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初めまして

『都築怜の自撮り展』(120円/月)

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都築怜と申します、はじめまして。
祝日問わず月曜日から金曜日まで、週に5本エッセイを書いては投稿しています。

(2023/07/03記事より)
誰かに説明するときも難しかった。
極めて個人的な話は、絶対に面白くて需要があるはずなんだと。
もしかして、これは僕の発明なのか?そんなことさえチラッと思ったこともあるくらい、あまり理解されなかった。

ただ、これは僕が悪かった。
こういった文章スタイルは、決して発明でもなんでもない。
「エッセイ」なのです。

僕ね、エッセイを書きたいんですよ。
で、エッセイで飯を食べたいんですよ。
それを、エッセイスト、かっこよく随筆家、というらしい。
そのことに1年経ってようやく気づくというね。

(2023/07/05記事より)
エッセイとは自分の視点と、知覚と、知覚した反応(感情・思考レベル)を、自らまとめた文章。自分は書き手であり同時に読み手でもあって、それは自己の内面的な成長サイクルそのもの。
それが時折、コンテンツとして他人の需要を帯びることがある。(中略)
自らの思考過程を助けるためのエッセイが「コンテンツ」として消費されるとき、そこには一定の責任が生じる。(中略)
従って、エッセイを書くうえで、以下のポリシーをまとめるべきと考える。
1つ目に、嘘は付かないこと。(中略)
2つ目に、批評性を持たないこと。(中略)
3つ目に、叩かれる機会を持つこと。(中略)
4つ目に、場所を弁えること。(中略)
5つ目に、ファクトに対する意識を持つこと。(中略)

記事抜粋

(2022/09/22記事より)
「僕もこんな美しい文章が描けるようになりたい」と思い、僕はnoteを始めることにしました。
だから、僕はこのnoteで「わかりやすい」文章を書きたいんじゃないんです。そんなのは仕事のコミュニケーションのときだけで十分。
人がうっとりするような、一息つきたくなるような、そんな美しい言葉を紡げるようになりたいのです。
ピアノで美しい音色が奏でられるように、美しい言葉が紡げる人間になりたいのです。
だから、僕がどう思ったか、に徹底して注目をし、僕は僕の言葉を獲得したいのです。

記事抜粋

エッセイを書くことは、僕は脱皮行為に近いと思っている。
自分を取り囲む現象とその内で湧き上がったものを言語化する。
言語化できたものは、客体化することができる。
それと対峙することができる。これがまさに脱皮した殻のようなものだ。

対峙した殻を見る、読む、そして気づく。
こうして僕は、さっきまで自分だった殻を食べて何かが大きくなり、また新たな殻を作る。そしてまた、食べる。

自分はエッセイを読むのも大好き。
最近になって、エッセイを読む楽しさみたいなものを言語化することができた(気がする)。

(2024/04/01記事より)
エッセイは基本、役に立たない。
必ずしも、新しい知識に出会えるわけではない。
新しい物事の考え方や自然科学の知恵を蓄えることができるわけでもない。
役立つスキルが身につくわけでもない。
(中略)
エッセイは、他のエンタメにはない「穴ぐら」感が魅力だ。
(中略)
そんな穴ぐらのなかで、僕らはゆっくりすることができる。
何がもらえるわけでもなく、ただじっとすることができる。
これこそ、僕が思う、エッセイを読むことの本質だと思う。

新年度のご挨拶 - ちいさな穴ぐらから|都築怜(つづきれい)

もし良かったら、無料記事だけでも楽しんで読んでいただければと思います。ぜひ、今後ともよろしくお願いいたします。

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