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冬のカミーノ① (『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』より)

◾️これまでのあらすじ

2015年の夏、サンティアゴ巡礼本の出版が決まったのを機に、私は出版社を辞めて、巡礼の旅に出ることにした。星に導かれるまま、パウロ・コエーリョの小説のような旅をするはずだったのに……

毎日取材スケジュールに追われ、手配ミスでやってきた大型バスや、情緒のない一言で私のロマンを台無しにするアシスタントに悩まされ、思い描いていたスピリチュアルな旅とは、ずいぶん違う日々。

長い旅の間中、私の頭の大半を占めていたのは「いかに効率よく取材をこなすか?」ということだった。歩いても歩いても、私の思考回路も行動パターンも、会社員のままだった。

結局、まったく代わり映えしない自分のまま、聖地サンティアゴに着いてしまった。私は落胆のあまり、大聖堂を仰ぎ見ながら涙を流したが……実は、旅にはまだまだ続きがあったのだ。

無事に本が出版されてから、3年後。気がつけば、何度も巡礼の旅をくり返すようになっていた私に、宇宙が遣わしてきた旅の相棒は、実に意外な人物だった──。

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新装版『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』で好評だった旅日記エッセイ「星に導かれて巡礼の旅へ」より、冬のカミーノ編の全文+note限定エピソードを掲載します。

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星に導かれて 巡礼の旅へ
Memorias del Camino de Santiago
冬のカミーノ①

意外な相棒あらわる

2019年の12月。思い出深いイテロの橋のたもとで、私はトレッキングシューズの紐を結び直していた。3年前は新品だったシューズもすっかり貫禄がついていた。

「いよいよやね」と、おそろいの皆地笠(みなちがさ)にヤタガラスTシャツを着た相棒が言った。幼なじみで音楽家のMiwakoだった。初めての冬のカミーノを前に、いつになく緊張しているように見える。

彼女が背負っているのは、5キロの重さのアルトサックス。楽器ケースに結びつけられたホタテ貝と、熊野本宮のお守りの木札が風に揺れ、時折ふれ合ってはカラコロと音を立てていた。

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Miwakoはすぐれた作曲家であり、アルトサックスとフルートの演奏家でもあった。私が覚えている小学校時代の彼女は、ピアノが上手でおっとりしたお嬢さんだった。高校を卒業して、東京で30年ぶりに再会した彼女は、やっぱりおっとりしていたが、青山のライブハウスで、初めて彼女のサックスを聴いて、私は不意打ちで胸を突かれた。

黒人のジャズミュージシャンを思わせる、骨太で土着的な、そしてやりきれない悲しみのかすかに混じった音だった。この30年の間、彼女に何があったんだろうと私は思った。

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冬のサンティアゴ巡礼は、私も初めての経験だった。今回は、イテロ・デ・ラ・ベガからレオンまでの130kmを7日間かけて歩く。「フランス人の道」と呼ばれるメインルートのちょうど真ん中部分で、荒涼としたメセタの大地が果てしなく続く。

バルや宿も少なく、冬場は閉まっていることが多い。夕方6時を過ぎると、あたりは暗くなる。メセタの真ん中で日が落ちてしまったりすると命にかかわるが、Miwakoは大丈夫だろうか? なにしろ彼女は、とんでもなく歩くのが遅いのだ……。

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Miwakoの巡礼デビューは、「熊野古道」だった。熊野古道とサンティアゴの道は、同じ世界遺産であり姉妹道となっている。

2017年、私は『熊野古道 巡礼の旅 よみがえりの聖地へ!』の出版をきっかけに、和歌山県田辺市の協力により「熊野古道女子部」というサークルを立ち上げた。メンバーは都会に住む女子たちで、熊野古道のPRのためのドキュメンタリー動画を撮ったりもする。

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📷 都内での結成式。田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田稔子さん(中央)の右隣にMiwako。左隣には皆地笠をかぶったアヤちゃん

