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「温泉の科学」〜温泉の歴史〜しぜんのかがくep.24 ぼうさい豆知識〜家族(高齢者)の備え〜

(この記事は、サイエンスアイ新書「温泉の科学」佐々木信行著、「温泉のはなし」白水晴雄著、水の文化2022No.72 「温泉の湯悦」を参考にしています。)

温泉はいつ発見されたのでしょうか?
かなり古く、古墳時代(今から1500年前)です。火を起こさなくても温かい湯が出て、温泉に入ると病気が直ったりしたことから、温泉は非常に神聖なものとして崇められていました。そのため、神話や伝承が数多く残っています。
最初に発見された温泉は、愛媛県の道後温泉です。 712年(奈良時代初期)の古事記に「伊予湯(いよの湯)」として最初に記録されています。
道後温泉に伝わる神話では、国造りの神・大国主命(おおくにぬしのみこと)が少彦名命(すくなひこなのかみ:医療や穀物、温泉、酒の神様)とともに伊予の国(愛媛県)を訪れた時、病にかかった少彦名命を湯に浸して蘇生させたという伝説のお話に出てきます。

日本書紀(奈良時代)でも歴代の天皇の湯浴み(心身を清める沐浴)の記述があり、そのお話からも神聖な儀式として温泉が利用されていたのがわかりますね。

道後温泉は聖徳太子も訪れているそうです。(湯釜の温泉碑:道後温泉の湧き出し口に碑があるそうです)。

温泉の発見者の伝説としては、人や動物のエピソードが残っています。
奈良時代の僧の行基、平安時代初期には弘法大師(空海)が温泉を開いたという伝説が全国各地に残っています。空海は山岳修験者として各地を巡っていたこと、そのため鉱物資源や水、鉱物資源のありかに詳しいとされています。必ずしも行基や空海が発見したわけでなく、後世に修行僧が見つけた温泉にも彼らの名前がつけられました。北 陸 で は 親 鸞 と い っ た 高僧、武将では源頼朝、武蔵坊弁慶などが発見したという伝承もあります。
動物では、傷を負った落人が白いサルやシカに導かれたという話などが残っています。今でも長野県の地獄谷温泉(火山ガスや熱湯がグツグツと煮えたぎって噴出する様子が「鬼の棲む地獄」の由来となっています。また、地熱や火山ガスなどの影響により植物が育ちにくく、岩肌むき出しの殺伐とした景観)など猿が温泉に入ってるのは有名ですね。

「白い」という動物の姿は、実際には、アルビノ(メラニンの生合成に関わる遺伝情報の欠損。目も黒くないので、毛細血管の色が透けて赤い目になる)または白化個体(メラニン色素の産生能力は正常なので瞳孔は黒いですが、体色を白くする遺伝情報を持つため、色素が減少して白くなる。ホワイトタイガーなど。)です。白い動物は神秘性を感じられますね。昔からある温泉には温泉自体が御神体となり、神社(「湯前神社」「温泉神社」)や薬師如来(病を取り除く医薬の仏)が建てられています。

温泉は平安時代からの浄土信仰により貴族たちが和歌山県の熊野詣参拝の途中で入ったという歴史記録もあるそうですが、農民にも温泉が利用されるようになり「湯治(病気や傷の治癒を目的として温泉や薬湯に浸かること。「湯」は薬湯、「治」は治療)」の習慣が生まれました。室町時代の京都相国寺の僧、瑞渓(ずいけい)が、温泉の利用の仕方として、1452年(享徳元年)に『有馬入湯記』を残しています。「一回りは少し入る、二回りは多く、三回りは少し」というように「三巡り」を基本として勧めています。
(有馬温泉では、「湯治養生表目」と呼ばれる湯治指南書が早くも掲げられていたことが、臨済宗の僧侶である瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)(1391-1473)が著した『温泉行記』(『五山文学新集』第5巻)により明らかにされています。)

