人は自分が見たい世界だけで生きれるようになった。(48日目)
主観と客観
この相反する2つのものの距離は、
テクノロジーの発展によってより大きなものになった。
リコメンド機能が発達すると、人は自分の好きなもの、心地の良いものにしか触れなくなる。これはめっちゃいいことで、ストレスなく生きれる社会が作られてきていると思う。でもそれは同時に、自分の当たり前というものが強く確立され、それ以外のものが異質で悪だと感じやすくなってしまうって事でもある気がする。
少しでも自分の心地良い円の外の情報が来ると、
すぐにとてつもないストレスと嫌悪感を感じてしまう。
なぜ世の中において、貧困や教育の格差は減ってきているはずなのに今が歴史の中で一番最悪の時代だと言っているようなメディアや本や人がいるのだろう。
それは多分、多くの人が客観という目を捨て、
主観というものに入り込みすぎてしまっているからかもしれない。
自分特有の当たり前が生まれやすくなった。
よく言われる言葉で、
周りの5人の平均が自分という言葉がある。
これは良い意味で言うと、環境を変え意識的に自分の周りの人を変えれば自分も成長していけるって
ことなんだけど
これは悪い意味で言うと、周りの5人の当たり前が
世の中の当たり前だと勘違いしてしまう可能性もあると言うことだ。
私の周りの5人は口を揃えて〇〇と言ってた。だからその他の人もみんな〇〇だ。この飛躍した理論が、多くの人の中には生まれている。
私も完全にそうなってしまっていたと思う。
これは、ある本で読んだ内容で
世の中には4種類の国というか人々がいて
•変化を好み革命を起こして行く人々(起業家とか発明家)
•利益を好み事業の拡大と成長を求める人々(銀行員や大企業)
•公益の中に生き、国という単位で正義を追い求める人々(政治家、国家)
•目の前の生活や家庭、安定を求める人々(サラリーマン、主婦など)
がいると。
そしてこの4種類の数は同じじゃない
変化を好み、リスクを犯して挑戦して行く人は
世の中の1%ほどしかいない。
利益を求める人々が10%ほど
公益の中に生きる人が2%ほど
それ以外が約90%だ。
周りの5人が同じタイプだった場合、その人の当たり前は完全に偏ったものになる。
自分は完全に1%の人間だった。
リスクを好み挑戦を好む、変化することが最大の目的である自分と同じ当たり前を持つ人は
世の中に1%しかいない。
私の周りの5人もこの1%の人間だったからこそ、自分は世の中みんなが変わることを心のどこかでは求めていて、挑戦をしたいという想いがあるけど出来ないのだと信じていた。
でもある本を読んで、それは凝り固まった自分の中の当たり前だったと気付いた。
その本のフレーズの中に
90%の人間にとって
『変化とは仕方なく訪れるものだ。』
というのがあった。
ハッとした。
自分は、自分の当たり前を押し付けていただけで
全く違う当たり前を持つ人の思考や心に寄り添えてなかった。
それぞれのタイプの当たり前を知ること。
そして影響を与えたいタイプの当たり前にあったアプローチをする事が1番大切な事なのかもしれない。
と、感じた日でした。
なんか何言いたいかわからないし、
うまくまとまってませんが、
これは私の為の私の思考noteなので
わかりやすさと文章構成は無視しますすいません笑