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【2/3フィクション小説】一条麗子でございます。–第2話「改名」


北川玲子。

わたしが25歳まで下積み生活を送る店

クラブ・藤島のナンバー1ホステス。

身長が155cmほどの細身で、

真っ赤なネイルとルージュが

トレードマークだった。


あの頃わたしは、

「一条真(まこと)」

という源氏名を名乗っていた。


嘘を着くと耳が赤くなり

すぐにばれてしまう性分で、

「真実と真心の真で、まことがいい。」

と、会長・上村が

ママに提案したのが由来だった。


わたしは割と気に入っていたが、

実際は

上村が手帳に記載したり、

携帯電話の登録表示に

男性ともとれる

その名前が

都合良かったんだと、

後に、上村本人は言っていた。




ある日、

玲子の贔屓の客の一人

清原が

突然予約なしに

来店した。


清原は、大阪で

金属部品を製造する

小さな工場を経営していた。

1つ何十円何百円という

部品を作る

末端の下請け工場で、

決して銀座のクラブに通えるほど

裕福な身分ではないのだが、

時々納品のための

東京へ出張があり、

その度に決まって

551HORAIを手土産に

玲子の元を訪ねてくる

熱心な客だった。


詳しくは知らないが、

玲子がまだ20歳かそこらで

北新地で

ホステスをしていた頃からの

付き合いなのだとか。



「あらやだ!清さん

今日は予約もなくどうしたの?

いつもいらっしゃるときは

前日にお電話下さるじゃない。」


玲子が一旦清原の席に着くと、


「うん、ごめん。

さっき急に思い立ってな。

今日玲子に会わんとと思って。

いつもの551、

もう店が閉まっとって。

すまん。」

と、清原はバツが悪そうに言った。


「それはいいのよ。

思いがけずこうして

清さんに会えたんだもの。

でも今日金曜日で、

あいにく沢山ご予約があって。

ちょっとゆっくり

お席につけないかもしれなわ。」


玲子はそう言って、

申し訳なさそうに

清原の手の甲に

自分の手を重ねた。



「大丈夫や。

こうしてひと目会えたから、

もう十分や。」


心無しが、

清原の表情がいつもと違い

曇って見える。


「今日の出張は泊まりなの?

まだアフターの約束は

誰ともしてないから、

良かったらウチと

いつもの店いこか。」


「それが、だめなんや。

今日のうちに

大阪戻らんと。」


「そう…残念やわ。

ほんまに

トンボ帰りのような出張やね。」


「うん。まあ、色々あるからな。

そうだ、玲子。

あの子おるか?

あの、大阪出身の・・・

なんちゅう子やったかな〜あの子」


「ああ、まこちゃんね。」


「そうそう、まことまこと!

お前は他で忙しいやろうから、

彼女つけてくれ。」


「あら、

それもまた珍しいわね。

いつもは

『お前が来ると、

ボトルが空くから来るな』

って、

追いやるじゃない。」


「今日はむしろ、

ボトル開けてもらわないと

ダメなんや。」


「そう?まあいいけど。

ふふふっ。」


玲子は黒服を呼び、

わたしを清原へつけるよう命じたあと、

賑やかな他の客の

ボックス席へと戻って行った。


わたしは初めて、

ある意味別の形で

指名を受けたのだ。



わたしが隣に座るやいなや、

清原は

自らグラスに氷を入れ、

「お前はロックでええやろ」

と、ジュースか何かのように、

ドボドボと酒を注いだ。



「ほら、まこ。

飲め。

今日は好きなだけ飲め。

お前のミッションは、

俺とこのボトルを

1時間以内に開けることや。」


「いいんですか?

そんな乱暴な飲み方して。」


「なんでや。

新しいボトルが入れば、

店だって嬉しいやろ。」

なんだか

得意げな清原だった。


「清原さん、今日なんだか

いつもと違いますね。

もしや、明日死ぬんちゃいます?」


何かを疑うような眼差しで、

清原を上目遣いに見つめ、

わたしは冗談を言った。


同郷で、

かっこもつけず

見栄も何もない清原は、

唯一わたしが

言葉を選ばずに

話せる客だった。


「ははは、アホか。

空の天気が毎日違うように、

人の様子だって

毎日違うもんや。

まあ飲め。

俺は今夜時間がないんや。

21時にはここを出て

新幹線乗らんと。」


その日の清原は

終始ご機嫌で、

わたしは言われた通り

清原のロイヤルを空けた。


清原は黒服に

「この店で

一番高いウイスキーもってこい。

あと、なんか書くもん、ペンも。」

と言った。


「清原さん、

これまでロイヤル以外

注文したことなんて

ないじゃない。」

と、驚くわたしをよそに、

清原は

テーブルに山崎が運ばれて来ると、

頼んだボールペンを手にとり、

自分の名が書かれたネームタグの裏側に、

“れいこ時々まこ”

と書き足した。

そして

「これでお前も、

少しはカッコついたか?」

とわたしに笑って見せた。


そんなことを

わたしにしてくれた客は、

清原が初めてだった。


嬉しいのだけれど、

本当はソファーの上に立ちあがって

トランポリンを跳ねるみたいに

ポンポン飛び跳ねて

喜びたい気持ちがあるのだけれど、

「玲子ねえさんに叱られちゃう。」

と言って、

わたしは照れ隠しをした。

 

