Ichi in London 19th July
ロンドンの朝は、いつも静かな衝撃と共に始まる。目覚めの瞬間、私の意識は量子の重ね合わせ状態から一つの現実へと収束する。薄明りの中、Nakajimaが毛づくろいする音が聞こえる。彼の存在が、この部屋の、そしてこの瞬間の確かさを保証しているようだ。
窓の外では、アーンドル・スクエアの木々が風に揺れている。昨日と同じ景色なのに、何かが違う。毎朝、世界は少しずつ新しくなっているのだ。この微細な変化を感じ取ることが、ロンドンでの私の日課となっている。
コーヒーを淹れながら、ふと思う。この一杯に、どれほどの可能性が詰まっているのだろうか。豆の選び方、挽き方、お湯の温度、全てが少しずつ違えば、全く異なるコーヒーになる。まるで、私たちの人生のようだ。
スマートフォンを手に取り、メールをチェックする。仕事の依頼、友人からのメッセージ、ニュース速報。デジタルの海に溺れそうになる自分を感じる。この感覚は、きっと東京のサラリーマンたちも同じだろう。彼らは今、満員電車の中で同じように画面を見つめているのかもしれない。
「大きな夢を持つことの重要性」。昨日、ブログに書いた記事のタイトルだ。その言葉が、今朝は妙に重く感じられる。大きな夢?それはいったい何だろう。フリーランスの道を選んだ時、確かに大きな夢があった。でも今、その輪郭がぼやけているように思う。
Nakajimaが膝に乗ってきて、考えを中断させる。彼の暖かさと重さが、現実世界への錨のようだ。瞑想的な時間が流れる。猫と人間、二つの意識が交差する瞬間。それは小さいけれど、確かな幸せだ。
シャワーを浴びながら、水滴の一つ一つが異なる可能性を持っているような錯覚に陥る。それぞれが、別の人生の物語を語っているかのように。私は今、どの物語の中にいるのだろう?
服を選ぶ時間。クローゼットの中の服たちが、それぞれ違う私を表現しているように見える。今日の私は、どんな私になるのだろう。Harris Tweedのジャケットを手に取る。その織り目一つ一つに、スコットランドの職人たちの思いが込められている。それを身にまとうことで、私も彼らの物語の一部になるのかもしれない。
朝食はシンプルに、自家製グラノーラとヨーグルト。口の中で、甘さと酸味が混ざり合う。この味わいは、ロンドンでの私の生活そのものだ。慣れ親しんだ日本の味と、新しく出会った西洋の味が、絶妙なバランスを保っている。
Nakajimaに餌をやりながら、ふと考える。彼は今、どんな世界を見ているのだろう。私たちが共有しているこの空間は、彼の目にはどう映っているのか。存在の不思議さに、一瞬めまいがする。
外に出る準備をしながら、鏡に映る自分を見つめる。日本人の顔立ちなのに、どこかイギリス人のような雰囲気がある。文化のはざまで生きることの面白さと難しさを、改めて感じる。
アパートを出て、階段を下りる。各段に足を置くたびに、違う可能性の世界に足を踏み入れているような感覚。最後の一段で、今日の現実が確定するのかもしれない。
外に出ると、ロンドンの喧騒が私を包み込む。様々な言語、人々の動き、街の音。それらが一つになって、この都市の声となる。その中に溶け込みながら、自分の存在が拡散していくのを感じる。
歩きながら、すれ違う人々の表情を観察する。彼らもきっと、それぞれの夢や悩みを抱えているのだろう。大きな夢を持つことの難しさと大切さを、改めて考える。
The Rosemary Gardenに到着する。いつもの席に座り、ラップトップを開く。画面に映る自分の姿が、不確かに揺らいで見える。今日はどんな言葉が生まれるだろうか。指先が踊り始める。一つ一つのキーストロークが、新しい可能性を切り開いていく。
そうだ。大きな夢とは、固定されたゴールではない。それは日々の小さな選択の積み重ねなのだ。この瞬間瞬間を大切に生きること。それこそが、本当の意味での「大きな夢」なのかもしれない。
カフェの窓から外を見る。ロンドンの空が、いつもより少し青く見える。この都市で、私は少しずつ自分の物語を紡いでいる。それは小さいけれど、確かな一歩だ。
コーヒーを一口飲む。その味わいの中に、無限の可能性を感じる。さあ、今日も新しい言葉を探す旅が始まる。この瞬間、私の中で何かが動き出す。それは小さな変化かもしれない。でも、それが大きな夢につながっていくのだと信じている。
Atogaki
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