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保育園に預けるという選択が寂しくて不安でどうしようもないママに捧げる

やや炎上も覚悟で、 #保育園受かった 人へのメッセージを。

Twitterのタイムラインで今年も「受かった」「落ちた」の言葉が踊った。一年前は私も大学受験以来の緊張を抱えながら、仕事中に鳴った電話を「すみません! 今日は保育園の発表で」とワンコールで取った。相手も同じく働くママだったので、無事に保育園に受かったことが分かると手を取り合って喜んだのだった。

旦那も私も自営業である我が家には、育休なんてものはない。なんとしてでも認可保育園に預けなければ生活が維持できず、そのためにも0歳4ヵ月の息子を認可外保育園に預けるという選択をした(当時のルールでは認可外保育園に預けたという実績が認可保育園合格のポイントにつながった)。

激戦区での保活をどのように乗り切ったかという話は過去に受けた取材でも話したことがあるが、そこでは語れなかったことがある。それは認可外保育園に預けることが決まったときの葛藤だ。それは葛藤というよりも、情緒不安定な自分との戦い。慣らし保育(数時間ずつ預けて環境に慣らしていく期間)で2時間ほど預けた初日は、保育園近くのカフェで仕事でもしようかとパソコンを開くも、自分の息子よりも大きな子供たちがお母さんと楽しそうに過ごしている姿を見て胸がつかえてしまい、トイレに駆け込んでめそめそ泣く始末だった。悠々とランチをしている自分にどうしても罪悪感を覚えるので、子供が保育園に行っている間はお昼ご飯を食べられなかった。

基本的に仕事が大好きだし、産後も早く仕事させろー! とウズウズしていたので自分がそんな心境になったことに驚き焦った。まだふにゃふにゃとした子供を見知らぬ環境に預けることが本当に正しい選択なんだろうかと自問する日々。

保育園に入りたくても入れない人は沢山いるという大前提の中ではこんな声をあげるのはとても気が引けるけれど、一緒にいてあげたいというあたたかな母性に蓋をして無機質なパソコンの画面に向き合っている自分を虚しく感じたし、そうするしかない家庭の状況がただただ情けない。旦那にも当たった。愛情をたっぷり受けて育ったなあと感じる自分の半生を振り返ってみればそこにはいつも専業主婦の母がいたわけで。

思わず「保育園 寂しい」で検索。すると、私と同じような悩みが投稿される匿名掲示板の中でとある人のコメントが目に留まる。

母親が子供と一緒にいて幸せな時間はお金では買えないけれど、子供が希望する将来の道がお金で諦めなくてはならないこともある。子供が20歳30歳60歳になった時に、どちらを幸せに思ってくれるか。
母親が子供といて幸せ、の半分は母親自身のものだと思います。自分の幸せを早めに切り上げて将来のお子さんの幸せを考えるお母さん、立派だと思います。

親が自分の選択を正当化するための言葉と言われてしまえばそれまでだけど、当時の私はこの言葉にものすごく救われた。自分が向き合っているのは「保育園に預ける/預けない」という目の前の選択肢ではなく、息子のこの先の長い人生だと気付かされたから。

そんな発見があってから改めて息子が通う保育園のノートを見ると、私がひとり自宅で「はやく寝てくれないかな… あれしなきゃ、これしなきゃ」とピリピリ念じながら息子と過ごしているよりも、はるかにほのぼのとした空気に包まれているように感じた。

年上のお姉ちゃんにやさしく頭を撫でられたこと、ころころ寝返りをしてお友達にぶつかったこと、3歳児クラスのみかん狩りにおんぶ紐でついていったこと、いつものお散歩コースで出会うお気に入りの犬がいること。ただゴロンと寝ているだけの息子の毎日は目まぐるしい。

まだ自分で座ることもままならない息子に鬼のお面をつけて、節分豆の感触をじっくりと確かめさせるなんて、私一人では絶対にしなかったと思うし、クリスマスに赤いインクで鼻を塗られてお友達と並んで笑う子供の写真は今でも宝物だ。

実家が遠い私たち夫婦にとって、子育て経験のある人が一緒に子育てに関わってくれる人がいるのも心強かった。成長を一緒に喜んでくれたり、病気やケガをしたことを一緒になって心配してくれる人がこの街にいるというだけで、人生で初めて、自分の住んでいる街に愛着も湧いた。

あれから一年経ち、息子は今日も元気に保育園に通っている。時間はかかるけれど自分の足で歩いて登園できるようになったし、目が合えばお互いにキャハハと笑い合うようなお友達もいる。昨日はお誕生日会、今日は餅つき、明日は絵の具で全身を汚したりと相変わらず目まぐるしい毎日だ。心置きなく働く私は、一人でランチを食べるのもいつしか平気になった。

いま思えば、一年前に私が平日の昼間に見かけて「いいなあ」と羨ましく感じた親子は、本当は毎日保育園に通っていてたまたまその日がお休みだっただけなのかもしれない。貴重な時間をめいっぱい楽しんでいただけなのかもしれない。家族のことはその家族にしか分からない。し、正解もない。

ただ「保育園で良かった」「幼稚園で良かった」ではなく「お母さんの子で良かった」と思ってもらえる未来を、これからも子供と一緒に描く。働く自分の背中を息子は見てくれている、とはあまり思わないけれど、小さな身体で毎日保育園に登園する頼もしい息子の背中を見て、いつも励まされる。それを家族のパワーにして、精一杯の環境をつくることがいまの私にできることだ。

一年前の自分の心境といまの変化を残しておきたくて、noteを書きました。誰かの不安にそっと寄り添えていますように。

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