2023年3月末のふりかえり ~広島市現代美術館〈before/after〉展、ライブに行って師の教えを痛感するの巻~
いざ、広島へ
2023年3月26日、広島に到着。節約のためにこだまに乗ったので、長丁場になるかと覚悟していたけれど、姫路、岡山、福山……と止まる駅を眺めていたら、あっという間に着いた。
マツダスタジアムに向かう赤いユニフォーム姿の人たちに混じって駅を出て、路面電車に乗って比治山に向かった。
電車をおりて比治山を登って、広島市現代美術館を目指す。4年前の2019年も同じコースを歩き、美術館に着くまでに息が切れた記憶があるけれど、1日平均8000歩を1年以上続けたいまは、すいすいと足が進むことに自分でも驚く。
広島市現代美術館は2年間の休館期間を経て、今春にリニューアルオープンしたばかりであり、目下〈before/after〉展が開催されている。
「まえ」と「あと」。考えてみると興味深いテーマだ。
上に書いた「1日平均8000歩」は、病気になる「まえ」と「あと」の話でもあるし、あるいは、誰かと出会う「まえ」と「あと」の話、仕事に就く/辞める「まえ」と「あと」の話……どんな人にも思い当たる物語があるのではないだろうか。
展示作品の若林奮「ドーム」に象徴されるように、広島には原爆の「まえ」と「あと」という物語、いや物語というより事実がある。
ほかには、イラン出身でニューヨークを拠点に活動する女性アーティスト、シリン・ネシャットのインスタレーションと映像作品が目をひいた。
アメリカのニューメキシコ州を舞台として、イラン出身の女性を描いた幻想的な映像と、ネイティヴアメリカンなどの地元民の硬質な写真が交わる空間だった。
ちなみに、シリン・ネシャットが監督した映画『男のいない女たち』は、抑圧的なイラン社会から逃れる女性たちを描いていて、2009年にヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したらしい。こちらも見てみたい。
時間があればもっとゆっくり鑑賞したかったけれど、ひとまず休憩。
なんだかすごくおしゃれなカフェができていて、スープ(複雑な名前がついていたが覚えられなかった)とカンパーニュを食べた。
店員さんがすごく親切で、スープはおいしかったかとかあれこれ声をかけてきてくれて、瀬戸内の人たちは穏やかでやさしいな(大阪人のなれなれしさとはちがう)とまたも思った。
師から教わった鉄則とは?
ところで突然ですが、私には翻訳の師匠というべき存在がいて、「誤訳を防ぐために」師から教わった鉄則がある。
このあと紙屋町のサンモールに行き、写真家の三浦憲治さんの展示を見て、この日の目的地である上野学園ホールへ向かった。
このホールには2012年にも行ったので、迷うはずはない。「白島駅」でおりたらいいのだとわかっている。
そう思った私は八丁堀へ行き、路面電車の白島線に乗った。
だが、縮景園(平原直美『ヒロシマ・ボーイ』にも出てきましたね)の横を通りながら、違和感を覚えた。
この路線、乗った記憶がまったくないな……
しかし、私はすぐさま違和感を打ち消した。なんせ10年以上も前なのだから、忘れてしまったのだろう。加齢って嫌だな、と。
白島駅でおりると、その違和感は確信にちかいものに変わった。
たしか前に来たときは、すぐにホールが視界に入った記憶がある。
しかしいまは、目の前にホールらしきものはまったく見当たらない。
だが、それでも私は「ゆっくり考えなおす」ことをせず、もう少し歩いたらホールが見えるのではないかと思い、とりあえず突き進んだ。
すると、なんの変哲もない住宅街のような光景になり、ホールはまったく見えてこない。なにより、コンサート会場の近くには観客らしき人々がたむろしているのが常だが、それすらも皆目出てこない。
ここでようやくiPhoneを取り出し、Googleで地図を検索した。
そして気づいた。「白島駅」がふたつあることに。
目指すべきは、アストラム線の「白島駅」だったのだ。路面電車ではなく。自分のアホさ加減に眩暈がした。
あわてて時計を見ると、17時40分になろうとしていた。開演は18時だ。
ちがう駅といっても、大きく離れているわけではないので、ダッシュしたら間に合うかもしれない。けれども、よくわからない道をこれ以上突き進む勇気はなく、急いでタクシーを探した。だが住宅街のような地域なので、たまにタクシーが通っても、どれもこれも客を乗せている。
路面電車の駅へ戻ったら、空車のタクシーが見つかるかもしれない……
そう考えて、歩いてきた道を走って引き返していると、ちょうど客をおろしているタクシーを見つけた。逃さないよう手を振りながら駆けよって、息を切らしながら乗りこみ、「近くてすみません」と謝りながら行き先を告げた。
タクシーの運転手のお兄さんは近距離でも嫌がるそぶりはなく、
「今日、上野学園ホールでなにかあるみたいですね」と話しかけてくれたが
間に合うかどうか気もそぞろの私はろくに返事もせず(すみません)、必死に窓の外を見つめているうちに、なんとか会場に到着。17時51分。
師がいつも口にする、「違和感を覚えたら考え直す」ことの重要さを、こんなところで思い知るとは予想だにしていなかった。違和感だらけだったのに、あやふやな根拠でことごとく打ち消してしまった。
そう、「知っていると思いこむ」ことの危険さも常々教えられてきたことではないか。
と、反省しているうちにライブがはじまった。
音楽を聴いているあいだは、そんな反省もなにもかも頭のなかから消え去り…………音に身を委ねていると、自分の日々の悩みはもちろん、自分自身すらも取るに足らないちっぽけなものなのだとつくづく思い知らされる。圧倒される快感。美しい星空を見上げる感覚に近いのかもしれない。
ライブが終わると、またも急いでタクシーに乗りこむ。
運転手のおじさんが「今日は奥田でしょ?」とさくっと声をかけてくる。
奥田呼ばわり……地元だから? と思いつつ、「はい」と答えると、
「昨日は倖田來未だったよー」と教えてくれた。
そして「この辺は交通の便が悪いからねー」と言いながら、タクシーを飛ばしてくれたので、思っていたより早く広島駅に着き、こだまより数倍速い(体感)のぞみに乗って、無事に大阪に帰りました。
音楽を聴きに行くためにさすらう道中は、何度行っても楽しく(たとえ道に迷っても)、生きる気力が湧いてくるなとあらためて感じた旅でした。
(これを書いているあいだにも、残念なニュースがあったので……ライブは、音楽は、一期一会ですね。あらゆるものがそうかもしれないけど)
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