つまり、「温泉には1週間単位で3回入りなさい」21日間の長期滞在が基本でした。この期間は偶然にもドイツなどの外国の温泉療法と同じ期間だそうですよ。

実際に温泉の硫黄を含む湯や酸性泉は殺菌作用があり皮膚炎に効きます。医学が発達していなかった時代には「湯治」は病気の治療法としても広がってきました。
戦国時代は「隠し湯」として傷ついた兵士の療養の場として整備されました。有名なのは武田信玄の山梨県の下部(しもべ)温泉などがあります。

庶民の間にさらに温泉が広がったのは江戸時代になります。農業の合間の時間がある時期に疲労回復や健康増進のため湯治に出かけました。江戸時代の18世紀には漢方医の香川修徳が日本で最初の温泉医学書「一本堂薬選」という温泉の利用の仕方や効能についての解説本が書かれました。
当時は温泉地には宿泊の宿と共同利用の温泉浴場(外湯)ができて、自炊をして長期滞在していたそうです。人が集まるところには経済が生まれます。そうやって温泉地に集落ができたんですね。江戸時代半ばから道路や宿場ができると、江戸時代後期には娯楽の要素も加わっていきます。人々はお伊勢参りや善光寺参り、金毘羅参りなどの寺社詣でなどで旅をしながら、宿場街に泊まり温泉に入っていたそうです。健康増進や無病息災を願う気持ちが信仰心へと繋がり温泉にも行っていたのでしょうね。
草津温泉の光泉寺には、病気を治したいという一心で熱い温(最大48度くらい)に入って亡くなった方、またハンセン病で隔離されて無念のうちに亡くった方の供養塔(明治33年建立)があるそうですよ。

団体で同時に温泉大浴場に入り宴会を楽しむという現代にも通じる風習はこの頃から作られたもののようです。

ぼうさい豆知識〜家族(高齢者)の備え〜

大災害時は、特に高齢者などが被害に遭うことがとても多いんです。以下は東日本大震災での年齢別死者数です。60歳以上の人は1万396人と約66パーセントとなっています。

1万5,821人の死者のうち1万396人が60歳以上。出典:内閣府「平成27年版高齢社会白書」

なぜ高齢者が亡くなってしまうのでしょうか。さまざまな要因が考えられますが、以下の2つの理由が考えられます。

1.災害時にすぐに避難ができない。
・身体的に元々腰や足が悪く、遠くの避難場所や避難所へ行くことができないということもありますが、避難を諦めてしまう人が多いということも過去の災害では多くありました。「津波が来ているのに住み慣れた家から離れたくない。」「自分はもう高齢だから死んでもしょうがない」など。

2.体温調節機能や喉の渇きなど感覚機能が低下し、体調を悪くしやすい。持病の悪化等があります(薬が不足することもあります)。
災害直後はせっかく助かっても、災害後避難生活で体調を悪くして亡くなる方がいました。「災害関連死」といいます。

ではどうしたらいいのでしょうか?

1.「個別避難計画」を作成。避難行動要支援者ごとに作成する、災害時の避難支援のための計画です。令和3年5月に災害対策基本法が改正され、個別避難計画を作成することが市町村の努力義務となりました。
全国各地で大規模な災害が頻繁に起こっており、多くの高齢者や障がいのあ る方が被害を受けられていることから、地域の人が高齢者の情報を把握し、個別に避難計画を作っておくことです。個人情報を地域の人が把握することにはなりますが、高齢者に声をかける、安否確認をしておくなど、普段から地域で関係作りをしておくことです。

2.体温の変化、喉の渇きなど高齢者ほど感じなくなります。感覚機能の低下ですね。なるべく体温を保つような準備(冬は毛布、夏は扇風機など)をし、暑さ寒さを調整する。喉が渇いていなくても水分を補給することです。これは普段から急激な気温差によるヒートショック(気温の変化によって血圧が上下し、心臓や血管の疾患が起こる)や夏は熱中症を防ぐことにもなります。

逃げない高齢者には、ご自身が逃げるためにとお伝えしても行動には結びつきません。実は「誰かのために(その人が悲しむから)逃げてほしい」と話しておくことも有効です。
その誰かは高齢者の大事な人(例えば孫など)を思い浮かべてもらうといいでしょう。
その他、高齢者が必要な持ち出し品などの備えについては以下のリンクも参考に御覧ください。

⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく


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