春のカミーノ⑮ 最終話 ~ナヘラからサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダへ
「今日は、先に出発するね」決意をこめた表情でMiwakoが言った。春のカミーノを歩き始めて、11日目の朝──三羽ガラスの巡礼、最終日である。
最後の日くらい、仲間に迷惑かけたくないのだという。今日の行程は、ナヘラからサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまでの21.3km。幸い、ほぼ一本道なので迷う心配はなさそうだ。
後半のシルエーニャから先、ラスト7kmは今回の旅で一番のハイライトの絶景だ。ここはぜひ一緒に歩きたい。菜の花畑をバックにサックスを吹くMiwakoを、動画で撮影しようと私は考えていた。
シルエーニャは小さな村で、バルも一軒しかない。そこで落ち合うことにして、Miwakoは楽器を背負って出発した。私とさくらちゃんとヒーサンは、ゆっくり身支度し、旧市街の川沿いのバルで朝食をとった。
朝からめずらしく、タパスにトルティージャ(スペイン風オムレツ)も並んでいる。昨夜の残り物には違いないのだが、なかなか良い味だった。Miwakoも多分、ここに立ち寄ったはずだが、ちゃんとオムレツを食べただろうか?
次のアソフラまでは約6km。人の背丈より低いブドウ畑が、どこまでも続く。私は、昨日のヒーサンとの会話を反芻していた。この世界に求められて、作家になった──私の分身であり鏡であるヒーサンを通じて、カミーノから贈られた言葉だった。
このメンバーで今回カミーノを歩かなければ手に入らなかった、大切な宝物だ。そして宝物を受け取ったからには、必ず生かさなくてはいけない……パウロ・コエーリョの『星の巡礼』の一節になぞらえて、私はひとりごちた。
20年以上も出版社に勤めていたのだから、人脈もあるし、最初の著書を出すには近道だったと言う人もいた。でも、それは同時に「20年もかかった」ということなので、近道どころか、ひどく遠回りだったともいえる。
遠回りだったけれど、私の場合は、それが必要な時間であり経験だったと、今では思う。これまでカタツムリなMiwakoに舌打ちばかりしてきたが、私こそ、筋金入りのカタツムリとして生きてきたのかもしれない。
私が出版社に入ったのは1993年で、携帯電話もインターネットも一般的ではなかった。もちろんスマホもなかった。今ではブログやSNSや様々なプラットフォームがあり、「書いて発信する」ことを取り巻く環境は一変した。
誰でも書いて発信できる時代だからこそ、「自分だけに課せられた役目として、何を書くか?」は吟味してゆきたい。それが、作家への本当の近道ではないか──そんなことを話しながら、ヒーサンと並んで歩いた。
彼女が知りたかったことを、私は伝えることができただろうか?
