アクセルとブレーキを踏み間違えることで人が死ぬ全体主義国家

大統領選を断念したバイデンですが、先日行われたトランプとの討論会では精彩を欠くなどでマスコミや同じ民主党からも声があがるなど立候補撤回要求の圧力は日に日に増していました。そういった中でのトランプ銃撃事件ではシークレットサービスの対応に疑問の声が上がるなどして長官は辞任に追い込まれました。確かに報道されている内容を追ってみるとSSのみならず現場の警官の動きにも疑問としか思えないようなものがあったようで、この事件は多くの人もそう思っているように、ただの個人的な動機による暗殺未遂とは思えないところがあるという印象を私も持ちました。

いずれにしてもバイデンの認知能力はここへきて大きく衰えていることが白日の下に晒されたことになりますが、本人にその自覚があるのかないのかということです。個人的意見としては認知症は本人にとっては自覚のないことで、しかし自己評価と周囲の評価に乖離があることで「認知バイアス」や「確証バイアス」がかかり、自己正当化をして心を閉ざしていく過程という側面もありそうだという感想を今回持ちました。

踏み間違えなどによる事故も様々な認知機能とともに正常な判断能力も失われていくことで、自分ではまだ大丈夫だという確証性バイアスのかかる結果なのではないか。つまり踏み間違え事故を起こす高齢者は「踏み間違うかもしれないという恐れ」とか「踏み間違えたときに引き起こされる結果」といったことに対する正常な判断能力自体が失われてしまっている結果なのではないかと。

踏み間違え事故についてはもう一つ、運転などのようにこれまでに長年に渡ってやってきたことは意識してするというよりも「体が覚えている」ところが大きいように思え、運転操作自体は意識にのぼるよりももっと原始的な脳の働きによるところがありそうであり、運転中の携帯使用が違反になる前は運転中に通話をすることもありましたが、通話が終わってから「通話中の数秒間ほど意識が完全に通話にとられて運転していた自覚がなかった」にもかかわらずきちんと運転できていたなどということも実体験としてありました。そのように運転操作自体はほとんど無意識に近い状態で行い、意識を向けるのは周囲の安全や信号などの交通規則の方ではないかと。

先日は細い行き止まりの道に迷い込んでしまい長い距離を後進で脱出しましたが、車は前進と後進でハンドル操作は真逆になり、というよりややこしい話ですが前進と後進では同じ方向にハンドルを切っても車のフロント部分の向きが真逆の方向になるということです。細い行き止まりの道から脱出するときに後ろを振り向いたり前を向いてサイドミラーを見るなどして視線を前から後ろからまた前へと移動しているうちにハンドルを切る方向に混乱を来してしまい、どちらにハンドルを切ればいいのか一瞬分からなくなるという出来事がありました。もちろんすぐにブレーキを踏んでハンドルを切る方向を確認すれば良い話で、踏み間違いで致命的なことは一旦止まって確認しようにもブレーキと思っているアクセルを踏み続けてしまうところにあるでしょう。

最近のHVはアクセルを離すなどの操作をすると車は減速するフェーズなのだと判断をして車のスピードを電気に変える「回生充電」をするようになっており、そのときにMT車のエンジンブレーキのような減速感を伴います。この減速感は結構なもので、HVでない普通のATガソリン車では長い下り坂などで意図してシフトダウンをしてエンジンブレーキを効かせるときでないかぎりエンジンブレーキというものはその機構上、ほとんど効きません。HVの回生充電はMTのエンジンブレーキほどの減速感があり、ブレーキなしでも徐行スピードまで減速しますが、さりとてそれほど急な減速でないときには減速中であるにもかかわらず少しアクセルを踏むなどしなければ速度が下がり過ぎてしまうという場面は日常的にあるものでしょう。私の軽トラはMTですが車検のときに代車を借りることで最近のHVの挙動をなんとなく理解しています。なおMTの場合は緩やかに減速するときはアクセルを離すだけでエンジンブレーキがかかりますが、エコを意識するならブレーキパッドを節約しつつ燃料カットをするためにギヤを一段下げ、より強いエンジンブレーキがかかるようにします。

というようにMTではHVのようなギミックではなく実際にシフトチャンジ操作をすることが速度に直結することで「MTを運転する以上は」そこに何らかの混乱を来す要素はありません。しかしATにおけるHVのそれはATにもかかわらず(これまでのガソリン車なら有り得ない)エンジンブレーキのような制動がかかり、そしてこれもそれまでのガソリン車なら必要のない「追いペダル」(減速が急すぎる場合にアクセルを少し踏む)が必要なことで減速しつつアクセルを踏むというそれまでになかった操作が、もしかすると「意識下」ではなくもっと根源的な「無意識領域」で混乱を来す要因になっているのではないかということを疑います。とにかくAT車はエンブレが効き難いこととクリープ現象によってMTと比べるとブレーキが本当に効きにくいもので、これまでのAT車は減速するときブレーキ以外は踏まない絶対に踏まなかったという特性などの影響もあるものと考えます。

それでも混乱を来してどうすれば止まるのかが分からなくなったとしてもとりあえずアクセルもブレーキも両方離してサイドブレーキを引いたり踏むという方法もあることはMTの運転者なら咄嗟に思いつくことです。

ということで認知症はアクセルとブレーキの混乱という機能不全を引き起こしたときに致命的な結果となり得え、本当に人命のかかった話ですが、今回のトランプを銃撃した人物は射殺されたことでどのような意図を持っていたかの解明は難しくなりました。しかし年末に大統領選を控え、討論会でバイデンが著しく評価を落とした状況だったことは、もし狙撃が成功してトランプが死亡していたなら得をしたのは誰か?ということは言うまでもなく明らかなことでしょう。普通ならいくらなんでも現職の大統領がライバルの立候補者の暗殺を企てるなどということがあるだろうかと考えるものですけど、アクセルとブレーキを踏み間違えるという信じ難いことが実際に起きているように、認知能力の衰えた高齢者は強い認知バイアスや確証性バイアスに支配されているのではないかという疑いをもつ必要があるでしょう。もし仮にですがトランプ暗殺未遂にバイデンが関わっているとするなら、もちろん刑事的に裁かれるべきで、そのうえでそういった正気の沙汰ではないことを認知症高齢者は起こしかねないという認識は広く共有されるべきでしょう。もっと深刻なのは仮にバイデンの関与があったのだとしても彼一人で全てをできるわけではなく指揮命令系統によって多くの人を経てその命令が伝達される必要があり、そのときに現職大統領の最大のライバルを暗殺するなどという異常自体に異を唱えてブレーキを踏めるものがアメリカ、ひいては白人世界にはいないのだという恐ろしさを我々日本人は共有するべきです。ですのでバイデンのような認知症高齢者の君臨する世界では第三次世界大戦へ突き進むことも核戦争に至ることも現実的でとても巨大な脅威として認識されて然るべきです。アメリカでは公職者や有識者を含めてそういったことに対する認識があまりにもなさすぎることに、上意下達の世界の危うさを今回の件は明らかにしたと言えます。白人世界は上からの命令は絶対のようなものであり、それは価値観は軍隊に近いものでしょう。白人世界は非白人からの統制が必要。