パレオダイエットと私
夏の陽気が満ちるロンドンの空を見上げながら、私は思わず深いため息をついた。アーンドル・スクエアの緑濃い芝生に腰を下ろし、手元のスマートフォンに目を落とす。画面には、先ほど友人から送られてきたメッセージが表示されている。「パレオダイエットを始めたんだ。すごく効果があるよ!」
その言葉に、私は複雑な感情を抱く。確かに、過去の人類の食生活を模倣することで健康を取り戻そうという試みには一理ある。しかし、そこには何か違和感も感じずにはいられない。現代を生きる我々が、本当に過去の人間と同じプロセスを辿る必要があるのだろうか?
風に揺れる木々の葉擦れ音を聞きながら、私は思考を巡らせる。パレオダイエットに限らず、過去の方法論をそのまま現代に適用することの是非について。例えば、私が英語を学んだ過程を思い返してみる。確かに、子供のように純粋に言語に触れることの重要性は理解している。しかし、大人である私には、文法を理性的に理解し、単語帳で効率的に語彙を増やすといった方法が有効だった。
そう考えると、北に向かうために真南から出発するのと、少し東にずれた地点から出発するのとでは、たとえ目標が同じでもアプローチが変わってくるのではないだろうか。我々は過去の英知を尊重しつつも、現代の知識や環境を考慮に入れた、よりスマートなアプローチを模索する必要があるのかもしれない。
ふと、近くで遊ぶ子供たちの笑い声が聞こえる。彼らの無邪気な姿を見ていると、人間の本質的な部分は変わらないのかもしれないと感じる。しかし同時に、彼らが将来直面するであろう世界は、私たちの想像をはるかに超えたものになるだろうとも思う。
立ち上がり、ゆっくりとアパートに向かって歩き始める。途中、いつものカフェ「The Rosemary Garden」に立ち寄り、エスプレッソを注文する。バリスタとちょっとした会話を交わしながら、私は今日の思索を整理する。
過去の知恵を完全に否定するのではなく、かといって盲目的に従うのでもない。現代の我々にできることは、過去と現在の狭間で絶えず自問自答し、最適な道を模索し続けることなのかもしれない。それは単にダイエットや言語学習の方法論に限った話ではなく、人生のあらゆる側面に当てはまるのだろう。
エスプレッソの苦みと香りが、この思索に良い余韻を添える。カフェを出て、夕暮れ時のノッティングヒルの街並みを眺めながら、私は自分なりの「現代版生き方」を探求する旅を、静かに、しかし確実に続けていくことを決意した。
Atogaki
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