その後のカタツムリ② (冬のカミーノ・番外編)
◾️前回までのあらすじ
信じられないくらい歩くのが遅い幼なじみの音楽家 Miwakoとのスペイン巡礼800kmの旅──。翌年のオリンピックにちなんで、私はそれを「みわりんピック」と名付けていた。本当は800kmを一気に踏破したかったが、連日ライブの予定が詰まっているMiwakoにとって、40日も日本を離れることは難しい。そこで4月、9月、そして12月と分割して歩いた。
あと残すところ200km。最終行程の出発日は、年明けの3月18日だ。
『星の巡礼』のパウロ・コエーリョのような旅をしているつもりだったのに、スペイン本の出版以来、私はいつのまにか、パウロを案内するペトラスの立場となっていた。スペインのカタツムリも驚くほどゆっくり歩くMiwakoに舌打ちばかりしている私は、賢者ペトラスとは程遠かった。
そもそも、編集者から著者に転向したのも、人のお世話をする立場から、お世話をされる立場になりたかったからだ。なのに気がつけば、また人のお世話をかって出ている。巡礼の旅を何度くり返しても、代わり映えしない自分にうんざりだったが、とにかく今はMiwakoのカミーノ完全踏破を実現させよう。自分の人生については、それからゆっくり考えればいい。
2020年の3月18日。私たちがスペインに旅立つことはなかった。全世界が動きを止め、私たちの知らない物語が始まろうとしていた……。
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『スペイン サンティアゴ巡礼の旅 新装版』(実業之日本社刊) に掲載したエッセイ「冬のカミーノ」の番外編です。冬のカミーノは、noteオリジナルバージョンでもお読みいただけます。
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私たちがスペインへと旅立つはずだった、2020年の3月18日──。
都内で久々にMiwakoと顔を合わせた。今回の巡礼に同行する予定だった、編集者のヤマナさんも同席していた。ヤマナさんは『熊野古道 巡礼の旅 よみがえりの聖地へ!』(説話社刊)の担当編集者であり、熊野古道女子部の仲間でもある。
私とMiwakoとヤマナさんは、2018年の9月、カミーノのラスト100kmを一緒に歩いたメンバーだった。その模様は、全6話のドキュメンタリー動画としてYouTubeで公開されている。翌2019年の2月にはスペイン大使館で上映イベントも行われ、好評を博した。
2020年の3月、「みわりんピック」の最終ステージでは、2年ぶりに懐かしいメンバー揃っての巡礼となるはずだったが、叶わなかった。
連日会社に泊まりこんでは仕事に打ち込む自称「社畜」のヤマナさんは、一大決心をして長期休暇を取っていたので、その落胆ぶりは気の毒なほどだった。
Miwakoの顔色もすぐれなかった。毎年3月上旬には、東日本大震災の被害にあった石巻を訪れ、小学校での慰問コンサートを行ってきたのだが、全校休校のためそれも中止となってしまったのだ。
まだ緊急事態宣言などが発令される前のことである。この先、コンサートやライブを行うことが難しくなりそうなことは肌で感じられたが、Miwakoは覚悟を決めているようだった。もともとのんびり、おっとりしたお嬢様だったが、巡礼の旅をして以来、時折アスリートのように精悍な顔をみせることがあった。
私に関していうと、講演会もイベントも国内外の巡礼ツアーも、何から何まで、全て中止や延期になった。残念だけど仕方がない。からっぽになった水瓶には、またすぐに新しい水が注がれると信じる私は、慌てるな騒ぐなと、生来せっかちな自分に言い聞かせていた。
ただ一つ、私を打ちのめしたのは、「みわりんピック」が残りあと200kmのところで中断してしまったことだった。
「また旅行ができるようになったら、再開すればいい」と、いろんな人に励まされ、私も口ではMiwakoにそう言った。しかし私たちにとっての、このたびの巡礼時間は終わってしまったということを、私もMiwakoも本能的に感じ取っていたように思う。
もちろん、巡礼時間はまたきっと巡ってくるだろう。ただ、それが何年先かはわからない。私たちが一緒に歩いているかも、わからない。
夏の東京オリンピックをどうするかの議論は続いていたが、私は「みわりんピック」の終了を宣言し、巡礼のバディは解散となった。
