世界は二重螺旋で説明できる。
世界のあらゆる出来事は二重螺旋で説明できると思ったって話。
この話題、以前書いたことなかったっけ。
僕、「そういえばあんなこと書いた気がするよなぁ」なんて思ったとき、
ダラダラ過去の履歴漁ってもしょうがないから、
googleで「一ノ瀬司 〇〇(キーワード)」って検索するんですよね。
ただ、この話をいくら調べても出てこなかったから書いておくことにした。
もし以前書いていたら申し訳ない。
世界は二重螺旋でできていると思います、って話。
歴史は繰り返す、というのは僕は半分正解で半分間違いだと思っている。
というのは、繰り返して戻ってきたとき、以前とは全く同じ、ではないんですよね。
一周回ってきただけあって、以前のそれとは明らかに違う性質を持っている。
だから、平面的に1つの円を持ち出して考えることには限界があると思うのです。
じゃあどう理解するか?螺旋状のモデルが必要になると思うのです。
螺旋上のモデルだと上から平面的に円として見れば、円周運動的な感じで、元の位置に戻ってきたように見える。
しかし、本当は違う。
一周したあとに何かが洗練されていたり何かが加えられていたりする。
それは、3次元の立体の螺旋として捉えるとその様子が説明できると。
この発想の起点はファッションの歴史にある。僕も詳しいわけじゃないけど。
全く同じじゃないけれど、繰り返している「様に見える」。
じゃあ、1つの螺旋で良いんじゃないの?というとそうではない。
なぜなら、そのときそのときで、常に対(つい)となる存在の意識があるから。
だから円周運動が捗るし、そこにエネルギーが宿る。
それは「スターと大衆」、という構図でも良いし、
「かっこいいとダサい」、という構図でも良い。
例えば、かっこいい/イケてるものの裏には常に「ダサい」ことへの意識がある。
要は「二項対立」ですよ。
結局、人間は二項対立、という考え方が得意なんだと思う。
注意すべきは、決して「考え方/説明の仕方の全てが二項対立である」、ということではないんだと思う。
じゃあなぜ人間にとって二項対立が得意か?
「我々のDNAが二重螺旋構造だから。」
もしそうだったら何だか不思議というかなかなか面白い。
僕はそう思ってるってだけの話。
二項対立のハーモニー、それが美しい二重螺旋を織りなすのです。
世界は二重螺旋で説明できるって話。
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