ジョナサンと呼ばれたわたし
そう言えば、高校生のころに
夏休みの宿題で書いた読書感想文が、
全国コンクールへ出すために校内で選ばれたことがある。
読んだのは「カモメのジョナサン」
なぜそれを選んだのかは、
ちっとも覚えていないのだが。
おそらく母に勧められたのだろう。
母は若い頃、神田の出版社でタイピストをしていて、小学生のわたしに、
サガンやブラームスやジェーンエアを読みなさいと、自分の本をくれるような人。
父は、論文の編集者だったので、
そんな父の勧める本は小難しくてちっとも食指が動かなく…
それを考えると、母の推しだったに違いない。
さて、今となっては、
何を書いたのかもほぼ覚えていないのだが。
全校生徒1,000人を超える前で、読まなくちゃいけなくて、先生に嫌だと訴えたけど、あっさり却下されたこと、その後しばらく同級生に「ジョナサン」と呼ばれたことは覚えている。
わたしの他にもう一人選ばれていて、
その子がえらく哲学的な難しい話を書いていたので、それに比べわたしの文章がひどく叙情的で、私的だったことは覚えている。
ひたすらジョナサンがどう飛んだのかについてと
ジョナサンはどうして飛び続けたのかを
書いたような気がする。
だって、読書感想文なんだもの。ジョナサンのあだ名には辟易したけれど。
読んで感じたことを書けばいいのじゃない??
などと開き直っていた。
カモメのジョナサンの一節に、
一羽の鳥にむかって、自己は自由で、練習にほんのわずかの時間を費やしさえすれば自分の力でそれを実施できるんだということを納得させることが、この世で一番むずかしいなんて。こんなことがどうしてそんなに困難なのだろうか?
出典新潮文庫版P.135
とある。
教えるとは、学ぶとは、
そんなことを、ふと思う。
さて、学ぶと言えば。
技芸の伝承に際しては、「師を見るな、師が見ているものを見よ」
ということが言われます。
弟子が「師を見ている」限り、弟子の視座は「いまの自分」の位置を動きません。
「いまの自分」を基準点にして、師の技芸を解釈し、模倣することに甘んじるならば、技芸は代が下るにつれて劣化し、変形する他ないでしょう。
(現に多くの伝統技芸はそうやって堕落してゆきました。)
(内田樹『寝ながら学べる構造主義』より)
わたしも、コーチやPoints of You®トレーナーとして活動しはじめた頃、
恩師と同じようにやろうとして、できなくて、落ち込んだことがあった。
師を見て、己を見ていなかったのだろう。
仕事での人間関係も同じかもしれない。
上司を見て仕事をしていると、そのうちにいかに上司の機嫌を損ねないか、怒られないようにうまくやるか、に焦点を合わせるようになり、いずれその組織は腐敗する。
そうではなく、上司や会社がこの仕事で実現しようとしていることはなんだろう、いま何を見ているのだろう、そこに焦点を合わせていくと、その実現に向かって、自分のやれることやりたいこと、何を大切にしているのか、自分の意見や意思を示していくことができる。
内田氏の言葉はこう続きます。
それを防ぐ為には、師その人や師の技芸ではなく、
「師の視線」、「師の欲望」、「師の感動」に照準しなければなりません。
師がその制作や技芸を通じて「実現しようとしていた当のもの」をただしく射程にとらえていれば、そして、自分の弟子にもその心象を受け渡せたなら、
「いまの自分」から見てどれほど異他的なものであろうと、
「原初の経験」はけがされることなく時代を生き抜くはずです。
さて、カモメのジョナサン。
今から4年ほど前に、第4章が追加された。
いまのわたしが読書感想文を書いたら
どうなるだろう。
おそらく、きっと高校生のころと同じように、
ジョナサンがどう飛んだのかについてと、
ジョナサンはどうして飛び続けたのかを、
ひたすら、書くような気がする。
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