見出し画像

「傷ついても良い」という許可

「お前がやっていることは何の意味も価値もない」
 

こんなふうに言われることは今までに何度もあった。
そう思う人がいるのもわかるし、いてもいい。
色んな人がいるのが当たり前の世の中で
こういう人がいても当然だとも思うし、
こんなふうに言わざるを得ない人がいるのも
仕事柄理解しているつもり。

 


でも、当然ながら私はそうは思わない。
これはいつも、ずっと同じ。


こんな風に言われたら腹が立ったし
そうじゃないとわからせたくて怒ったりしてた。
いままでは。
今回はもう、言い返す気力もなかった。


怒っているんじゃない。
ただただ悲しかった。

 

コミュニケーションは大事だと思うけど、
そもそも相手を知りたいとかコミュニケーションに対して
前向きでなければ成り立たない。


コミュニケーションがとれなかったのが
取れるようになる。こともある。
波長共鳴だ。
でも、相手を変えようとコントロールするのとは違う。



私のやっていることで、やってきたことでは、
3ヵ月に1度必ずあった40度くらいの発熱や
電車に乗れないくらいの過敏性腸症候群が落ち着いたり
脳梗塞の予兆も経過観察中に消えたことだってある。
娘は喘息もアトピーもでなくなったし
大病もなく繊細ながらしっかり生きている。


 
とはいえ、私は医者ではないし、
やっていることは病を取るでも痛みを取るでもなく、
これはただの結果。
もちろんこれをもたらせるだけの理由はある
と、思っているけれど、
bodyよりも内側にアプローチする方が
やっていることの比重は大きい。


分かりにくいといえばそうだと思うし、
そもそもやっていることの認知度も低い。

 
そういったことも、
こんな発言の裏には原因としてあるのかもしれない。
 

でも、どんなふうに思う人がいたとしても、
私は、意味がないとも価値がないとも思わない。



他の誰よりもまず
自分がこれに救われた経験があるから。
 


世間一般的には「こんなふうに言われた」と
捉えられることが多いけれど、
セラピーの現場的にはこんな問いになる。
 


「なぜこんなことが起きたのか」
「どうしてこんなことが起きなければいけなかったのか」
「この出来事でもたらされるものは何なのか」
 


当然それは私の中にもあって、
なんなのかなこれ、と怒りをむき出しにして
私を追い詰めてくるのを前にして、
どこか冷静だったりした。
 


傷ついた
 
いや、

こうやって傷ついてきたんだ、私
 


そんなことに気づいた。
この感覚、初めてじゃない、と感じることが出来たから。
 


〝 思ったこと感じたことをただ伝える〟と、
〝 相手のことを勝手にジャッジ(判断)して、
自分の見解を持ってして相手の中に土足で踏み込む 〟は
大きく違う。


でも、いつかの私は、自分の中に土足でもなんでも
踏み込んでもいいですよ、とするのが、
優しさだと思っていたり、受容だと勘違いしていた。


そうではないとわかってからも、
知らずのうちに同じパターンをやっていては
嫌な思いをすることも多々。


堂々巡りも散々やった頃、
傷つく自分を罰していたことに気づいた。
 


こんなことで傷ついていてはいけない
こんなふうに思ってはやっていけない
 


長いこと定着していた土の時代。
努力、根性、忍耐が重要で、おそらく多くの人がそうだった。
みんなで我慢をしたり、自分を出すことを抑えて、
女性であれば、前に出ず男性を立てて、
虐げられることを受け入れざるを得ないことも多かったはず。
 

そんな中で、こんな風に思いながら
歯を食いしばってやってきた人は、きっと珍しくない。

 
少なくとも私はこの価値観を持っていて、
傷ついたり嫌な思いをすることは、
弱い自分であると認めることだったり、
こんな自分ではダメだと思ったり、


高い高いプライドを持っている私にとっては、
何があっても平気な自分でいることが最重要課題で、
そのためには傷ついた自分を認めてはやっていられなかった。
 

そういったことに今まで幾度も向き合ってきて
楽になれた感覚もたくさんあって
もう昇華できていたと思ってた。


それが、先日。


自分に「傷ついても良い」という許可があったのを
実感したタイミングがあった。
 


傷つくのが嫌で怖いと思ってた。

でも本当は、本当には、心の奥底では、
傷ついた自分がいることを認めたくなかった。


どこまでも傷ついた自分は弱々しくて
こんな自分がいたならば、
もう何も出来ない、気力がない、立ち上がれない。
どこか、そんな風に感じていた。

 