見渡す限り、あきれるほど一面のブドウ畑だった。濃いワインの香りでくらくらするような気がした。太古の昔から、ワインは人類と共にあり、意識の変性を促してきたのだ。一日が始まったばかりなのに、もう今夜の宴が待ち遠しかった。
ヒーサンが立ち止まり、改まった面持ちで、私とさくらちゃんの手をとった。
「ここから先は、ひとりで行きますね。お別れするとき、泣いてしまいそうだから」
そう言いながら、ヒーサンはもう泣いているように見えた。聖地サンティアゴに向かって、ワインの畑の中をゆくヒーサンの姿を、私は写真に収めた。
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アソフラの村は、『星の巡礼』にも登場する。パウロとペトラスが泊まったという民家はどこだろうかと思いながら、私はバルでコルタードを注文した。さくらちゃんは、Miwakoのことがやはり気がかりなので、ひと足先に行くという。
久々にまたひとりになった。
お隣のテーブルでは、韓国人の夫婦が、大きなナポリターナ(スペインのチョコデニッシュ)を仲良く分け合っている。数日前、Miwakoが演奏した移動販売カフェでも、一緒だった人たちだ。私と同じくらいの年齢だろうか。
人生は選択の連続だというが、こんなふうに夫婦で巡礼道を歩く人生が、私にも用意されていたのだろうか? 白状すると、小学生の頃、結婚なんて絶対したくないと思っていた。女だからといって苗字が変わるなんて、まっぴらだと思っていたのだ。
子供の頃に発動した念というか、言霊というのは、あなどれないものだ。私はそれから、たいていひとりぼっちだった。もちろん、他にいろいろ理由はあるにせよ……
夫婦別姓とか事実婚とかLGBTQとか、将来、そんな世の中が来るんだよと、小学生だった私に教えてあげたい。ついでに、目に見えない世界のことが、当たり前に語られる時代が来る、ということも。
小一時間ほど小走りして、さくらちゃんに追いついた。Miwakoにはまだ出会えてないという。もうシルエーニャのバルに着いているのかもしれない。あまり待たせては気の毒だ。私たちはピッチを上げた。
シルエーニャまでは、しばらく上り坂が続く。村の少し手前にゴルフ場があって、小ぎれいなクラブハウスも見えた。「あー、ゴルフしたいなあ」とさくらちゃんが呟き、私はゼェゼェ息を切らしながら、ひそかに舌を巻いた。まったく、疲れ知らずとはこのことだ!
聖ヤコブの名を冠したシルエーニャでただ一軒のバルに、Miwakoの姿はなかった。誰に聞いても、笠をかぶった日本人女性を見た人はいなかった。どこで追い越したのか謎だったが、しばらくビールでも飲んで待つことにした。
テラス席に陣取り、ひとまず乾杯した。目の前を巡礼者が通るたび、「ブエン・カミーノ!」と声をかけ合う。ここからサント・ドミンゴまでは、ひたすら小麦畑が続くだけなので、考えてみたら、私たちにとって最後のバル休憩だ。これは楽しまないと……
以心伝心。さくらちゃんが、リュックから真空パックの生ハムを取り出した。生ハムといえば、やはり赤ワインだ。「どうせミワコさん、当分来ないよ。飲んじゃえ!」──というわけで、夜を待てないフライング宴会が始まった。
そういえば、カミーノを歩いている途中のバルで、さくらちゃんがワインを飲むのは初めて見た。彼女は毎晩、泡白赤のフルコースなのだが、日中はたいていソフトドリンクか生ビールだった。
「ほんとは朝でも昼でも、ワイン飲むんだけどね〜」スペイン人のように生ハムを手でつまみながら、さくらちゃんは笑った。「今回は、旅行じゃなくて、巡礼だから……ほら、私って案外まじめだからさ」
聖ヤコブの時間とバッカスの時間を、ちゃんと分けているということか。ちなみにビールはチェイサーなので、お酒には入らないそうだ。
さくらちゃんは25年もの間、旅行も夜遊びも封印し、子育てに専念していた。私が会社に勤めていたのと、ほぼ同じ年月だ。これまで全く違う人生を歩んできた私たちだったけれど、熊野古道とスペインで、巡礼時間はぴったり重なっていた。
ワインのグラスが空になっても、Miwakoは現れなかった。やはりどうやら、待ちくたびれて先に行ってしまったようだ。ハイライトの絶景を一緒に歩けなかったのは残念だけど、きっとMiwakoにはMiwakoの、巡礼時間があるのだ……
