冬のカミーノ③ (『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』より)
■前回までのあらすじ
2019年の12月、幼なじみで音楽家のMiwakoを相棒に、私は初めての冬のカミーノに挑戦していた。イテロ・デ・ラ・ベガからレオンまでの約130kmを7日間かけて歩く。メセタと呼ばれる乾燥した大地が果てしなく続くルートだ。
5キロの重さのアルトサックスを背負ったMiwakoは、カスティージャの乾いた寒さの中を、地を這うようにゆっくりと進む。スペインのカタツムリも驚くほど、歩くのが遅い。
あまりに歩く速度が違うので、私は毎朝、Miwakoより1時間遅れで出発し、途中で追いつくことにしていたが、彼女はいつも想定外の行動で、私を困惑させるのだった。
子どもの頃からせっかちで効率主義の私にとって、Miwakoはまさに「天から遣わされた試練」といえたが、道中、ピュアな彼女が奏でる音楽によって、私の心根は少しずつ変化していくのだった──。
新装版『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』で好評だった旅日記エッセイ「星に導かれて巡礼の旅へ」より、冬のカミーノ編の全文+note限定エピソードを掲載します。
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【4日目】カルサディージャ・デ・ラ・クエッサ~サアグン(21.7km)
冬の巡礼者は本当に少ない。特に今回のようなマイナーな行程ではなおさらだ。
道は単調で、さほど見どころもないということで、3年前の取材では、アベルのバスで飛ばしてしまった。そのことを謝りたいくらい、実は魅力的な道だということに、私は気づき始めていた。
昨日は3時間遅れのスタートで痛い目に遭ったので、今朝は用心して、いつも通り、Miwakoより1時間だけ遅れて出発することにした。
途中の小さな集落、モラティノスの入口には不思議なものがあった。古墳を思わせるこんもりした丘に沿って、ホビットの住処のような横穴がいくつも並んでいる。
説明書きによると、500年前のボデガ(ワイン醸造所)跡だった。どう見ても、ホビットのお家だ。ここにゴミを捨てたり、トイレをしてはいけないとも書いてあったが、そんなことをしようものなら、恐ろしい災いが降りかかりそうだった。
ふと見ると、バルとして営業しているボデガがあったので、迷わず暖簾をくぐった(もちろん暖簾はないのだが)。濃い味の赤ワインと、お勧めの魚のスープ。いずれもこの世のものならぬ美味しさで、私は盛んに舌鼓を打った。
窓辺には看板猫が5〜6匹、ひなたぼっこしていた。向こうの塀の上には、見張り番をしているような猫もいた。食事を終えて外に出ると、彼らもお昼の時間だった。ものすごく熱心に食べている。店の女の子が私にウインクして「ぺスカードよ」と言った。私と同じものを食べていたのだ。
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気がつけば、いつの間にか辺りは薄暗かった。サアグンの手前で追いついたMiwakoに聞いてみたが、そんな店はなかったという。もちろん、歩くのに必死な彼女が見落としたに違いないが、私は少し動悸が早くなったのだった。
【5日目】 サアグン~エル・ブルゴ・ラネーロ(18.7km)
サアグンは大きな町で、宿もたくさんあったが、そのほとんどは閉まっていた。公営のアルベルゲ(巡礼者専用の宿)にも「3月2日まで休館」という貼り紙があった。
私が予約していた宿も、2日前になって「閉めるから、キャンセルしてほしい」という連絡があって慌てた。
マヨール広場に面したこぎれいなオスタル、エル・ルエドII に泊まれたのは、本当にラッキーだった。1階はバルになっていて夕食にもありつけた。
翌朝は、私もいつもより早めに宿を発ち、冷たい雨の中を歩いた。だんだん本降りとなり、レインウェアの中まで雨がしみてきた。全身ずっしり重たく感じながら、黙々と歩き続けるしかない。
サンティアゴ巡礼は、一歩一歩、歩くたびに、要らないものが少しずつ剥がれ落ちてゆく旅だと思っていたけれど、私はますます、余計なものをしょい込んでいるのではないか? そんな恐ろしい考えが頭をもたげたが、人は雨に濡れて体が冷えると、悲観的になるものだ。
一刻も早く今夜の宿に着きたかったが、途中の村で趣きのあるバルを見つけたので、ひとまず雨宿りと決めた。温かいコシードスープがあったのは有り難かった。まだ日は高かったけれど、赤ワインも注文した。
コシードスープは、肉や野菜を煮込んだあとの濃厚なスープで、極細の短いパスタが底に沈んでいる。かつては「具の入っていないスープ」として軽くみていたのだが、体が芯から冷える冬のカミーノでは、何にも代えがたい救世主だった。
ついでにストーブのそばで濡れた手袋を乾かしたが、そのままそこに置き忘れてしまったのは、一生の不覚だった。長年巡礼をともにしてきた手袋とそんなふうに別れてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
※手袋は後日、雨具のポケットから無事発見された
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今夜の宿、オテル・カスティージョ・エル・ブルゴは、ドライブインに併設されたモーテルだ。旅行者や地元の若者たちで大いににぎわっていて、中世の巡礼の世界から、一気に現代に引き戻された。
Miwakoは先に到着していて、食堂のカウンターでガリシアの生ビールを飲んでご機嫌だった。気のせいか、ずいぶん歩くのが速くなったみたいだ。
すっかり余裕の表情で、スペイン風ポテトサラダをつまみに、地元産のロゼワインにも手を出している。
Miwakoが初めてカミーノを歩いたのは、今から一年前、2018年の秋だ。
私が主宰する「熊野古道女子部」の仲間たちと共に、サリアからのラスト100kmを歩く旅。私たちの活動を追ってくれている奇特なTVディレクター中島英介氏に、巡礼ドキュメンタリーを撮ってもらう、というプロジェクトだった。
🎦 熊野古道女子部 公式チャンネルより
人並外れて歩くのが苦手なMiwakoにとって、見知らぬ土地で、重い楽器を背負って何日も歩き、道々で演奏するというのは、相当なプレッシャーだったと思う。サンティアゴに無事たどり着くまで、Miwakoはワインを口にすることはなかった。そういうときの意志の強さは、彼女の遅いが着実な歩みと同じく、ゆるぎないものだった。
いま私の目の前で、上機嫌でロゼをお代わりしているMiwakoは、相変わらずおっとりと笑っていたが、要らないものをすべて手放してよみがえった人のような清々しさと、決意みたいなものが伝わってきた。彼女の音楽も、新たな地平めざして変わってゆくのかもしれない、そんな予感がした。
小学校時代の親友の「よみがえり」を心から祝福しつつ、私は同時に、取り残されたような寂寞も味わっていた。
冬のカミーノの旅も、残すところあと2日。レオンの町に着くまで、私はMiwakoに追いつくことができるのだろうか。
(冬のカミーノ④ に続く)
◆初出 『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』(実業之日本社刊)
※一部、note限定の書き下ろしです
お読みいただきありがとうございました。名残惜しいですが、次回でいよいよ最終話となります!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
(冬のカミーノ④ に続く)