見出し画像

人間の意識を電子的に保存する「マインドアップロード」の可能性を探る研究が始まっている。

シェリー・ケーガン
米国・エール大学教授の発言だ
(先日の『日本経済新聞』朝刊)。

■死後も意識を保存

「マインドアップロード」をより詳しく言えば
人間の意識や記憶をデジタルデータに変換して
コンピューターやネットワークに保存しておき、
未来の技術の進化を待って
サイボーグなどとして
復活することを視野に入れた技術らしい。

ケーガン教授は、
「私」を「肉体」とする見方と、
「人格」や「魂」とする見方がそれぞれあると言い、
自分自身は「私とは脳である」と語る。

■私とは「意識」

「私」とは何かの正解は、
宗教も絡んで難しいが、
私には、正に冒頭にある「意識」が
しっくりする。
意識には当然、無意識も含まれるから、
いま思っている「私」が
そのまま遠い未来で「意識」することができる
状態は、想像できなこともない。

しかし、その「意識」がアンドロイドという
“肉体”に宿るとき、
そもそも保存されたときの
オリジナルな「私」の
意識そのものなのだろうか。
興味深いだけに、
多くの疑問が生まれる。

■永遠の生などいらない

ともかくも、この
「マインドアップロード」
が可能になると、
サーバが破壊されない限り、
アンドロイドとして永遠の生を
生きられると考えてよいのか。
そして、その意識は老いるのだろうか。
       
仏教で「生老病死」と言うが如く、
「死」は避けられない。
チャールズ・チャップリンは
「死が避けられないのと同じように、
 生も避けられない」と
「ライムライト」で語った。

アンドロイドの中で、
あるいはサーバの中で、
「意識」として
永遠の生を生きるとしたら、

他者を含む社会との関係や
自らの内に起こる思いを
想像すると、
逃れられない虚無感に
縛られそうで、
私は否定する。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?