この景色を見てもらいたくて、3年前と同じ5月を選んだのだった。正確にいうと、一週間ほど日程がズレていたので、菜の花の盛りは終わっていた。それでも、どこまでも果てしなく続く一本道と、波打つ緑の小麦畑は、心を震わせるような美しさだった。
そして、道のはるか彼方に、聖ドミンゴの町が見えてきた──。
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旧市街に入り、町の信徒団が運営するアルベルゲで、巡礼手帳にスタンプをもらった。通りの先には、私たちの今夜の宿、パラドールが待っている。憧れのパラドール! お城や修道院などを改装した、国営の高級ホテルチェーンである。
ここのパラドールは、元は聖ドミンゴのお屋敷だったということで、有り難みもひとしおだ。聖ドミンゴは、巡礼者のために敷石(カルサーダ)の道普請をした有徳の人物であり、奇蹟のニワトリ伝説でも知られる。
さて、案の定というか、嫌な予感は的中して、Miwakoの姿は見当たらなかった。またしてもエステージャの神隠しの二の舞だったが、今回はどこでどう行き違ったのか、さっぱりわからなかった。
何度もメッセージを送ったが、いっこうに既読にならない。やはり、Miwakoを野に放ってはいけなかったのだ……
絶望しかけたそのとき、着信があった。「いまから行きます」とだけ書かれている。いまから行きます? 私とさくらちゃんは、顔を見合わせた。
Miwakoが到着したのは、それからさらに2時間以上も後だった。かいつまんで話すと、彼女はゴルフ場のカフェでずっと待っていたのだった。どうもおかしいと思って地図を見て、あわててメッセージを入れたのだという。
なんでわざわざ、そんなところに……と私はあきれたが、もっと衝撃的な事実が判明した。
あのシルエーニャからの絶景の道を、通らなかったというのだ。ゴルフ場から出てすぐ右に折れ、迂回路の国道を通って、ここまで来たという。それはものすごく遠回りなうえに、もちろん景色は全然良くない。
友の無事を喜ぶべき場面であったのに、私は落胆のあまり半泣きだった。つい今朝ほど「遠回り」について礼賛したばかりだったが、国道を通っただなんて、ホントありえない……
「でもね、いいこともあったんだよ」私を慰めるように、Miwakoは無邪気に笑ってみせた。同じように道に迷っていた日本人の若者に出会い、ストックをプレゼントしたのだそうだ。ロス・アルコスのオスタルで、あの風変りなオーナーがくれた青いストックだ。貧乏旅行の学生さんで、ものすごく喜んでくれたという。
数奇な縁で手に入れたストックに、このままサンティアゴまで旅をさせてあげたいと、Miwakoは思ったに違いない。それはオーナーの望みでもあったはずだ。
私は深く息をついた。Miwakoの心の美しさの、半分でも私にあったら……と思わずにはいられなかった。それが身につくまでは、Miwakoは何度でも神隠しにあって、私を揺さぶり続ける。宇宙はそういう仕組みになっているのかもしれない。
「さて、ワインでも飲みますか~」
さくらちゃんが、バッカスの時間の始まりを告げた。
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ヒーサンにメッセージして、ディナーの場所を伝えたら、ちゃんと来てくれた。今夜は旧市街のこぎれいなアルベルゲに、宿を取っているという。巡礼女子会ファイナルはいつもよりちょっと高級な泡で乾杯だ。
日本から持参した、田辺市熊野ツーリズムビューロー謹製「共通巡礼手ぬぐい」を、さくらちゃんからヒーサンに進呈した。熊野のヤタガラスとカミーノのホタテ貝をプリントした個性派アイテムだが、彼女が身につけると、ぐっとお洒落にみえる。
中世の昔から、カミーノはまさに命がけの旅だった。道沿いに多くの巡礼者供養の十字架があるのが、それを物語っている。病に倒れたり、盗賊に襲われたり……その辺りは、姉妹道である熊野古道と同じだ。
現代では、さすがに命まで落とすことは少ないだろうが、サンティアゴにたどり着けずリタイヤする巡礼者は、結構多い。健脚な若い人ほど、無理をして足を痛めたりする。じわじわゆっくり歩く者が、最終的には勝者だったりするのだ。そう、Miwakoのように……
