変わらないといけないのは僕たちの方 ーーVtuber語りをやめる理由
この記事を書いた後に、いくつか「あれだけの文章を書けるのにやめるのはもったいないよ」といった声をいただいた。
そこで、ほんの少しだけ理由を追記しておきたい。
私が自分の緑仙のnoteを見てよくないと思ったのは、このnoteがあまりに
安全圏から書かれていたからだ。にじさんじやホロライブのライバーたちは、すでに数万人の人々を前に舞台に上がっている。
そのことを棚に上げて、noteを書くのは私の方が卑怯だと思ったのだ。
加えて、私たちはそろそろ、推し活と言う名目で神様や画面の向こう側の
存在としてものを描くのをやめたほうがいいなと考えていた。
私の周りにも、推しに依存し過ぎた結果、反転アンチ化してしまった
人たち、推しと自分を比べて劣等感で自虐を繰り返すようになってしまった人たちも見てきた。
ライバーの事を話せば自分の人生を棚に上げることができる。
でも、ライバーはすべてを背負うことができるわけじゃない。
だから、自戒の意味も込めて、あえてもう一度この言葉を引用しよう。
自分が不幸だったり、不機嫌だった理由に、ライバーを使ってはいけない。
私は「人は幸せになっていい」と月ノ美兎委員長に(勝手に)教わった。
だから、私は幸せになりにいくだけ、である