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スペイン行きを中止するにあたり、かなり早いうちからアドバイスをくださっていたのは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ在住の通訳、塩澤恵さんだった。4年前のスペイン取材でお世話になって以来、歳が近いということもあり、公私共に仲良くしてもらっていた。
私の本の校了時には、スペイン語表記のチェックや、ローカル目線での内容確認など丁寧につきあっていただき、まさに大恩人だった。今回も、サンティアゴにゴールして塩澤さんと打ち上げするのを楽しみにしていた。
「スペインでも感染者が急に増えているので、延期は賢明ですね」というメッセージに私はお礼を述べ、それから2週間後──彼女が亡くなったという知らせを受けた。
サンティアゴのあるガリシア州と日本の懸け橋として活躍されていた塩澤さんの、感染による早すぎる死は、現地のメディアで大きく報じられた。日本でも自粛という言葉が飛び交い始めていた、3月の末のことだった。
ステイホームについては、さまざまな立場や意見があったが、私は友人の喪に服すという意味で、当分のあいだ身を慎むことに決めた。もちろん、たまたまそれが出来る境遇であったことにも、感謝した。
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残念なことに料理も土いじりも苦手な私のステイホームは、苦戦を強いられていた。お取り寄せした美味しいパンも焦がしてしまったりする自分に、ガッカリの連続だった。そんな毎日に彩りをくれたのは、Miwakoによる、ひとりアンサンブル動画だった。
これまでは休む間もなくライブの予定が詰まっていたが、全て白紙となった結果、Miwakoはかつてない大量の自由時間を手にしていた。デジタルやオンラインには疎いと言っていたが、あっという間にスキルを身につけたようだ。
初めは、自分の気持ちを上げるためにやっていたのだと思う。そのうちどんどん面白くなってしまったのだろう。演奏家であると同時に、優れた作曲家であるMiwakoにとって、ヒットソングを三重奏や四重奏にアレンジするのはお手のものだった。
巡礼中のユニフォームだったヤタガラスTシャツを着て、分身の術のごとく演奏するその姿は、私にカミーノの風を運んできてくれた。Miwakoが奏でる音色は、透明な水のように場を浄めてくれる気がした。ステイホーム中、私はくり返し沐浴するように、Miwakoの音に身を浸した。
人生のよみがえりをかけて挑戦していたスペイン巡礼は中止となり、人前で演奏する機会も失って、鬱になっているのではないか……と心配したが、画面の中のMiwakoは、むしろ生き生きとして楽しげだった。
冬のカミーノを、地を這うカタツムリのように歩んでいたMiwakoとは、まるで別人だ。聖なる道の大地からゆっくりと吸い上げたエネルギーを、今こうして動けなくなってしまった私たちに、惜しみなく振りまいてくれている──Miwakoは、そんな役割の人だったのかもしれない。スペインでは舌打ちばかりして申し訳なかったと、今では思う。
余談になるが、編集者のヤマナさんも、新たなよみがえりを遂げつつあった。社畜で激務は相変わらずだったが、その合間を縫って、Miwakoのもとでソプラノサックスのレッスンに励むようになったのだ。「社畜が趣味をもつなんて!」と私が言うと、ヤマナさんはニヤニヤしていた。
同じく弟子仲間である、熊野古道女子部のメンバーも交えて「クアトロ・クマノ」というユニットまで結成された。夢はカミーノでの演奏(Miwako先生の前座として)だという。
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7月某日の早朝、熊野本宮大社の大鳥居前にて──。
Miwakoによる「無観客の奉納演奏」が行われた。立ち会ったのは私と、動画撮影の中島ディレクター。曲はMiwakoのオリジナル「梛(なぎ)の木」。2017年初めての熊野古道で険しい山道を必死に歩き、ようやく本宮大社にたどり着いたMiwakoが、ご神木の梛の木に大感動して書いた曲である。
亡くなった塩澤さんやガリシアの人々、そして世界中の巡礼者たちへの鎮魂の想いを込めて、朝もやのゆっくり流れる中、厳かに奏上された。旧社地の杜に棲む鳥たちが鳴きかわして唱和した。