ヒーサンは、私やさくらちゃんと同じウサギ型だったが、きっと無事歩き通すに違いない。そして、次は熊野古道を完歩して、DUAL PILGRIM(2つの道の巡礼者)の仲間に是非なってほしい。
「ミワコさんにもらった大事なお守りがあるので、大丈夫だと思います!」
何のことかと思ったら、私の著書のスペイン本のことだった。今回私はここで旅を終えるけれど、本はヒーサンと一緒に、サンティアゴをめざすのだと思った。あの青いストックと同じように。
「カミーノを歩いたら、絶対、熊野に会いに行きますね」ヒーサンは力強く誓ってくれた。私たちは三人とも東京在住だったけれど、そのときは何をさて置いても、熊野に駆けつけると約束した。
明日は早朝にアルベルゲを発つという。これで本当にお別れである。
「自分だけに課せられた役目として、何を書くか……探しながら歩きます」ヒーサンは私にこっそり囁いた。
アルベルゲの門限は10時で、現在9時55分。お互いの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。カミーノで出会った私の分身であり鏡であり、希望であるヒーサンの行く手に幸あれ。
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パラドールの窓辺で夜風に吹かれながら、私はさくらちゃんが読み上げる「巡礼者の垂訓」を聞いていた。Miwakoは疲れて眠り込んでいる。
9番目の文言は、旅の締めくくりにふさわしいものだった。
巡礼者は幸いである。真理を求めて、巡礼を、道であり、真理であり、生命である方を求める「生命の道」にするならば。
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世界遺産、ブルゴスのサンタ・マリア大聖堂の美しさは揺るぎないものだった。貴婦人のように気高く、堂々としている。
サント・ドミンゴからブルゴスまで、私たちはタクシーを飛ばして移動した。歩けば丸3日かかる距離だが、僅か1時間あまりで到着してしまった。ひどく傷ついたような顔をしているMiwakoを、私は慰めた。
「大丈夫、また歩きに来ればいいんだから」
にわか教会マニアのさくらちゃんは、実に2時間以上もかけて、大聖堂内を見学していた。ここに住みたいくらい、気に入ったそうだ。彼女の前世は聖職者であったということは、ほぼ確定だった。中世の修道院で、トラピストワインやビールを作っては、自ら飲みまくっていたのかもしれない。
昨日まで巡礼者だった私たちは、今日は観光客に早変わりしていた。お土産屋さんの黄色いビニール袋がよく似合っている。
大聖堂前の広場で、Miwakoがサックスを吹いていると、あっという間に子供たちに取り囲まれた。マドリッドから遠足にやって来た、小学生のグループだった。
「オーバー・ザ・レインボー知ってる?」Miwakoが語りかけると、イェーイ!と歓声が上がった。小さな手から、楽器ケースに次々とコインが投じられた。ペアになってダンスを踊りまくる男の子もいた。
私たちは今夜ブルゴスに一泊し、明日の午後の便で日本に帰る。
3年前の取材で訪れたとき、写真家の井島氏も、熊野本宮の鳥居さんも、アシスタントのアヤちゃんも、この町ではいつになく深酒してしまった。古都ブルゴスの魔力、だったかもしれない。
酔っ払い警報を発令しながら、私はMiwakoとさくらちゃんをバル街にいざなったが、いまや普通の観光客となった二人は、さほどムチャ飲みはしなかった。
それでも、これで3軒目。時刻は深夜を回っている。すぐ後ろの席では、私たちより少し年上のガールズがワインを飲んでいたし、他にも女子だけのグループがたくさんいた。
「まさに “Girls Just Want To Have Fun” だね」昨日までの巡礼の日々を懐かしむように、Miwakoが呟いた。
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翌朝──Miwakoはうんと早くから大聖堂前の広場に繰り出し、出発まで時間を惜しんで演奏し続けた。石造りの建物に反響し、風に乗って音色は遠くまで、ずっと遠くまで運ばれていった。
