春のカミーノ⑨ ~プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)にて
大変残念なことに、プエンテ・ラ・レイナの旧市街は、東西にかなり細長く伸びていた。そして私たちの今夜の宿は、その一番西の外れにあった。
ぺルドン峠で痛めた足を引きずり、やっとのこと目的地にたどり着いた喜びもつかの間──さらに1km以上歩かねばならない不運を呪った。しかしその宿をわざわざ予約したのは私なので、要は自分のせいなのである。
メインストリートのマヨール通りには、中世の時代に建てられたサンティアゴ教会や、石造りの館が立ち並ぶ。窓辺に飾られた花が愛らしい。平時であれば、歴史情緒に浸りながらそぞろ歩くには、ぴったりなのだが……
「ごめんね、宿が遠くて」午後の容赦ない日差しと疲れに喘ぎながら、私はさくらちゃんとMiwakoに謝った。
「ぜ~んぜん平気! なんか、どら焼き食べたら元気になった」さくらちゃんは相変わらず回復が早い。
そういえば、あのどら焼きを餞別にくれたイズミちゃんも、美人で回復の早い女子だった。仕事の徹夜であろうと失恋であろうと素早くよみがえった。
イズミちゃんは、昨年(2018年)の秋、私やMiwakoと一緒にカミーノのラスト100kmを踏破している。彼女の旅の目的は「イケメン探し」だった。
「別に、巡礼しに来てるわけじゃなくて、楽しみに来てるだけだもん」という彼女の衝撃的なセリフは、女子部の動画にしっかり記録されている。
🎦 熊野古道女子部 公式チャンネルより(イズミちゃんのシーンは 26:05-26:35)
Miwakoは相変わらずゆっくりと、苦しそうな顔をして歩いていたが、これがデフォルトなので、実際はそんなにこたえてないのかもしれない。足だって痛くないと言っていたし。
通りの中ほどには、にぎやかなバルが数軒。日の入りは夜9時過ぎなので、まだ白昼の明るさだったが、テラス席では巡礼者たちの大宴会が繰り広げられていた。
ぺルドン峠を無事に越えた打ち上げのようでもあった。巡礼も5日目を過ぎて、みんなそろそろ、どんちゃん騒ぎがしたくなったのかもしれない。
おなじみベネズエラファミリーが手を振っている。彼らの今夜の宿は、この2階のオスタルらしい。マリアが心配そうに、「大丈夫?」と声をかけてくれた。私はおそらく、苦行僧のような険しい顔で歩いていたのだと思う。
足を引きずり引きずり、ようやく旧市街の西の端っこにたどり着いた。町の名前にもなっている有名な王妃の橋(Puente=橋、La Reina=王妃)は、この少し先のアルガ川にかかっている。
私が予約していたのは、いわゆる民泊のアパルトメントホテルだが、まさにわざわざ予約するにふさわしい宿だった。何しろ1階が「こだわりのワインバー」なのだ。
ワインと美食を愛するセレブ主婦、さくらちゃんのために、私はこの宿を選んでいた。彼女にとっては、初めてのスペイン巡礼の旅である。毎日ただひたすら歩くだけで、夜は毎晩、メヌーと呼ばれる格安の巡礼定食に、巡礼用の安ワインでは気の毒だと思ったのだ。
しかし、よくよく考えてみると、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーを出発して以来、我々は毎日おいしいものばかり食べている。ワインについても然り。サン=ジャンとオリソンでは地元のイルレギーワインを、スビリとパンプローナではこれまた地元のナバーラワインを、ふんだんに飲んでいた。
それでもワインが水より安いこの国では、スペシャルなワインであっても、日本に比べると信じられないほど格安なのだった。
巡礼者が、食事や宿で贅沢することの是非については、もう結論が出ていた。ベネズエラファミリーが私たちの前に現れたのも、まさに天が遣わしてきたのだと思う。時にはアルベルゲ、時にはオスタル、そしてたまには、超高級ホテルに泊まったりもする彼らは、こだわりなく自由に巡礼を楽しんでいた。