演奏後には、Miwakoからのメッセージと梛の木の由緒についても語られている。収録場所は、本宮大社の旧社地、大斎原(おおゆのはら)。九鬼宮司に特別に許可をいただいたのだが、梅雨のさなか、宮司が指定したその一日だけよく晴れたのが本当に不思議だった。
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みんなの人生がよみがえってゆく中、私だけが代わり映えもなく取り残される……というのが、毎度おなじみのパターンだったが、気づけば私の手元の水瓶も、新しい水で満たされつつあった。
4年前に出版したスペイン巡礼本の、新装版が出ることに決まったのだ。「重版ではなく、いっそ新しい本(新装版)として刊行しませんか?」と提案してくれたのは、版元の編集長のIさんだった。
なにしろ、海外旅行本が全く売れないというご時世だ。なかなか大胆な企画といえたが、行けないからこそ「旅に思いを馳せる本」は求められているのかもしれない。
新装版では増ページをして、新たに「旅日記エッセイ」を書き下ろすことになった。版元の編集者だった頃から、「聖地への旅」をテーマに本をたくさん作ってきたけれど、自分の個人的なストーリーを書くのは初めてだった。そんなものを読みたいという人がいるとは、思わなかったのだ。
「そういうものを、読者は読みたいんですよ」と編集長のIさんに言われて、目からウロコだった……というのは、note版「星に導かれて巡礼の旅へ①」の冒頭で書いた通りである。
サンティアゴの道に強く憧れた20年前のこと、会社を辞めて巡礼の旅に出た日のこと、そしてMiwakoと歩いた冬のカミーノのこと──記憶の糸巻きをぐるぐると回しては、少しずつ書いていった。来る日も来る日も、私はひとりぼっちでパソコンに向かっていたけれど、アヤちゃんや井島カメラマンや鳥居さん、ヤマナさん、そしてMiwakoの気配にいつも守られているようだった。
私たちの巡礼時間は、終わったわけではなかった。今この瞬間もまだ巡礼の旅は続いている、ということに私は気がついた。
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旧版はレンガ色だったが、新装版は、明るいイエローの表紙になった。みんなの心に明るさと希望が宿るようにと、装幀家のこやまたかこさんが選んだ色だ。発売前に届いた見本を手にとると、スペインの陽の光に照らされたような暖かさが、確かに伝わってきた。
『スペイン サンティアゴ巡礼の道 新装版』(実業之日本社刊)は、2020年の10月30日に発売となった。
そして、まさにその翌日。
Miwakoから、2枚組の新作CDが届いた。アルバムのタイトルは「梛の木」そして「Camino」。ジャケットの画は、私たちがいつも着ているヤタガラスTシャツのイラストレーター、佳矢乃さんの描き下ろしだった。熊野古道とカミーノ──姉妹道である2つの巡礼道を、丸二年かけコツコツ歩いて生まれた曲たちが、ぎっしりと詰め込まれていた。
本当は、カミーノ800kmを全て歩き切ってからアルバムが誕生するはずだったが、こと音楽に関しては、Miwakoは誰よりも素早かった。カタツムリどころか、超俊足の野ウサギだった。この数カ月、私たちは別々の場所に籠もっていたけれど、同じ巡礼時間を生きていたようだ。
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ブルゴスやレオンのカテドラル前で演奏して稼いだチップを、私がぜんぶ巻き上げて飲み代に使ってしまっても、Miwakoは怒らなかった。今回のエッセイで、ありのまま書き過ぎてしまったことも、きっと怒っていないはずだ。
また再び、私たちのリアル巡礼時間は巡ってくるだろう。そのときカタツムリなMiwakoはもういないのは残念だった。
「なあんもなも」富山の言葉で打ち消しながら、Miwakoはめずらしくニヤリと笑った。「カミーノ行ったら、いつでも私はカタツムリに戻るから」
やっぱり少し怒っていたのかもしれない。
冬のカミーノ・番外編は、これでおしまいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました!¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
カタツムリなMiwakoのファンになってしまった!もっと読みたいかも!?
……という方がおられましたら、前哨譚の「春のカミーノ」をぜひお読みください。