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批評から降りる ーー為末大『熟達論』を読んでの日記


為末大『熟達論』は、私がこの一年調子が悪いときにふと思い返して読む本である。この本の大きなポイントは、人の熟達のフェーズを考えるときに、これまでの「守破離」だけではなく、その前に「遊」、つまり思いっきりやることの重要性を説いていることである。
私がここ数カ月、文章を書いている中で悩んでいたのは、この「遊び」のなさだと感じるようになった。自分が文章を書いて行っている行為は、あくまで他の人たちへの論評でしかない。そして、歌は例外として、その言葉は経験が伴っていない。
もちろん、プロじゃないから意見してはいけないという事があり得るはずはない。ただ、今私が体感で思っているのは批評や分析を行う行為を繰り返しが付きすぎて、思い切って新しいことをやることができなくなっていることである。
そして、その言い訳にVtuberたちを使っているような気がしていた。
それはやはりあまりいいことではない。


・外国語

いくつかの言語で、その国の言葉の字幕があればドキュメンタリー番組を見る力がついてきた。そこでライティングを始める。
これまで書いたnoteの中で翻訳する意味があると感じたnoteを翻訳する。使う言語はフランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語(簡体字)、韓国語。
さいしょは無理をせず、徐々に文法と単語の精度を上げていく。

・絵と音楽(作る方)

とりあえず、触ってみることから。
あまりうまさとか考えずに音を鳴らす習慣を作る。線を書いてみる。


私の最近のVtuberに関するnoteでは、「自分の心の中をまっすぐ見てみるのが大事」と繰り返し書いていた。
だとすれば、いつかはnoteを書いている私自身も、少しずつ自分の置かれた環境、人との関係、そして自分の気持ちにまっすぐ向き合わなければいけない。私はいまそんな気持ちだ。


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