冬のカミーノ④ 最終話 (『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』より)
今回が最終話となります。
■前回までのあらすじ
2019年12月。初めての冬のカミーノも終わりに近づいていた。今回の旅の相棒、幼なじみで音楽家のMiwakoは、信じられないほど歩くのが遅く、私を悩ませ続けたが……彼女はいつの間にか「カタツムリ巡礼の達人」として、悟りの境地に達してしまったようだ。
私はというと、これまで何度も巡礼をくり返しているのに、代わり映えしないままだった。取り残されたような寂しさを、私は味わっていた。あと2日で、今回のゴールのレオンに着いてしまう。私は果たして、Miwakoに追いつけるのだろうか──。
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新装版『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』で好評だった旅日記エッセイ「星に導かれて巡礼の旅へ」より、冬のカミーノ編の全文+note限定エピソードを掲載します。
【6日目】 エル・ブルゴ・ラネーロ~マンシージャ・デ・ラス・ムーラス(19.3km)
巡礼6日目にして初めて、途中のレリエゴスのバルで巡礼者と一緒になった。韓国人のキムさんと、イタリア人のロベルトだ。2人ともクリスマスイブめがけて、サンティアゴに到着するつもりだという。
この先、セブレイロ峠は大雪だというニュースが伝わってきていたが、彼らならきっと大丈夫だろう。
キムさんは済州島でレストランを経営していて、冬のシーズンオフは毎年店を閉め、世界中を旅しているそうだ。ロベルトはあまりしゃべらず、キムさんの奢りのチュロスを静かにかじっていた。寡黙なイタリア男もいるということを私は知った。
巡礼シーズンには大にぎわいであろうバルも、冬場は地元のおっちゃんたちのパラダイスだった。右端にひっそりといるのが、甘いものと孤独を愛するイタリア人ロベルトだ。
マンシージャ・デ・ラス・ムーラスには、私好みの素敵なホテルがいくつかあるようだったが、すべて冬季休業中だった。
アルベルゲとゲストハウスが一軒ずつ、かろうじて開いていたが、寒さを極度に恐れる私は、高級アパルトメントホテルを予約していた。バスルームのお湯がすぐ水になってしまうことを除けば、申し分のない部屋だった。
ほとんどの店が扉を閉ざす町で、唯一、奇跡的に開いていたレストランの入口には、私が大事に持っている銀の鈴と同じかたちの聖母マリアが描かれていた。
赤ん坊を連れた地元の若い夫婦が食事に来ていたので、またMiwakoの演奏タイムとなった。ベビーカーから身を乗り出すようにして「ジングルベル」を聴いていた彼にとって、人生最初のサックスの音だったに違いない。
レストランのスタッフもお客さんも、何だか初めて会った気がしない人たちばかりだった。ひと足先にクリスマスがやって来たような、不思議なぬくもりに満ちた夜だった。
【7日目】 マンシージャ・デ・ラス・ムーラス~レオン(18.1km)
冬のカミーノの最終日。先を急ぐMiwakoとは、いつしかはぐれてしまったが、私は一歩一歩を愛おしむように歩いていた。
行く手にはレオンの町が待っている。20年前の憧れとときめきが、胸によみがえってきた。スペイン帰りの友人夫妻に、聖母マリアをかたどった銀の鈴と、パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』を手渡されたあの日から、今日のこの日はずっと繋がっているのだ。
巡礼の旅をくり返して、私は変わったのだろうか? たとえばMiwakoのように、この世界の誰かを幸せにしているだろうか?