巡礼が結局、自分の内側への旅であるのなら、ことさら質素な宿や食事にこだわる必要はない(質素な宿や食事をこよなく愛する場合は、別である)。Miwakoがどう思っているのかは不明だったが、私とさくらちゃんの見解は一致していた。
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1階のワインバーを経営する40代の夫妻が、アパルトメントホテルのオーナーでもあった。美食の街、サン・セバスティアンで修行をしたというご主人が、料理の担当だ。お店の壁面には、マニアックなナバーラワインがぎっしりで心ときめいた。
2階は広いリビングに、ベッドルームとバスルームが2つずつ。決してラグジュアリーではないが、すこぶるセンスの良いアートで飾りつけられていた。お嬢さんが、美術学校に通うアーティストの卵なのだそうだ。
Miwakoとさくらちゃんが先にシャワーを浴びている間、私は1階に下りて軽く飲むことにした。奥さんが運んできてくれたのはバスク地方の生ビールだった。サン=ジャンで飲んだものとは、また違うメーカーで、独特の爽やかな苦みがあった。
グラスを手に外のスツールに腰かけ、足をぶらぶらさせながら、夕暮れの生ぬるい風に吹かれた。さくらちゃんから拝借した「巡礼者の垂訓」の3番目には、こう書かれていた。
巡礼者は幸いである。巡礼を観想し、それが名前と何か新しいものの始まりで満たされていることを見出すならば。
これは少し難しいぞ、と思った。原文がないので、そこに書かれた日本語から解釈するしかないが、「名前と何か新しいものの始まり」とは何だろう?
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思えば、私はこれで4度目のカミーノだったが、ひとりで巡礼したことは一度もなかった。いつも取材チームや、今回のように熊野古道女子部の仲間と一緒だった。
毎日毎日、スケジュールや宿への連絡や食事の手配に追われ、こんなふうにビール片手にひとりでぼんやりする時間は、意外になかったと気がついた。
20代の頃は、出版社で文芸誌の編集部にいて、長い休みを取ることは難しかった。旅といえば、国内出張ばかり(作家の先生と一緒に、日本の山とか温泉とか神社とか)。大学では国際関係論を専攻したはずなのに、まったくもってドメスティックな日々だった。
パウロ・コエーリョの『星の巡礼』でこの道のことを知り、それから30代も半ばになって初めて、メキシコ、セドナ、ハワイ……と、海外の聖地へのトビラが次々と開いていった。そして、いつもひとり旅だった。
スピリチュアルな旅の本を書けたらなあと、夢みたいなことをふと願ったのはセドナだったが、聖地で考えたことは、簡単に天に届いてしまうらしい。いざ実際にそうなってみると、取材チームを率いて飛び回ることが増え、気ままにひとり旅をする時間はいつしか失われた。
冒険の旅は、ひとりでないと、という強いこだわりが、当時の私の中にはあったと思う。それは、巡礼者はストイックでないと、というこだわりと同じようなものだったかもしれない。
巡礼を観想し──これはつまり「自分の内側を観る」ということだろう。だとしたら、ひとり旅であろうと、傍らに友がいようと同じ、ということになる。カタツムリなMiwakoも、イケイケマダムのさくらちゃんも、私自身であり私の鏡なのだ。
いずれにせよ、カミーノを歩いていれば、旅の友というのは自然にできる。彼らとて、それが世界のどこの国の人であろうと、自分の内側を写す存在であることに変わりはない。
王妃の橋のたもとまで、ひとりで歩いて行ってみた。11世紀にナバーラの王妃が、巡礼者のためにかけた大きな橋。アルガ川は一昨日、私たちをひどく怖がらせたあの川である。
橋はあの世とこの世を繋ぐ存在だという。ここを渡って始まる向こう側の世界には、何が待っているのだろうか。
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そのころ、2階のアパルトメントでは大騒ぎが起こっていた。Miwakoとさくらちゃんがバスルームを2つ同時に使ったため、ブレーカーが落ちて真っ暗になってしまったのだ。Miwakoの叫び声を聞いて、奥さんが飛んで来たそうだ。
