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大好きなINFJ君にドアスラムされた時の話/ENTPが執着するINFJへの想いと理解の終着点

心が痛いより、顔と財布が痛い方が数百万円分ましだ。

私だけだよ。誰も君を許しちゃいないよ。 彼女さんも親友君もここにはもう居ないね。 高校最後の席替え。INFJ君と前後。 飽きか信頼か見栄か軽率か もう勝手に君の上着を着て、 ペンを使って、君を所有する。 不変は嫌い。 でも君だけはここで私を甘やかしてよ。 私を必要としてよ。

自分が主となる時優しくするっていう上からの表現にしかならない。 思いやる心と優しさは似てるけど別物で、自分が優しさと思ってする行動は思いやりで、相手が優しいと思う行動と気持ちはそのまま「優しさ」として定義される。 そのどちらの認識も共通になる時にその人は「優しい人」になるのかな

なら逆に100%他者を想って生まれる優しさって優しさじゃない説。無自覚でやった行動がたまたま他人のためになって、感謝されて。だからこそ「そんなに気にしないで」って見返りも自己評価も求めずに謙遜できちゃう。 相手のこと100%の優しさは行動の偶然の結果にしか存在しないのか?

純粋に相手を想う行動って存在しないのか。 自分を媒介にする以上、洗脳的に「100%相手の為」と認識する異常者じゃないと、 共感は相手を気遣ったようで、自分のいい人の体裁を守る逃げの手段で、意見を通すことは相手の気持ちを尊重しない我儘な手段で、どんな思いやりも自分の為の手段になる。

大切な話をする時に、相手を見て考えた上で今質問してる事を分かって欲しくて、つい婉曲になる私の言葉は傲慢なのか。 相手を気遣ったつもりの長い導入は推論と共感のようで、自分が無礼者でない事の証明の為に告げているに過ぎないのか。 私の導入は相手に与えられる意味も価値も存在しないのか

  • INFJの君。ENTPの私。

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