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中村あやえもん『内向型の生き方戦略』 感想文

数日前、Google検索をしていて、中村あやえもんというクリエイターのブログに出会った。

この方の存在はまったく知らないのだけど、あやえもん氏の視点で説くいろんなジャンルの話がとても面白く、何日か読んでいた。

すぐにわかったのは、あやえもん氏は当時は先駆けであろうkindle本を多数出版していたことだった。そのうちprimeで読めるものをとりあえず読んでみることにした。それが『内向型の生き方戦略』(2017年発刊)。


待てよ…この本、たぶん何年か前にもkindleで読んだことあるけど全然中身の記憶がない?

でも当時よりも断然、心に刺さった。ので今回感想を書くことにした。

詳しい内容はぜひ読んでほしいのでまとめたりはしません(ていうかできない)。



今回私が特に腑に落ちたのは、内向型はこうですよ、という話よりもむしろ「社会の大多数のタイプ(本書では社会維持型とされる)はこうなんです」という説明のほうだった。


社会を構成する大多数の人たちは、社会を維持管理することで安心するタイプ。


mbitにも外向/内向という分類はあるし、「社会の主流は外向型」と言っているのは理解していたけど、「そうは言っても内向型の居場所もあるよね?」って思っていた。


娘はISTJだが、真面目で理論的な性格は会社で重宝される、とか。

INFJ(私)は独特のスタンスで、時々外向を出したり擬態しながら流れに乗っている。

ISFPの人たちも、INTJもISTPもINFPも、それなりに社会の中で「ポジション」があって、そうやって過ごしているんだと。


社会というサークルの中に、外向の人たちと同じように、点々と。



そういう考えがまずおかしかったよね。

内向型のほとんどが、「社会」の中で我慢して、無理して、全然形のちがう服を着ている(て誰かが言っていた)。



社会(国、地域、学校、いろんな単位)で一方的に流される

・笑顔あふれる地域社会

・頑張ろう

・助け合い支え合いふれあい

・夢をもとう

・努力は実る

・君は1人じゃない



みたいなメッセージに「違和感を感じない人たち」が、社会を構成しているんだという事実。

そのメッセージを素直に受け取れる人たち。気持ちいいねって言い合える人たち。

それが社会の大多数の思いなんだということ。

大多数とくくるのは乱暴かもしれないな。

でも、とくに社会に出る前の10代には、こればっかりが押し付けられている。

「それが社会なんだよ」と。



もちろん私も子どもの頃から、これらを大事に「しなきゃ」と思っていたし、

そう考えない自分は「いけない」「変わらなきゃ」と思っていたし、(※自分が変わらなきゃと思うのも内向型の特徴らしい。外向型はまわりを変えなきゃと思うほんと?)

社会の一般ルールは大体守っているし、

家族は大事だし、

義父母のサポートはするのが当然なんだと「思うようにしてきた」し、

苦手なことも練習や勉強で獲得した資格や実績もあるし、

要するに、それなりに頑張ってきた。


はず。

なんだけど。


いつも最後には思ってしまう。まわりと比べて「自分はやっぱりダメなのかな」と。

大人として。母親として。


でも間違っていたのは、「社会で評価されることが正解!」と思っていたことだったのかな、と今思う。


あやえもん氏の本を他にもいくつか読んで、なんかいろいろ自分という家が剥げ落ちてきて、なんなら基礎部分もグラつき出したところがあって、今週はメンタルけっこうきついです。
でもそれでちょっと驚いていることがあって、それは「無意味な感情や反応を出さなくなった」。つまり反応が薄く、喜怒哀楽も薄い。
それが本当にラクで。
けどこれってどういう意味、っていうかどういう反応なのかはわからない…様子見しよう。

このシリーズの話はいろいろ長くなりそうなのでまた。




【追記】

後々わかったが、内向型はさらに3タイプあって、「高共感」「HSP」「境地開拓」に分けられる。(『高共感な人の生き方戦略』より)

それでいうと私は「高共感(共感力が高いけど身体的刺激は鈍い)」が近いようで、このタイプは孤独に弱いので社会で生きるほうがうまくいくらしい。

娘は「境地開拓(共感力は低いが刺激に敏感)」だろうか?