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11年間ALSの夫を介護している立場から

先日のALSの女性の事件について思うことを書いてみようと思います。

私の夫は2008年12月、44歳の時にALSと診断され、翌年の6月には人工呼吸器をつけました。わりと進行が早い方だと思います。あれよあれよと言う間に症状が進み、とても怖かったのを覚えています。小さな子どもが4人いたこともあり、本当にパニックでした。それでも両親や兄弟、娘たち、医療・福祉の方々、セラピストの方や友人の協力のもと、ずっと自宅療養を続けています(短期の入院は別として)。

その人の選択

今回の事件で、女性があのような形で死を選んだと言うことに対して、基本的に賛成でも反対でもありません。衝動的なものでなければ『その人の選択』だと思うからです。実行した2人の医師についても同様です。また、わが家の状況とはかなり違うので意見を言いにくいということもあります。

ただ、ご本人がどれだけ辛かったのか、絶望していたのか、そこに思いを馳せると言葉が出なくなります。結果的に逮捕者が出たというのも、社会的な影響が大きく後味の悪いものでした。

なってもいないのに「そんな病気になったら自分は死にたい」などと無責任なことを言ったり、かわいそうな人だと同情したり、医師たちを批判することなどを越えて、人間の生死について一人一人が深く考え、どんな社会を作っていきたいのかを模索するきっかけになったと信じています。

5年を経て、再び言葉を紡ぎたい

夫は5年前まで、口元の動きを使ってパソコンを操作して自分の意思や考えを、ものすごい勢いで伝えていました。インターネットも使いこなしていました。次第に口が動かなくなり文字が打てなくなったので、パソコンは長い間ホコリをかぶっていて、わずかな目の動きやまばたきでyes・noを伝えるのみでした。どんなにストレスだったことでしょう。

でも今、また意思伝達のための新しい機械(サイバーダイン社のCyin)を使ってパソコンを操作して文字を打つ練習を始めています。まだうまくいきませんが少しずつコントロールできつつあります。自由に意思を伝えられるようになるのも遠くないと思っています。

そんな夫に、yes・noで答える質問形式で聞いてみたのですが、「死んだ方がましだと思ったことはあるが、今は思わない」とのこと。夫の心の中は、波はあっても今はわりと穏やかなようです。

私たちは各々の環境の中、身体は健康でも前向きになれない時はあり、逆に身体は病んでいても心は前向きにいられることもあります。時に身体も心もどん底という場合もあるでしょう。それでもどの状態が優れているとか、ダメだとかはないし、ずっとそのままではありません。心や状況は常に変化しているのです。きっかけがあれば180度変わることだってあります。全てが人生の冒険の一環であり、貴重な経験だと思います。

優しい社会を

その上でやっぱり、どんな状況でも心が前に向けるような選択肢のある社会、だれでもゆっくり自分と向き合い、適切な心のサポートを受けられる優しい社会を目指したいと思うのです。今はまだこんな抽象的なことしかいえませんが、自分にできることを含めこれからも考えていきます。