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「しかいっぱい」かいた息子から、子どもを育てるうえでの大切なことを知った話

今から8年ほど前のこと。
息子2人ががまだ小学生のときに、
家族で奈良を旅行した。

小学生男子は当然古都に興味はなく、
奈良へ旅行を決めたのは私たち夫婦。
私と夫は高校の修学旅行以来となる奈良を満喫していた。

お決まりのコース、
東大寺、春日大社をお参りし、
鹿にせんべいをあげる。

その当時は阿修羅像ブーム。
興福寺へいき、阿修羅像を拝観。
ちょうどその頃、興福寺は
中金堂が修復工事中。

瓦の寄進を受け付けていたので、
我が家も「記念に」と1枚寄進させていただくことに。

その瓦には願いをかいていいということだったので、
墨と筆で家族の願いをかくことにした。

何をかこうか夫と考え、
中央に大きく「幸」の字を。
周りにそれぞれが自分の名前をかくことにした。

私、夫、長男、次男と書き終わって、
さあ係の人に渡しにいこうとしたときに
小学校低学年だった次男が、半ベソで
私と夫に抗議する。

「オレはもっと、鹿いっぱい、かきたかったんだよ!」

瓦の文字のバランスとしては整っていたので、
さらにかき加えるのはどうかな?と思ったが、
せっかくの旅行を
子どもたちにはやり残すことなく楽しんでほしかったので
「うん、わかった。かいていいよ」
と次男に言う。
次男は喜んで、筆でかきはじめた。

「しかいっぱい」

そう、ひらがなで大きく
「しかいっぱい」と書いたのだ。

てっきり
鹿の絵をいっぱい「描く」のかと思っていたので、
本当に「しかいっぱい」と文字を書いた次男に超びっくり。

でも「鹿」と聞いて「かく」と言われたときに
「描く」を思い浮かべたのは私であって
次男は「書きた」かったのだ。
「しかいっぱい」とひらがなで書いても
何の問題もないのだ。

鹿の絵を描くだろうと
決めつけていたのは、私。

子どもの発想は自由だ。
それを止めてしまうのはいつでも大人。

常識やこれまでの経験、思い込みで
物事を決めつけてはいけない、
子どもに押し付けてはいけないと悟った。

同時に自分の思い込みで
子どもの自由さや成長を
無意識のうちに妨げていることが
あるのかもしれないと怖くなった。

「しかいっぱい」を書き加えた次男は
それで満足。
瓦を係の人に渡した。

その興福寺の中金堂は、数年前に完成したらしい。
「幸 しかいっぱい」
と謎解きの暗号のような文が書かれた瓦を見て、
仏様も
「うん、そうだね…」
と思っていることだろう。

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