ヒーサンやハイカさんや、ベネズエラファミリー、アイルランドお達者チーム、市川青年……カミーノをゆく全ての巡礼者たちのもとまで、この音が届いてほしいと願った。
🎦 私たちの故郷、富山の民謡「こきりこ」をMiwakoアレンジで
🎦 Miwakoのオリジナル曲「星の遠足」
広場の向こうを、昨日の遠足の子供たちが、列をなして横切って行った。遠くから手を振ったり、拍手をする子もいて、そのたびMiwakoは会釈して応えた。
星の遠足──タイトルからして、春のカミーノにピッタリだ。広場をゆく子供たちと、Miwakoは同じ心を持っている。同じ心でフルートを吹いているのだと思った。
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ブルゴスの駅で、マドリッド行きの特急列車を待つ。改札が始まるまでは、あと30分くらい時間があった。
「2杯は飲めるね!」とさくらちゃんが言って、私はカウンターで赤ワインを注文した。最後の1分1秒まで、ワインを飲み続ける人たちなのだった。
サン=ジャン=ピエ=ド=ポーでさくらちゃんの誕生日を祝い、雨のピレネーに向けて出発してから、213kmを11日間かけて歩いたことになる。
あり得ないくらい健脚で、最後まで涼しい顔をしていたさくらちゃんだったが、実は私と同じくらい足首を痛めていて、サポーターを巻きながら歩いていたという。そんなこと、私は全然気づかなかった。
「ほら、玲子さんもミワコさんもカミーノ歩いているけど、私は初めてでしょ? 絶対に心配かけたくなかったんだよね」
さくらちゃんはあっという間にワインを飲み干し、2杯目は自分で注文しに行った。このペースだと3杯はいけそうだった。
「ミワコさんは、足は大丈夫?」恐る恐る訊いてみた。
「本当に、申し訳ないんだけど……」済まなそうな顔をして、Miwakoは小声で言った。「まったくなんともないんだよね……」
ぎゃふんと言わされる、とはこのことである。ゆっくりのペースであれば、このままサンティアゴまでだって歩けると思う、と彼女は言った。まったく──半年くらいかけて歩いたらいいさ。誓いを破って私は、立て続けに舌打ちしたのだった。
「新しい本は、書けそう?」ワイングラス越しに、私の顔を覗き込むようにして、さくらちゃんが言った。
私は曖昧に笑ってごまかしながら、内心ため息をついていた。
確かにちゃんと歩きはしたが、夜毎ワインを飲みまくって、おいしいものを食べて、女子会して……の繰り返し。残念ながら、小説にもエッセイにもなりそうもない。そもそも、スケジュールの都合により、尻切れトンボで巡礼は終わっているのだ。
「大丈夫! 旅はまだこれからも続くみたいだよ」
さくらちゃんはニヤリと笑って「巡礼者の垂訓」の最後、10番目の文言を読み上げた。
巡礼者は幸いである。あなたは巡礼が終わったときに、本当の巡礼が始まることを知るのだから。
いつの間にか、Miwakoがスケジュール帳を広げていた。9月の上旬なら空けられるよ、と満面の笑みだ。
違う違う、そういう意味じゃない……と訂正しようとしたが、きっともう手遅れなのだ。カミーノでは、因果応報が最速で訪れる。私の舌打ちはさっそく天に届いたらしい。
「ミワコさん、よかったね。次の巡礼の旅に乾杯! サルー!」さくらちゃんがワイングラスを高々と掲げた。
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追記。
本稿「春のカミーノ」は2019年5月の旅の記録です。拙著『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』に掲載したエッセイ「星に導かれて巡礼の旅へ」の続編として、自由に書かせていただきました。
カミーノの美しい写真の数々は、2016年の取材時に、写真家の井島健至さんに撮影いただいたものから抜粋しました。(スナップ写真は、私や現地の方などが撮影)
なかなか海外に行けない日々が続いていますが……
私たち三羽ガラスのささやかな物語が、皆様の心に、旅の楽しみという明かりを灯したのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
2021年5月 髙森玲子
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