『窮鼠はチーズの夢を見る』-BL漫画と邦画における”ゲイ”の表象分析|Purple Screen Feature vol.3
🎬 Purple Screen Features🎬
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今月はPurple Screenを主催する、REINGのEdoのおすすめです。
🎬今月の映画🎬
『窮鼠はチーズの夢を見る』(”The Cornered Mouse Dreams of Cheese”)
『窮鼠はチーズの夢を見る』は2005~2006年のBL漫画を2020年に映画化した作品で、そのプロットや発想、描写は時代遅れに感じられる。
劇中では、大学を卒業してから7年経ったキョウイチとワタルの先輩後輩の関係が描かれている。キョウイチは大企業でマーケティング担当の仕事をしており、妻はキョウイチの浮気調査を私立探偵(ワタル)に依頼する。ワタルは不倫の証拠を持ってキョウイチに近づき、キスと引き換えに依頼人である妻には証拠を提出しないことを申し出る。出会った日からキョウイチに恋をしていたワタルは、映画が進むにつれてキョウイチとの性の関係を深めていく。
そもそもこの映画は必要以上にメロドラマ的であることに加え、目的もなく延々とプロットが続く。私はこの映画の学術的なメリットについては特に興味がない。なぜならばこれは物語のリアリティを追求するというよりは、視聴者を魅了し、刺激することを目的としたBLの描き方がベースになっているからだ。私が最も興味を持ったのは、BLの物語がメインストリームの中でどのように理解されているのかということである。
ゲイやクィアの関係の描写が適切に文脈化されていない場合にはどのような弊害があるだろうか。
映画の冒頭でワタル(この映画で唯一のゲイのキャラクター)がキョウイチの洗濯前の下着の匂いを嗅ぎ、それを着る場面があったりと、彼は「変人」として描かれている。彼は影から人を監視することを生業とする私立探偵であるが、唯一のクィアなキャラクターに盗撮をさせたりそれを不気味に描くという選択は、日本社会におけるゲイ=変態/不気味というイメージを直接的に示してはいないか。
さらに、彼がキョウイチにキスを脅迫するところから始まり、物語が進むにつれてオーラル・セックスや挿入を伴うセックスをしたりと、彼の要求はだんだんとエスカレートしていく。
一般的にシスジェンダーの異性愛者がゲイの男性に対して抱いているスティグマや恐怖の多くは、ゲイの男性は性的同意を理解しておらず、いつでも・誰にでも自分のペニスをすりつけてくるといった想像に由来する。
故に、ワタルというキャラクターは、実際には同性愛嫌悪の男性の恐怖心を強化し、ゲイ個人に対するスティグマや敵意を強め、ロッカールームやスポーツチーム、軍隊などの親密な空間での平和的な共存への障壁を作ることとなるだろう。
私はBLというジャンルを非難したいわけではない。BLは一般的にシスジェンダーの異性愛者の女性によって、他のシスジェンダーの異性愛者の女性をターゲットに、楽しむことを目的として作られている。そしてBLというジャンルには、男性優位の二項対立的な描写や多くのレイプ描写など、問題のある描写が好まれる傾向があり、そもそも同性愛関係を正確に描くことを意図したものではなかった。
私がひっかかるのは、メディアの取り上げ方の変化に伴い、一般の人々の間でクィアの物語の理解の仕方が変化し、BLとクィアの区別が難しくなってきている点だ。
ここ数年、メインストリームのメディアによるクィアの物語や登場人物の許容度が上がり、規模は小さくてもゲイの映画を目にする機会が増えてきた。かつて映画やテレビは自分とは異なる生き方を理解するためのツールの一つだった。だから、日本のメディアにおけるゲイの表現が増えることで、人々のゲイへの正確な理解や表現方法は少しずつ深まってきているといえるのではないか。
一方、クィアへの理解が深まっていない段階では、多少なりともクィアのリアルな人生を表現することを目的とした映画と、ストレートな女性にゲイの愛を「ファンタジー」として売ることを目的としたBL映画との区別は非常に難しい。
例えばNetflixやAmazonプライムなどでは、「窮鼠はチーズの夢を見る」と「チョコレートドーナツ」が同じLGBTQ+のコンテンツとして扱われている。BL漫画といえば、以前は書店において、”BLマンガ”や”女性向けマンガ”としてカテゴライズ / 陳列されるのが一般的だったが、ストリーミングサービスにおいてはBLとクィアの区別がつかなくなってきている。
アルゴリズムに頼って次の作品を推薦してくれる世の中だが、それらのシステムが「この2つの映画はつながっている」とするとき、観客はどうやって現実とファンタジーを区別することができるのだろうか。
この問いに対する答えはないが、メディアにおけるLGBTQ+の表現方法から、社会が彼らの役割をどのようなものだと認識しているかは知ることができる。
成田凌さんが報知映画賞とブルーリボン賞で助演男優賞にノミネートされたことは、ワタルの描写が今の日本の人々にとってゲイの現実を知るために有効だと思われたことを示していると思う。
私はBLの声を制限したいわけではないし、そもそもBLはLGBTQ+をとりまく現実の理解を進めるものではない。私はただ、人々のより多様なあり方と、LGBTQ+ひとりひとりの正確な描写を求めるだけだ。
いつの日か、クィアな人たちが語るクィアな物語が、現在の不正確な描写を凌駕するようになり、クィアな人たちが作るクィアな物語が、報知映画賞やブルーリボン賞のような全国的な舞台で評価されるようになることを願っている。
Recommender: Edo Oliver
Writer: Edo Oliver
Translator: Ai O’Higgins
Editor: Maki Kinoshita