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8月下旬の雑感 純粋理性批判=HUNTER×HUNTERの制約と誓約?

いろいろしてる。いろいろできてない。お金があればいいかもしれない。
10月からの大学復学がとっても不安だ。今さら勉強なんてできるのだろうか?朝起きて授業に出席するのが一番億劫だ。


現代のSNS集客合戦

ファンクラブみたいなものを開設しているのだが、集客が鬼門すぎる。こういうのってTwitterのフォロワー多い人がやるのかな?

fanslyというプラットフォームはサイト内でリーチできるレコメンド機能がついているのだがonlyfansでは全くない。完全に閉鎖的なファンクラブなのが売りらしい。

そこでインスタやTwitterを利用して集客するしかないのだが、初動が難しい。どうやったらフォロワー増えるのか全く分からない。とりあえずコツコツ続けてみよう。

純粋理性批判 上巻 岩波文庫 カント著 篠田英雄訳

純粋理性批判の原理部分を読んだ。カントの書籍としては最も有名だろう。昔タイトルを聞いた時から、変な題名だと思っていたのだが読んでみてやっと意味が掴めた。

タイトルの純粋理性とはそういう哲学ワードがあるんだと思ってスルーしていたが、引っかかったのは批判というワードだった。今から純粋理性ってのを批判するのだと勘違いしていて、純粋理性なんて無いという結論なんだろうな~みたいな予想だった。

しかしカントは純粋理性に愛の鞭を加えるために批判をしているっぽい。
富樫先生の漫画『HUNTER×HUNTER』には制約と誓約という設定がある。念能力を使用する際に自身を縛るルールを決めて、それを破ったときのペナルティも設定できる。そうすることによって能力が格段に強くなるというワケだ。

純粋理性批判を書くにあたって、カントが説明していたのもだいたいこれだった。
形而上学というジャンルがある。これは読んで字のごとく形のない対象を扱う学問であり、神学や精神的な究極の問いを扱う。これは形がないから目に見えないので、当然だが科学的証明や批判ができない。だからこそスピリチュアルや宗教の世界は好き勝手やれてるわけだが、カントはこのルール無用さ自体が形而上学の強さであり弱さであると主張する。
反論できないということは何でも言える。その代わり、何の信ぴょう性もないということだ。

形而上学と対照的な存在として挙げられているのは論理学だ。
論理学とは簡単にいえば命題同士の関係を研究する学問であり、
A 私は人間だ
B 人間は哺乳類だ

という2つの命題から
C 私は哺乳類だ という結論を導く(定言的三段論法)
この例なら簡単じゃん!と思うかもしれないが、私・人間・哺乳類というワードが表す範囲であったり、それぞれの命題の論理的な包括関係をガチガチに決定して積み上げられた強固すぎる学問だ。

昔、自然科学が流行ったときに
論理学は既知の知識をこねくり回すだけで新発見がない!望遠鏡で星を発見する方が生産的だ!
という批判があった。しかしカントはまさしくこの点を論理学の長所として挙げているのだ。
(蓋然性推理を除いた)論理学には、前提に既知の知識しか使ってはいけないという制約と誓約がある。その厳しすぎるルールのおかげで、絶対に誤ちが起きないという特性を得ている。

カントは純粋理性という概念が膨大すぎて、自分一人では学問を完成させられないと悟った。学問の完成は後世の学者に任せ、カント自身がやったことは純粋理性学の限界を設定することだった。純粋理性学で扱える範囲を見極め、それ以上の範囲は扱えないと断言する。この制約を設けることにより純粋理性学の、学問としての能力を強化したのだ。
純粋理性批判の”批判”という部分のニュアンスは、そういうことらしい。


時間術大全 ジェイクナップ ジョンゼラツキー 櫻井祐子訳

今月買いだめた啓発本のラスト。これはもはや図鑑だ。

時間術に関する啓発本は沢山あるが、この本はかなり細かいところまで列挙しており、さらに分類をしっかりしている。

選択・集中・リフレッシュ・反省というジャンルで区分けし、それぞれに大量のノウハウを用意してくれている。そして読者はその中から好きなものだけをチョイスしてオリジナルデッキを作ればいいらしい。新設設計すぎる。

ノウハウの種類は、カフェインの半減期を利用した昼寝方法から、スマホから削除するべき時間泥棒アプリのアドバイスまで多様だ。

イラストを交えたユーモラスな書き口ですらすらと読めてしまうオモシロ図鑑だった。

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