようとしていた。
 英語訳の時もあれば、ロシア語訳のこともあるし、日本語訳のこともある。
 
 大学学部生の第二外国語でドイツ語を履修したが、ドイツ語の辞書に手垢がついていない様子を見れば、語学習得どころか単位修得が関の山だったことがうかがわれる(古き良き時代(?)で「優」が多かったが)。それでも筆者が大学2年生の時には授業終了時にドイツ語の先生を囲んで談笑していたのだから、当時(西暦2000年頃)はやはり気楽だったものだと思う。筆者の在籍していた法学部は、3年生以降のドイツ語の授業やゼミが設置されていない。外書購読で不定期に開講されるくらいだった。文学部(全部または一部の専攻?)は大学1年生の頃から第2外国語・第3外国語が必修だとのことで、ドイツ語の授業1コマで3時間くらいの予習に悲鳴をあげていた筆者としては大変だなと思っていたが、3年生以降のドイツ語の学習を正規のカリキュラムでは履修できなかった(2年生のドイツ語の聴講許可を得て聴講したが、長続きしなかった)のは残念だったとは思っている。
 
 もっとも、大学学部生の第二外国語(ドイツ語)では、英語を一通りマスターしていることを前提にドイツ語の授業が行われていた。国立大学にはセンター試験(当時)と二次試験での英語筆記試験が行われていたので、「英語ができない」という言い訳が成立しなかったのだ(もっとも、筆者が入学した1999年にはセンター試験でも二次試験でもリスニング試験は実施されていなかった)。
 
 「英語(第1外国語)を一通り習得している」という前提で、2010年にロシア語学習を始めた時には、大変だった。英語を経由せずにロシア語習得を目指すカリキュラムだということに気がつかずに、悪戦苦闘していた。その時からさかのぼること約十年前の第二外国語として取り組んだ(?)ドイツ語学習の要領を使えないことに気がついたのは、ずいぶんと時間と手間を空費した後のことである。もっとも、ロシア語の本格的な使い手にとっては、ロシア語を理解するにはドイツ語・フランス語・ラテン語・・・・・・をかじっておかないといけないという話もあるので、筆者が次にロシア語習得を目指す時には、ドイツ語やラテン語を視野に入れながら、ゆっくりと学習することになるだろう。不惑をすぎた今となっては、急ぐ必要もない。
 
 さて、拙著で明記していることだが、筆者は、語学習得を苦手としている。

大阪府警ソトゴト(ロシア担当): 町田のヒューミント | 神谷英邦 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon

 これは、「親譲り」である。母が奈良県内の農村で昭和30年代後半に中学校の英語の先生へ言ってのけたそうだ。
 
「外国に行くわけでもないのに、英語を勉強する必要などない」。
 
 母は中学の同窓会のたびに、当時の英語の先生に「よく覚えている」と平成末年になっても言われたそうだ。筆者の母の「英語熱」を笑ってはいけない。息子である筆者の母校の入試問題で、このネタが使われたのだ。
 
「私は、はっきり言って勉強が嫌いです。特に嫌いなのが英語と数学です。一生外国に行くつもりなんかないし、日本では日本語が使えれば生きていけるのに、なぜ使う必要もない外国の言葉を、こんなに一生懸命勉強するのかわかりません。(中略)なぜ私は勉強しなければならないんでしょうか?
 