でも、どんな自分でも受け止めてあげることの大切さや
その感情を感じきれた先に解放があるのだと知り、
それができる自分になれているという自信は、
セラピストとしてクライアントと向き合うだけでなく
今まで向き合えなかったいつかの自分と
やっと対峙できるチャンスにつながった。
 
 
 

冒頭の言葉を投げられても、別に受け取る必要はなかった。
もちろんそれも頭ではわかっていたものの、
思いの外、自分にとってとてもヘビーで、悲しかった。


こういう場面で悲しむ、 をずっとやり残してきてた。



まだまだ気持ちは上がらないけれど、
ここで足掻いたり無理して笑うことの弊害を知っている。
また無理をして自分を更に自分が傷つけることはしたくない。
やることはやりつつ、今を味わうのも悪くないと思えるのは
しっかり落ち込むことで見えてくる光を知っているからだ。



傷ついた当時の自分を抱きしめる日々が癒えて
徐々にでも晴れるときが来たら
私はまたもう少し強くなれたり、
しなやかさを身につけられそう。かなと思う。
こう思えることもまた希望なのだと思う。



あのタイミングで気付いた「傷ついても良い」という許可
いつかの自分と向き合ってももう大丈夫という安心だった。



それがもう今の私の中にはある。
その確認作業の為にこの出来事が再来した。
そんな風にうけとめたら、自分のどこかが納得して
落ち着いてきた。
これこれ。癒やしとは、こういう感じ。


 

仲間にも友人にも助けてもらいながら
心が大きく動く出来事は深い癒しへのサインなのだと
腑に落ちることで救われていく。
こんなふうに生きていくのが私流なのだと思った。


今日、10/18に迎えた誕生日は、例年のように
特別心が踊ることもできなくて、落ち込んでいるけれど、
こんな時だからこそ丁寧な一日にしたいと思って、
今、近所のお気に入りのカフェでコーヒーを飲みながら書いている。
 

整体に行ったら、院の方からお花をいただいた。
「麗子さんだからきっと長く大切にしてくれると思うから」
と、一言添えてくださって鉢植えを選んでくださったとのこと。
若い男の子が1人でお花屋さんに行って選んでくれたらしい。
嬉しくて玄関先でボロボロ泣いた。 


受講した講座ではご一緒の方ともお誕生日が近いからと
講師をしてくれた友人がケーキを用意してくれて火を灯してくれた。
手作りのキャンドルホルダーのプレゼント付き。
 


今日の夕方には、20年来の友人が送ってくれたという何かが届く。
何か(笑)
 

追記 :  ワインだった。もったいなくて包装とけない


娘は、ここのところ
「ママもうすぐお誕生日だね」
「何がほしいの?」「なに食べたい?」と
いろいろ気にかけてくれていた。


 
度重なって何度となく深く傷ついたという感覚は、
もう生きていなくていいや、死んでもいい、
もう何もかもどうでもいいや、と私に思わせた。
私がこうしたいという欲求を、意欲を
意外なほどにあっという間に、削いだ。
人は簡単に生きるという欲を手放したくなると
久々に実感した。


 
でも、生きていたらいいことあるな、というか、
こんなに嬉しい気持ちになれるって幸せだな
と思わせてくれるタイミングをたくさんいただいた。
生きていていいよという許可に思えた。


 
こういう話は表に出そうかとても迷う。
セラピストとしてのプロ意識に欠けると見られる場合もあるし、
自己管理や素質が弱いと思われても仕方ない。
でも、残念ながら、これが私だ。

よくできる実力のあるセラピストと思われたいけれど
残念ながら、これが私だ。
そもそもなんだろう。よくできる実力のあるセラピストって、(笑)

しかも厄介なことに、この残念な私を
私がとっても大好きなのだ。
だからこうやって公にしちゃうw

紆余曲折ありながらも生きているセラピストなのだと
何もかもが順調で常に楽しく幸せなわけではない人なのだと
それを知ってもらうこともまた、
人間らしいとも、私らしいかなとも思う。


セラピストならば、どんなことをも受け止め、乱れず、、
と思う人もいるけれど、感じることは何にだってある。
当たり前だ。感情を持った人なのだから。
むしろ、感情には人一倍敏感なのだとも思う。
楽しいことには楽しむし
嬉しくて感動すれば泣くし
傷つき悲しければ涙する。
心のプロなのに傷ついたり怒ったりするなんておかしい、
なんて言う声には、私は疑問。
なぜそう思うの?と問うてカウンセリングならいつでも承りたい。


