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【1分小話】あなたのことわからない、とわかりたいを続けたい


人と話すことが好きだ。

対話が好き。

お客様とお話しするのも大好きだし、対話を見ていたいから演劇や小説が好き。




うまく説明しきれないけど、きっと「わかりあおう」とすることと「わかりあおうとする」姿に、尊さを感じるのだと思う。



最近、わかりあうことの難しさを感じている。

同じようなグループにいたり、同じような感情を持っていても、私の喜びとあなたの喜びは別のものだと思う。悲しみもしかり。



高校の時にたまに会って話す友達がいた。
彼はゲイだった。

私たちはよくファミレスのドリンクバーで語り合っていた。
私も楽しかったし、きっと彼も楽しんでくれていたと思う。

ゲイの彼と自分の性別に悩んでいた私の2人が持っていてる切なさとか社会に持ってるモヤモヤした気持ちは、同世代のみんなが持っている感情のなかでもすごく似ている感情だったし、私たちはよく「わかる」と言った。


それでも、きっと私のモヤモヤと彼のモヤモヤは似ているけれど、全て分かち合うことはできていなかったと思う。
すごく楽しい時間だったことに間違いはないのだけど。




きっとどんなに親しくても、どんなに同じ時間を過ごしても、誰かと気持ちを全てわかり合うことはできないと思う。


でも、分かり合えないことは全てが悪いことではなくて、人とわかり合おうとするその行為が、人と社会で一緒に生きていくことなのかもとも思う。
恋愛的なリレーションシップだけに限らず、友達とか、お仕事でお会いする方とか、出会う人とのこと。


お客様とお話ししている時もそうで、お客様が「似合う服を知りたい!」と言ってご来店くださる向こう側で、どんな気持ちでどんな景色を見たいと思っていらっしゃるのか、想いながらお洋服選びに寄り添うことができたら幸せだな、と思う。



わかり合えなくても、わかりたいと思いながら生きていきたいな。難しいけど。

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