私が戻った頃には、もう騒ぎは収まっていた。二人とも、何事もなかったかのように、リビングでくつろいでいた。ハーブティーなんか飲んですましている。
バスルームが2つあっても、同時に使ってはいけないというのは、スペインでの学びだった。少しビクビクしながら、私もシャワーを浴びた。
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ワインバーでの夕食の前に、サックスの演奏をしてもいいかとMiwakoが訊くと、奥さんは悲しそうな顔をした。迷惑だったかとドキドキしたが、そうではなかった。
「ほら、うちはそんなにお客さんが多くないから……せっかく演奏してもらっても、聴く人がいなくて申し訳なくて」
Miwakoは一歩前に進み出て、力強く言った。「奥さんとご家族のために、ぜひ演奏させてください!」
確かに、町外れのこの店まで食事にくる奇特な客は、少ないようだった。私たちと、フランス人の巡礼者チームが1組。奥の席で熱心に聴いているのは、アーティストの卵のお嬢さんだ。あとは、Miwakoの後ろにずらりと並んだナバーラワインのボトルが観客だった。
Miwakoは今でこそ、都内でも有名なジャズクラブでライブをしたり、全国に熱心なファンがいたりするが、下積み時代は長かった。街角でのストリート演奏や、盛り場で流しをするなど苦労したようだ。
寒空の下、誰もいない駅前でサックスを吹いていたら、通りかかった学生さんが泣きながら聴いてくれたこともあったという。
幼なじみの私としては、とても信じがたいことだった。Miwakoは厳しいお家の箱入り娘で、子供の頃から物静かでおっとりしていたからだ。
高校を卒業して以来、東京で30年ぶりに再会し、そして今、こうして一緒にスペインの道を歩いている……考えてみたら、本当に不思議な成り行きだった。
誰よりも足の遅い彼女が、重い楽器を背負って800km歩き通した先に何があるのか──私は見届けずにはいられない気持ちになっていた。
温かい拍手に包まれて、ひとしきり演奏を終えたMiwakoをねぎらいながら、いつものように飲み倒れの宴が始まった。
久々にガヤガヤしたバルではなく、ここはお洒落なワインバーなので、三羽ガラスともいつもよりはおとなしめに。でもお酒の量はそのままに……
オーナー夫妻が厳選したナバーラワインと、手作りのおつまみのマリアージュは素晴らしかった。
Miwakoはこれまで、歩くのが遅いのと、日々の演奏のこともあって、飲み過ぎないようセーブしていたようだが、今夜はいつになくワインをよく飲んでいた。ピレネーに続いて、ペルドン峠も無事に越え、ひと安心したのだろう。
さくらちゃんは、もちろん今夜もよく飲んでいた。あまりにも居心地が良くて、しばらくここに滞在したいとさえ言っていた。そういえば、私がシャワーを浴びている間に、マヨール通りを歩いて戻って、サンティアゴ教会にお参りしてきたそうだ。
そんな元気があったことにもびっくりだったが、私が行ったときには閉まっていたのに、なぜかさくらちゃんのためには、教会の門戸は開くのだった。
今のところどう見ても、巡礼道にワインを飲みに来たようにしか見えないのだが……彼女にはカミーノで、彼女自身も知らないミッションがあるのかもしれなかった。
パンプローナを朝に出発してから、実に長い一日がようやく終わった。私たちの巡礼も明日で6日目。今回の旅ではちょうど折り返し地点となる。
王妃の橋を渡って、向こう側の世界へ、何か新しいものの始まりで満たされた世界へと踏み出すのだ──。
(春のカミーノ⑩ へ続く)
次の目的地は、星降る町エステージャ。
ここでまたしても、友情の危機が……!?
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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(春のカミーノ⑩ へ続く)