清原は、

「ほな、怒られろ。

怒られて怒られて、

一人前のホステスになれ。

玲子がそうだったように。

お前も玲子みたいになれ。」

と言って、

チェックの合図を出した。


「はい。」

とだけ、わたしは返事した。


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その日

ナンバー1の売れっ子ホステスは、

あっちの席こっちの席と

ひっぱりだこで、

こちらの席まで戻ってこられないまま、

清原は退店した。


わたしは外まで見送り、

清原の乗ったタクシーが

見えなくなるまで手を振った。



あとで玲子からは、

いつになく

手厚い礼を言われた。


ロイヤルが

山崎になっていたわけだから、

玲子としても、

驚きながらも

わたしの接客が良かったからだと、

その売上のいくらかを

分配してくれた。




それから1週間ほどして、

清原は死んだ。


自殺だった。



元々

自動車の国内生産が

どんどん下火になり

仕事が減っていた。


大部分の仕事を受けていた

発注元のある会社が、

台湾に新たに自社工場を作り

取引を打ち切られ、

それがトドメになったようだ。



玲子はひどく塞ぎ込み、

1週間ほど店を休んだあと、

すべてを捨てて

銀座を去った。



ママと店長に辞める話をして、

店を後にする玲子ねえさんに、

わたしは思い切って声をかけた。


「玲子ねえさん。

清原さんのボトル

持っていかれますか?」


わたしの元に歩み寄り

玲子は

「まこちゃんに、それ、あげるわ。」

と無表情に言った。


わたしは玲子ねえさんが

怒っているのかと思って、


「ごめんなさい。

あの時、

清原さんが来られた最後の日。


わたし、 

何か変だって感じたのに、

清原さんのこと

清原さんがしようとしてたこと、

引き止められなくて。

本当に、ごめんなさい。」

と言った。

謝りながら、

そんなつもりはなかったが

涙が溢れた。


泣きたいのは

玲子の方だろうに、

無神経にも

玲子の前で、

泣いてしまった。



「誰のせいでもない。

あの人が

弱かったのよ。

人には散々、

負けるな、とか、

アホ、とか、

根性なし、とか

言ってたくせに。

自分は何よ。

死ぬなんて

楽な道選ぶんやから、

ただの弱虫よ。

見損なったわ。」


本心ではないのはわかっている。

でも玲子の表情は変わらない。


「あの人ね。

わたしを新地から銀座に

送り出してくれた人なんよ。


まだヘルプばっかりで

全然使いものにならなかった頃、

酔っ払って清さんに

行けるとこまで行ってみたいー!

って、

やけくそみたいに言ったら、

『じゃあ銀座のナンバー1やな』

って。

新地でもナンバー1になれん女が

どの面下げて

銀座なんかに行けるのよ!

って、笑ったの。


そしたら清さん、

『俺がさしてやる』

って。


実際そうしちゃったんだから、

それがあの人の

すごいとこなのよね。」


玲子は、

悲しい目をしていた。


そんな過去があったなんて、

少しも知らなかった。


可愛さと美しさを兼ね揃えて

玲子はずっと、

いつでもどこでも

ナンバー1だったと

信じて疑わなかった。


「そんなことが…

清原さん

玲子ねえさん命、

でしたもんね。」


玲子が下を向いて、

一瞬

泣き出すのかと思った。


けれど玲子はまた顔を上げ

毅然とした様子で、

「多分、わたしが

清さん命だったんだと思うの。」

と、言った。


玲子のこの言葉が、

わたしの胸のど真ん中に

突き刺さって痛かった。



「それからまこちゃん。

わたしの名前も、あげる。

真なんて、男の子みたいだから、

もうやめなさい。

会長にも、

わたしが引退するときはそうするって

言ってあるから、問題ないわ。

今日からあなたが

この店の“レイコ”…ね。」


突然の申し出に困惑したわたしは、

「そんな生意気なことできません。

困ります!

わたしにその名前は

荷が重すぎます。」

と、両手をバツにしながら

ぶるぶる振って、

わ全力で遠慮した。


「バカね。

名前が何か

してくれるんじゃないのよ。」

と、玲子は笑って、続けた。


「でも、字は

玲子じゃなくて

“麗子”がいいわ。

決まり。

今日から一条麗子を名乗りなさい。

字が異うなら、

まだ気が楽でしょ。

ね、そうして。」


「でも・・・」


玲子がわたしの両腕を、

細い指で力強く掴んだので、

それ以上返す言葉がなかった。


玲子は微笑みながら、

でも強い眼差しでわたしを見て

1度だけコクリとうなづき

店から出ていった。


それはあの日

清原を見送った時の、

あの日の背中に似ていた。




翌日、ママから

“一条麗子”

と書かれた

新しい名刺を渡され、

名に恥じぬホステスになりなさい

と言われた。



本来許されることではないが、

玲子は自分の客に

店を辞めることを告げぬまま

いなくなった。


しばらくの間は、

何も知らない客たちが

玲子を目的に店へやってきては

「レイコを」

と指名し、

そこでわたし、麗子が登場し、

玲子が辞めたことを伝える、

という、

つらい役目をこなす日々が続いた。


ほとんどの客がショックを受け

「なぜ何も言ってくれなかったんだ」

と怒り出す人もいれば、

言葉を失い

しばらく呆然として、

現実を受け止められない人もいた。



ただ不思議なことに、

大阪訛りがところどころ残る

わたしの話し方のせいか


「君と話していると、

玲子がいる気がするよ」


と、玲子の客が

そのままわたしの客になった。



玲子ねえさんは、

こうなることを

全部

分かっていたのだろうか…

今はもう

知る術はない。



指名のとれない

ヘルプだけだったわたしが、

その“レイコ”の名前に

別人のように化かされ、

そして

玲子の、

銀座のナンバー1のというものの、

その力を

思い知ったこの出来事は、

今のわたしを作り上げた

確かなきっかけであることは

紛れもない事実なのだ。



To be continued…


※一条麗子および彼女に纏わるこの物語は、2/3フィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとはほぼほぼ関係ありません。





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