遠くのほうから、風に乗ってサックスの音色が聴こえてきた。「サンタが町にやってくる」だった。音を頼りに、ゆるやかな坂道を上っていくと、街角の小さな広場でMiwakoが演奏していた。周りを巡礼仲間が取り巻いている。キムさんの姿もあった。
拍手が湧き起こり、曲は「ザ・クリスマスソング」に変わった。すべての人の気持ちを温かくする、素晴らしい演奏だった。
演奏後、記念に集合写真を撮った。Miwakoの左隣がキムさん。韓国から来た若者チームと、ベルギーから来た兄弟。
最後はみんなで一列になって歩いた。彼方にレオンの町が見えてきた……。
「着いたーーー!」と、Miwakoは広場で万歳しながら叫んだのだった。
有名なレオンのパラドールでMiwakoをねぎらいたかったが、あいにく改修工事のため、2020年の秋まで休業中だった。代わりに選んだのが、修道院ホテルのオスペデリア・モナスティカ・パックスだ。
バスタブを備えた高級ホテルで、お湯も申し分なかったが、ホテルライフを楽しむ間もなく、Miwakoはカテドラル前の広場で演奏するのだと勇んで出かけて行った。
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目が眩むほど、どこまでも天高くそびえるカテドラルを眺めながら、私はレオン名産のロゼワインを飲んでいた。3年前の取材のときにも訪れた、懐かしいバルだ。Miwakoが気の済むまで演奏できるよう、飲みながらのんびり待つつもりだった。
お通しはあのときと同じ生ハムとチーズで、私の分までおいしそうにほおばっていたアヤちゃんを思い出した。夜ごとワインを飲んで盛り上がっていた、写真家の井島氏と、本宮のヤタガラス鳥居さんの顔も浮かんできた。
1ヶ月にわたる巡礼をともにした、当時の取材メンバーたちはそれぞれ、その後大きな転機を迎え、新たな人生を生きていた。
姉妹道である熊野古道と同じく、カミーノは「よみがえり・再生の道」だということは間違いなかった。
もっとも激変したのは鳥居さんで、熊野本宮大社の境内に「とりいの店」を構え、世界中の巡礼者たちのサポートを生業とするようになっていた。本宮なまりの和歌山弁に、英語とスペイン語を交えてしゃべっているらしい。
代わり映えしないのは、私だけだ……と、ずっと落胆していたけれど、そういえば、こんなふうに「のんびり待つ」ということを、私は出来るようになったんだなと気がついて、思わず笑ってしまった。
それにしても、もう4時間もサックスとフルートを吹き続けている。そんなMiwakoを、大きなクリスマスツリーのモニュメントが見守っていた。
日が落ちてツリーに明かりが灯り、そろそろ手がかじかむ頃だ。3杯目のロゼワインを飲み干し、私はMiwakoを迎えに行った。
この特別な舞台で、心ゆくまで演奏したMiwakoは、とても幸せそうだった。開いた楽器ケースの中には、コインが山となっていた。10ユーロや20ユーロのお札も交じっている。私は胴元よろしくお金を集めて布袋に入れた。これで今夜の飲み代は十分だ。
ヨーロッパの童話に出てくる悪者になった気分だったが、そんな私に、「玲子ちゃん、スペインに連れてきてくれてありがとうね」と、幼なじみは言ったのだった。
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レオンを発つ前日の午後、キムさんとロベルトにバルで偶然再会した。熊野古道との「共通巡礼手帳」をプレゼントして、彼らの良き旅を祈った。
ちょうど私が頼んだプルポ(ガリシア風タコ)のピザが運ばれてきたので、二人に勧めたが、ロベルトは頑として手をつけなかった。
プルポのピザなんてありえない、と彼は力説した。「プルポはプルポ、ピザはピザ」なのだそうだ。寡黙なイタリア男も、言うときは言うのだった。キムさんとMiwakoは笑い転げていた。
彼らとは、翌朝のカフェでもばったり出会ったので、よほど縁があるようだった。次は熊野古道でばったり会う日が、本当に来るのかもしれない。
金色の朝日に照らされたカテドラルの前で、Miwakoは彼らのために、そしてこの町のすべての巡礼者のために、祈りを込めて最後に演奏したのだった。
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冬のカミーノを、私はまた歩きたいと思う。刈り取られた大地の下で息をひそめる、草の種たちの気配を感じながら、カタツムリのようにゆっくり歩いてみたい。
Miwakoはあれから、巡礼をテーマにした曲をたくさん作ってレコーディングした。
私のお気に入りは「冬のカリオン」という曲だ。今までに失ってしまったいくつかのことと、サンティアゴの道で見つけたいくつもの宝物のことを、この曲とともに、私はいつでも思い出すことができる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この続きは「冬のカミーノ・番外編」で!
◆初出 『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』(実業之日本社刊)
※一部、note限定の書き下ろしです
◆筆者とMiwakoのサンティアゴ巡礼の模様は、熊野古道女子部 公式チャンネルで公開されています。
この続きは「冬のカミーノ・番外編」で!