Ichi in London 18th July
朝の光が窓から差し込み、目を覚ます。ロンドンの空は珍しく晴れ渡っている。昨日までの雨で洗われた街並みが、いつもより鮮やかに見える。ベッドから起き上がると、Nakajimaが甘えるように足元にすり寄ってくる。
「おはよう、Nakajima。今日も一日がんばろうね」
彼をそっと撫でながら、窓の外を見る。アーンドル・スクエアの木々が風に揺れ、新緑の香りが部屋に漂ってくる。この街に来てもう5年。日本を離れ、フリーランスのライターとして新しい人生を歩み始めてから、あっという間だった。
朝のルーティンをこなしながら、ふと「雇用」という言葉が頭をよぎる。昨日、ブログの記事を書いていて使った言葉だ。その時、「雇用」の反対語を考えていて、「労働」か「就労」かと迷った末に、「解雇」という言葉にたどり着いた。その瞬間、どこか心に引っかかるものがあった。
コーヒーを入れながら、その違和感の正体を探る。雇う側と雇われる側。そして、その関係を断ち切る「解雇」。この三つの概念が、社会の中で当たり前のように存在している。でも、本当にそれだけなのだろうか?
カップを手に取り、窓際に立つ。朝の光に照らされた街を眺めながら、思考を巡らせる。
私は今、誰にも雇われていない。かといって失業しているわけでもない。フリーランスとして、自分で仕事を作り出し、生計を立てている。この状態は、従来の「雇用」の枠組みには収まらない。
そう考えると、世の中には実に多様な働き方があることに気づく。起業家、フリーランス、パートタイム、副業...。これらは全て、単純な「雇用」や「失業」という二元論では捉えきれない。
コーヒーを一口飲み、その温かさと苦みを味わう。この味わいの複雑さのように、働くということもまた、単純に割り切れるものではないのかもしれない。
ふと、隣に住むGeorgeのことを思い出す。彼は仮想通貨で大金を稼ぎ、今は複数のスタートアップに投資している。彼の「仕事」は、従来の「労働」の概念とは全く異なる。それでも、彼は確かに社会に価値を生み出している。
また、先日出会ったカフェのバリスタ、Lilyのことも頭に浮かぶ。彼女は美大生で、バリスタの仕事は彼女にとって単なるアルバイトではない。コーヒーを淹れることも、彼女の芸術表現の一部なのだ。
そして、私自身。ブログを書き、時には講演をし、本の執筆も手がける。これらの活動は、従来の「仕事」の枠に収まるものばかりではない。それでも、私はこの生き方に充実感を覚えている。
Nakajimaが足元で鳴き、外に出たがっている様子だ。彼を抱き上げ、ベランダに出る。新鮮な空気が肺に染み渡る。
ロンドンの街並みを見下ろしながら、様々な人々の姿が目に浮かぶ。通勤する人、店を開ける人、公園で朝のジョギングを楽しむ人。それぞれが、自分なりの「働き方」「生き方」を選んでいる。
「雇用」「労働」「解雇」。これらの言葉が持つ意味は、実は私たちが思っているよりもずっと複雑で多様なのではないか。そして、その複雑さこそが、人間社会の豊かさを表しているのかもしれない。
Nakajimaを抱きしめながら、今日のブログのテーマが決まった気がした。「働くこと」の多様性と可能性について、じっくりと考察してみよう。きっと、読者の中にも、自分の働き方や生き方に悩む人がいるはずだ。その人たちに、少しでも新しい視点や希望を提供できたら。
部屋に戻り、パソコンの電源を入れる。キーボードに指を置き、深呼吸をする。今日も、言葉を紡ぎ始める時間だ。
Atogaki
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