「メンバーにミュージシャンが1人いると、山の中で演奏したり、絵になるかな」という軽い気持ちでMiwakoに声をかけたのだが、それは大変浅はかな考えだった。

他のメンバーとともに滝尻王子から中辺路を歩き始めて、ものの5分もしないうちに、私は後悔していた。これほど歩くのが苦手だとは思わなかったのだ。しかも本当に苦しそうに歩く。

🎦 熊野古道女子部 公式チャンネルより

よく考えてみたら、彼女は夜な夜な酒場でサックスを吹く「筋金入りの夜の女」だ。もう二度と来ないだろうな……と思っていたら、どういうわけか、すっかりハマってしまったようで、Miwakoはそれから何度も熊野を歩き、続いてサンティアゴ巡礼のラスト100kmを踏破した。

さらには、スタート地点のサン=ジャン=ピエ=ド=ポーからモステラーレス峠までの340kmも、私と一緒に歩き通している。もちろんバスもタクシーも無しのガチ歩きだ。

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📷 2019年9月、大好きなブルゴスのバル街にて

なんだかもう冗談みたいな展開だったが、これだけ巡礼をくり返しても、Miwakoの歩く遅さは変わらなかった。人が3時間で歩く距離なら、彼女は6時間以上かかった。

私はそのことにあきれたり、イライラしたり、絶望したりしたが、そのうちなんとも思わなくなった。きっと前世からの約束か何か、彼女なりの理由があるのだ。私のすべきことは、日没前にMiwakoが宿に着けるよう、完璧なスケジュールを組むことだった。

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【1日目】 イテロ・デ・ラ・ベガ~フロミスタ(14.3km)

イテロの橋をあとにして、冬の巡礼がスタートした。メセタを左右に切り分けて、カミーノがまっすぐ延び、地平線の向こうに消えている。生命力にあふれ波打っていた緑の小麦畑は、きれいに刈り取られて枯葉色の大地に姿を変えていた。

今日は距離が短いので、私はMiwakoに歩調を合わせてのんびり歩いた。私たちの他に巡礼者の姿はなかった。どれだけ寒いかと覚悟して重装備だったのに、小春日和で少し拍子抜けした。

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ボアディージャ・デル・カミーノまでの8.5kmを2時間半で歩けたのは上出来だった。かろうじて開いていたバルを見つけて立ち寄ると、ワインはめずらしく白を勧められた。そういえば、ここはもうカスティージャ・イ・レオン州だ。ルエダのヴェルデホを飲まない手はない。

なにしろお隣のラ・リオハ州では、バルで白ワインを頼もうものなら、「なぜ白?  どうして赤を飲まないの?」と言われたものだ。

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📷 フロミスタまで最後の5kmは、ゆったりと美しい運河に沿って歩く
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📷 これはまさに熊野古道でいう「川の参詣道」ではありませんか!
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📷 想像していたより近代的な船だったけれど、ちゃんとホタテ貝のカミーノマークが
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有名なサン・マルティン教会をとり巻くように広がるフロミスタは、品のある美しい町だった。町一番のホテルも二番目も、冬季休業中だったが、私たちが泊まったオテル・サン・ペドロも悪くなかった。どう見てもオテルではなくオスタルなのだが、巡礼者はそんな細かいことを気にしてはいけない。

レストランもほとんど休業中で、あわや夕食難民だったが、宿のすぐそばにオアシスを見つけた。El Chiringuito del Caminoは、地元民が集うアットホームなバルで、マスターは話し好きだった。自慢のソパ・デ・アホ(ニンニクのスープ)は、地元のテレビ番組でも紹介されたことがあるという。

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思いがけず大満足の夕食後、Miwakoがサックスとフルートでクリスマスソングを演奏して盛り上がり、最後はマスターと地元民と巡礼者入り乱れての、どんちゃん騒ぎとなった。

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📷 締めはマスター奢りのオルホ(ガリシア名産の蒸留酒)で!

順調な滑り出しをみせた私たちの旅だったが、もちろんこのあと、お決まりの苦難がやってくるのである……。

冬のカミーノ② に続く)


◆初出 『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』(実業之日本社刊)
※一部、note限定の書き下ろしです

カバー

次回も、私たちと一緒に歩いてくださいね!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)

冬のカミーノ② に続く)

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