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防災月間スペシャル 東北紀行①岩手県花巻市・宮沢賢治記念館〜しぜんのかがく9月ep.11 ぼうさい豆知識〜釜石のキセキ〜

岩手県花巻市への行き方

今年の夏、東北の岩手県花巻市と釜石市に行きました。花巻市といえば、宮沢賢治の故郷です。宮沢賢治記念館と防災まめ知識では釜石市についてご紹介します。

花巻市の場所ですが、岩手県の中央あたり。「いわて花巻空港」があります。県庁は盛岡市ですが、飛行機の空港は花巻市しかありません。飛行機だと大阪や名古屋、福岡から片道約1時間くらいでとても便利です。東北新幹線では仙台から1時間。車でも仙台から2時間くらいです。台湾(台北)からも飛行機の直行便(片道4時間程度)があり、多くの観光客が来ているそうですよ。

花巻市ホームページより

「宮沢賢治記念館」

花巻空港から5km、車で10分のところに宮沢賢治記念館があります。車でしか行けないので、花巻空港からレンタカーを借りた方がいいですね。周りは木々に囲まれ、自然豊かな場所です。

賢治の生涯、自然科学の視点

宮沢賢治が生まれたのは、明治29年(1896年)花巻市川口町に生まれました。宮沢賢治は自然児や野生児であったわけでなく、むしろ町の子どもで、家は商家でした。小学生の時に植物、昆虫、鉱物などの標本採集に明け暮れた理科の視点を持つ少年時代だったそうです。石がとても好きで、「石こ賢さん(いしっこけんさん)」と呼ばれていたそうです。

賢治の37年の人生の中では、地震などの大きな災害が何度も起こっています。明治から大正、昭和まで生きた人ですが、まず、生まれた年(明治29年、1896年)は、明治三陸沖地震が起こった年。大津波により2万2千人以上の方が亡くなりました。また、亡くなった年(昭和8年、1933年)は、昭和三陸地震が起こった年です。死者・行方不明者は3064人。岩手県田老村(現在は宮古市田老町)田老では人口の4割以上に当たる792人が犠牲となるなど、ほぼ壊滅状態になりました。
また、1905年(明治38年)東北の大凶作(やませの影響で繰り返し冷害、凶作)に。(やませ…北日本や東北地方に向けて、太平洋側で春から夏(6月から8月)に吹く冷たく湿った東よりの風)1923年(大正12年)には関東大震災となり、37年の賢治の人生は災害と共にあったのかもしれません。

館内では5つテーマで分かれていました。科学、芸術、宇宙、宗教、農。宮沢賢治は科学に深い理解をいだいていた人で、盛岡高等農林学校では地学や農学、化学をおさめました。アインシュタインの相対性理論が1915年に発表されましたが、その新しい20世紀の科学を学び、岩手の豊かな自然と「銀河鉄道の夜」でわかるように、四次元宇宙を科学的な視点で捉えて物語を描きました。

パネルコーナータイトル

私が感激した展示の一部をご紹介します。
まず石の展示です。あらゆる種類の岩石が展示してあったのですが、全て賢治の短歌や物語に取り上げされています(おそらく50種類ほど)。例えば、大理石は童話「土神と狐」(※狐の持っている大理石)、流紋岩は短歌「愚かなる流紋岩」(賢治は流紋岩に、「愚か」「陰気」「暗い」といったイメージを持っていたそうです)などです。また、伊勢神宮参拝時の詩に読んだ「珪岩(けいがん)のましろき砂利にふり注ぐいみじき玉の雨にしあるかな」、蛇紋岩が出てくる「おお 蛇紋岩(サアペンテイン※ラテン語の蛇のような)のそばみちにそらは薄明のつめたきひとみ、わが青き蛇紋岩(サアペンテイン)のそばみちにことしの終りの月見草咲き(月見草は夏の夜に咲く)」も美しい詩ですね。

あと、童話「セロ弾きのゴーシュ」に出てくる、チェロ。宮沢賢治が使用していた本物のチェロが置いてありました。チェロの内側に、[1926.K.M]というサインがあるので、もし行く機会があれば探してみてください。

虹を見ました!

今回雨上がりに虹🌈がとても綺麗に見られました!オリザ(稲:ラテン語)の青々とした景色が広がるイーハトーブの世界。イーハトーブとは、宮沢賢治による造語で心象世界における理想郷を言うそうですよ。岩手県(歴史的仮名遣いでいはて)から作られました

(岩手県自体の名前の由来は、岩手さんが噴火した時に飛んできた大きな「岩」に村人に悪さをしないと誓った「鬼の手」の手形から来ているそうですよ。)

イーハトーブの里の景色と虹
「虹の仕組みを学ぼう」名古屋市港防災センターYouTube
「虹の仕組みを学ぼう」名古屋市港防災センターYouTube

虹は、雨上がり、空気中に浮かんでいる水のつぶがプリズムの様になり、7色に光が屈折して見えます。雨上がりの空を太陽を背にしてみると、見つけやすいですよ。解説は名古屋市港防災センターのYouTubeサイトでご覧ください。

次回は宮沢賢治の作品「グスコーブドリの伝記」を防災の目で読み解いていきます。

<ぼうさい豆知識>〜釜石のキセキ〜

「釜石の奇跡」は聞いたことありますか?「津波てんでんこ」はを知っていますか?
今回、岩手県釜石市の鵜住居町に行きました。釜石市など東北は先程宮沢賢治の話でも取り上げたように、過去何度も津波に襲われていた場所です。

「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝えです。子どもでも大人でも同じ、誰かを待つ、避難をためらうことで命を失うことがあるのです。離れていても逃げていると信じることです。

釜石市は、鵜住居小学校と釜石東中学校があります。普段から過去の教訓を学び、日頃から避難訓練をしていました。形だけでなく具体的な避難場所も決めてました。

地震発生後、中学生は校庭に集合し全員で避難を開始しました。これを見て、校舎3階に避難していた小学生も続き、途中で遭遇した幼稚園児たちを助けながら学校で決めた避難場所に到着しました。しかし、裏の崖が崩れていることなどから危険と判断し、より高い場所にある介護福祉施設 に避難しました。その後、巨大な津波(最終的に約10メートルの津波になった)が校舎を越えて迫ってくるのが見えたので、さらに高台にある国道 45 号線沿いの石材店まで駆け上がって全員が助かりました。津波は介護福祉施設の近くまで到達していました。
鵜住居小学校と釜石東中学校は浸水予測図では、浸水域外となっていましたが、海岸に近く、津波被害を受ける可能性が高いという認識で、防災教育と合わせて様々な訓練を実施してきた積み重ねが児童、生徒たちの命を救ったと言えます。

3.11伝承ロード https://www.311densho.or.jp/


うのすまい トモス
釜石市では、1000人以上(死者888人、行方不明者158人)の方が震災で亡くなりました。

⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく

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