私のような人がいるならば、
きっと同じような思いをして、
同じような状況にいる人もまた、
どこかにいるのだろうと思って表に出した。
離婚すれば良い、という声もあがりやすい。
でも、それが本当に解決だろうか、と私はまず思う。
 


苦しいままで同じ状況にとどまる人もいるし、
そこからとっとと違う環境に出るよう行動して
違う環境にいるのだと思いつつも
同じことを繰り返している人も多い。


そこで辛い方へは、
自分を知り、感情を知り
光を自ら見出だしていけることができたなら、、
新たな突破口が開けてくることを私は知っている。
 


考えてること感じていることが本質、ではないと思う。
考え感じたことの内側にあるのが、きっとその人の本質だ。


どうしてそう考えるのか
どうしてそこでそう感じたのか
その理由が、誰かからの由来のものでなく
自分だけのものだったときにやっと見え隠れしてくるものが
本質、に近いものになっていくのではないだろうか。と思う。
 

本質という言葉を使ったけれど、大切なのは
自分がどうしたいのか、どう生きたいのか、だ。
それは思考や感情に隠れているし
自分を知ろうとするところから得られるものだと思う。


そして、簡単にそれを知れないところに生きるがあって
自分の本質に出会うまでが人生なのだとも思う。
もどかしくてわかりにくいし時に苦しい。
もしかしたらこれも「楽しい」の一環なのかもしれない。


 
私もまだまだ途中にいるけれど、
自分で自分を抱きしめられるように、
心から軽く自分を生きられるように、
それを望む人が一人でも多く叶ったらいいなと思う。
私はそこに向かえる一路を知っているからこそ
自分にもそれをやり、必要な方へもできる限り
そのサポートをしたい。
 


芳香療法と周波数療法の組み合わせは、
まだまだ多くの方に知ってもらう余地があるもの。
たくさんの方に知ってもらいたいし、
知ってもらうだけじゃない
その先の未来にもビジョンがあって、希望がある。
 


先日習った数秘で見ると、
私のこの一年は充電期間という意味があるらしい。
 


確かにここ数年はいろいろやれて、チャンスも多く
疲れちゃったかも?という感じも。
やっと動けるタイミングが来て、
自分の持っているものをいくらか発揮できる感じが
とても嬉しくて、振り切っていた感じもする。
そこからするとペースダウンになるのかも。


でも、それはそれできっと
私にとっては大切なときになりそう。
巣立ちが見えてきた娘と暮らすことも大切に過ごしたいし、
主人との折り合いは、、まぁそれもなるようになるでしょう(笑)
目の前のことに、より丁寧にの時かもしれない。


自分を自分でいたわるのは難しいなと思う。
だからこそ、自分で自分を大切にする、に磨きをかけながら
「こんな風に生きて過ごしているセラピストがここにいます」
ということを、ご縁ある必要な人に知ってもらうことも
大切にしながらの1年にできたらと思う。
 


こちらにご縁いただいているみなさま。
いつもありがとうございます。
どうぞ引き続きよろしくお願いします。

make : 岩田理花         photo : コクボアキラ 


▼Facebook
https://www.facebook.com/reiko.komaki/
 
▼Instagram
https://www.instagram.com/reiko__rhodonpsyche/
 
▼note
https://note.com/reikohara
 
▼Homepage
https://rhodonpsyche.hp.peraichi.com/
 
●*+†+*――*+†+*――*+†+*――*+†+*――*+†+*●
ヒーリングサロン RHODONPSYCHE 主宰
アロマ音叉®︎セラピスト 原 麗子
東京都文京区  後楽園駅 春日駅 から 徒歩10分
 
https://rhodonpsyche.hp.peraichi.com/
 
芳香療法 x 周波数療法 x カウンセリング
頑張る人の自分らしさを応援
もっと自分を好きになるお手伝いをします
 
【女性限定 完全予約制 プライベートサロン】
 
 
■60分 15,000円
■90分 20,000円
■120分 25,000円
 
・当日のコンディションにあわせて、施術メニューを組み立てます。
・施術時間だけで下記の料金をいただいています。
・前後にカウンセリングのお時間をいくらかいただいています。
・お得をつけた10回分の回数券をご用意しています。お問い合わせください



サポートにいただいたお代は、トリートメント時の精油代などに使わせていただいて、癒される方へのパワーへつなげます。お気持ちを大切に受け取ります。ありがとうございます(*^^*)