私が死なない理由。本当に死ぬときはまず遊び倒してから!
※今回は希死念慮や自殺など、重たい内容を扱っています。苦手な方は無理せずブラウザバックしてください。
私は今、精神的に病んでいる。そして度々、死にたいなぁと思うこともある。メンタル疾患を経験した人は勿論、そうじゃない人も共感してくれると思う。けど私は、現段階では絶対に、自分が本気で死を選ばないことを知っている。
何故なら
「簡単に死ねることを知っているから」である。
そう、私は自殺未遂経験者だ。
自分の希死念慮を自覚したのは、中学生の頃。
思春期の私にとって、異性と話すだけで真っ赤になってしまう赤面症はまさに地獄だったし、親からの圧力が何よりもストレスだった。
住んでいたマンションの屋上から飛び降りようとしたことがある。幸い、怖さが勝って実行には移さなかった。
そして高校時代。第1志望の高校に落ちたことで親は私に失望したらしく、前ほどうるさく勉強しろとは言わなくなった。ただそれでも、世間的には異様なレベルで勉強へのこだわりはあったと思う。私の出来の悪さに失望した母が包丁を持ち出し、殺されそうになったこともある。
過去のあれこれと当時の生き辛さが積み重なり、私のメンタルは高2の頃に崩壊した。まず文字が読めなくなり、発熱が毎日続いたりと、精神的にも身体的にも追い詰められる日々が続いた。そして通信制高校へ転校することにもなった。
そんなこんなで、真似する人が出ると困るのでやり方は省くが、私は首を吊ろうと決意した。そして、実行した。
気が付くと床に倒れていて、頭が割れるように痛かった。どうやら紐の結び目が解けてしまったらしい。けど、さほどの苦痛なく意識を失えたことは、私へ逆に大きな希望をもたらした。
次は絶対に失敗せずに死ねるだろう。こんなに簡単に死ねるなら、もうちょっと生きてみても良いか。
こう思ったのだ。
私の首にはくっきりと紐の跡がついており、1週間近く消えなかった。しかし、そのことについて両親が触れることは無かった。
その後、大学受験にも失敗し、学歴コンプレックスモンスターが誕生する。新卒で入社した会社ではパワハラもセクハラも受けたし、転職先では早々に適応障害になった。
その間に何度も死にたいと思ったし、今も思ってる。でも私の原点にこの自殺未遂がある限り、ちょっとやそっとじゃ死なないと思う。
どうせ死ぬなら会社を辞めて、貯金使い切って遊び倒してから死んでやる。だって私は簡単に死ねるんだもの。
決して褒められた「生きる理由」では無いけど、自殺未遂したからこそ、私は死なない。
死ぬ気になれば、たいていのことは何とかなる。だから私は、もうちょっと頑張ってみる。