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形あるものはいつか無くなる
小学3年生以来、親族を1人亡くした。
沖縄にいる、小さい頃から会えば優しく出迎えてくれる優しさが目から溢れている叔母さんだった。
その連絡は急でお葬式当日まで実感が湧かなかった。
半年前に会った時は、食パンに、いちごジャムとピーナッツバターをたっぷりつけて食べるのが楽しみで毎朝起きるんだ!と言うくらいキュートな叔母さんだった。
人が亡くなっている姿を見るのも初めてだったしお別れをして火葬してお骨を拾ってお墓に連れて行くという一連を全てみて思ったこと。
「人って亡くなってしまうと、こんなにも呆気なく終わるんだ」
ということ。
どんなに悲しくて周りが泣いても、火葬されてお骨になった途端、本当にただの骨だけが残る。
ついこないだまでお話ししてた人が、壺一つに収まってしまうという、呆気なさと、大きく見えていた命が小さく感じた。
悲しい中でも、その一連を目にして、
人生の中でどんなにももがいても、あらゆることに挑戦し経験しても、この世の終わりというくらいの悲しみがあっても、みんな最後の最後には骨だけが残る。
本当に今を精一杯過ごそう、やりたいことをやって、人に沢山愛を与えて、会いたいと思った時に会いたい人に会って、行きたい時に行きたい場所へ行って、見たい時に見る。
今はコロナでなかなか全てを行動には起こせないとしても、縮小してでも満足いく1日を過ごすことがどれだけ大切か感じた。
よく 「今日が命がある最後の日と思って過ごしてごらん、本当にやりたいことができるから」
とテレビの中のドラマで言っていたり、有名な言葉だと思うが私は今までこの言葉をあまり理解できていなかった。
今日が最後なら、食べたいものを食べて、遊んで過ごしちゃうじゃん!って子供みたいなことを考えていた。
でも今日その意味がわかった。
自分なりに解釈すると、
今日が最後だと思って過ごす
=目の前のことに真剣になること
ということに気づいた。
今日が最後だから
食べたいものを食べて遊んで後悔しない!ではなくて、今、目の前で話しているひと、目の前にある仕事、自分が使っているモノ、全てに愛を持って悔いなく接するということだと思う。
そうすればきっと充実した最後を過ごせるのだとおもう。
どんなに拒んでも悲しんでも、この世にある形あるもの、生き物は全て終わりがある。
それがいつかは誰にもわからないし、自分で手を加えない限り自分も分からない。
そんな日がいつか自分にも、自分が愛する人にも来ると思うと怖くもなるけど、それよりも、その時までを精一杯生きた方が、愛するひとに100%で接して思ってることを伝えた方が何倍も良い。
老死だけでも日本の中で1日に何人の人が骨になって天国に行っているかは分からないけど、この一連の流れが毎日どこかでずっと行われているということ。
それと同時に新しい命も誕生しているということ。
形あるものはいつか無くなるって
こういうことなんだ。
と噛み締めた一日。
そしてそれを感じれたからこそ、明日から1日1日を今まで以上に大切に過ごすことができると思う。
お骨となった今は、祖先がたくさん集まっているお墓の中でにぎやかに安らかに過ごしてほしいなぁとおもう。
そのお墓の中には少し厳しいおばぁもいるから賑やかながらもシビアな会話が繰り広げられていることでしょう(笑)
おしまい☺︎