 さて、あなたならこの相談者にどのようなアドバイスをしますか。70語程度の英語で相談者へのアドバイスを書きなさい。」
(2017年(前期)大阪大学。引用元は、駿台予備学校の「青本」)
 
 筆者は1999年に大阪大学法学部に合格したが、2017年の大阪大学の受験生だとして、たとえ自由英作文を得点することができても、昭和中期の母(中学生)を説得する自信は、まったくない。もっとも、大阪大学の「出題者」の中学生の日本語はしっかりとした文章でつづられているので、「彼女」なら英語や数学を習得する素養はありそうな気がしないでもないが、そこは、「入試問題」という場面設定でのお約束である。ツッコミをいれるべきではない(笑)。
 
 こんなことを書くと怒られるかもしれないが、筆者は中学生の頃から「英語」に苦手意識をもっていた。ひょんなことから中学入学直後に高校3年生と学園祭(文化祭)に向けて演劇をすることになったが、中学2年生になってからは、英語部に入部した。おもしろいもので、英語部でも英語劇をすることが活動の主流になり、演劇同好会を卒業した「高校3年生」のK.H.先輩からは「お前もつくづく演劇と縁の切れへんヤツやな」と苦笑されたが、その後の人生も含めれば、日本語・英語・ロシア語の演劇の舞台にたつことになった。そろそろ、大河ドラマの出演オファーでもかからないだろうか。
 
 それにしても、である。
 外国語習得に苦手意識をもっていた筆者が、高校卒業時に英語部功労者として記念の盾を授与されたのは、いかなるわけか。「英語部部長」を高校1・2年生の時につとめていたからである。今(2022年)はどうなっているのか知らないが、筆者が中高生だった当時(1992-1998)の大阪市内の男子校の英語部では、部員不足にあえいでいた。高校1年生の時に部長になったのは、活動部員が筆者一人になったから(高校3年生の先輩は大御所になるなどして慣例に従って院政という名の活動休止をしていた)。学園祭の英語劇に向けて、活動部員一人の筆者が毎朝職員室に企画を提出してダメだしをくらっていた(そりゃそうだ)。中学1年・高校1年の新入生への部活紹介で万雷の拍手をもって迎えられる大演説をし(日本語)、声だけで他の文化系の弁論を圧倒し、数百名の空気にどよめきを起こすことで、なんとかしていた。
 
 英語部に入部する部員は「英語」に秀でており、筆者の誘いで入部した同級生の一人は現役で東京外国語大学に進学したし、後輩達は優秀だった。男子校でありながら他校とも交流があったが、女子校の高校2年生の先輩を前にして「鎌倉幕府の最後の執権は、北条高時ではなく、北条守時です」と京橋のマクドで論破したり、即興の寄せ書きで「丞相の祠堂いずれのところにかたずねん」などと日曜朝のNHK『漢詩紀行』でかじった杜甫の詩を書いたりするなど、自由に振る舞っていた当時の筆者は「英語部」という看板を勘違いしていたようである。中高生の文化系の部活といえば、技芸に秀でることも目的だとは思うのだが、筆者は、会計を担当して端数のそろわない部費と格闘しながら使用用途を思い出したり、教室使用申請で幹部教師と職員室で大げんかしたり、英語首位のクラスメートの後塵を拝した英語の成績を毎回取得したり、院政をしくはずの高校3年生の時には大御所として親政をしいて学園祭をのりきったり(「大御所が親政」という表現に違和感をもってほしいと思う。履修していない日本史で首位をとって高校3年生の時に決闘を挑まれたこともあった)、そんなこんなで、めでたく駿台で浪人した。
 
 それにしても、とは思う。
 夢の中で、「外国語」が出てくるのはなぜなのだろうか。
 飛行機が怖い筆者はパスポートの有効期限を切らせている上に、2009年以来飛行機にすら搭乗していない。
 
 科学的根拠はなさそうな気がするが。
それっぽい検索ワードで夢占いをしてみようか。
 
などとしめくくって原稿を寝かせてnoteに予約投稿をしようと思っていたが、この雑文を書いた2022年9月22日朝(日本時間)。奇しくもその半日前にプーチン大統領がウクライナへの動員のニュースが世界をかけめぐり、筆者が雑文を推敲している頃には「ロシアから『出国』や『飛行機』などを意味する検索件数が倍増した」というニュースを日本語で読んだ2022年9月22日夜(日本時間)となった。
 
2022年9月23日 午前11時30分(日本時間)投稿

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集