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芥川賞受賞『推し、燃ゆ』〜推すことは、生きること〜

第164回芥川賞受賞作品。宇佐美りんさん著。
1999年生まれの現役女子大生が描くリアルな世界。

作品内のSNSの絡め方がとても自然。朝井リョウさんの作品でもSNSの存在は欠かせないが、本作品では変に強調することもなく、至って当たり前のツールとして物語に溶け込んでいる。本当のデジタルネイティブ世代だな、と思う(私は朝井リョウさんとは同世代)。

あらすじ

男性アイドルの上野真幸に全てを注ぐ女子高生あかり。ファンを殴ったというネットニュースをきっかけに推しは炎上。あかり自身はさらに推しにのめり込んでいく。進級、恋愛、就職、家族、全ての現実をそぎ落とし、「推す=生きる」と決めたあかりは、、、

※ネタバレ含みます。

主人公あかりの人間関係

◆あかり◆
女子高生。男性アイドルを熱烈に推している。
不器用で融通がきかない。何らかの病気を患っている(精神的なもの)。

◆成美◆
あかりの唯一のリアルな友人。ただし、リアルとデジタルのギャップがなく、現実世界の中でアイドルを推しているという点で、あかりと対比的。

◆あかりの家族◆
姉:常に家族の空気を読んであかりにも優しく接する。たまに感情的になる(個人的には一番お姉さんに共感出来た)。
母:神経質。短気で融通がきかない。
父:単身赴任中。寛大なようで無神経。あかりに無関心な印象。
両親は全くあかりに向き合えていない。あかりが現実から目を逸らすのも、この両親が一因かと。

◆アイドル推し仲間たち(デジタルのみ)◆
ネット上では、あかりのことを「ガチ勢」として評価。ただし、お洒落なリアルな生活が垣間見える等、あかりとはまた違うジャンル。

推しとはどんな存在か?

あかりは、推しを通して痛みを感じる。推すことで自分の存在意義を見出している。ただし、現実世界で付き合いたい等、リアルな関係は求めていない。
推しが子役時代演じていたのは「ピーターパン」。「永遠の子ども」いう現実逃避モデルを暗に表現してるのでは、と感じた。

あかりは、推しを「背骨」と表現している。他のもの(友人、恋愛、就職等)をどんどん削ぎ落として痩せ細っていく。推しの全てを解釈したいと思う。

推しの崩壊

グループの解散発表、ラストライブまではあかりは推すことに集中することで、生きている実感を持っていた。ライブが終わった瞬間に、背骨まで奪われるような感覚に陥る。

そして、推しのマンションで女性(これが本当に彼女や婚約者かは不明)を目の当たりにすることで、全てを解釈することは不可能だと悟る。推しがアイドルから人になったと実感することで、気力がなくなり、這いつくばることしか出来ない。

燃ゆ、とは?

序盤は「炎上」という意味合いで使われていた言葉。祖母の火葬とも重ね合わせ、最終的には「推しという存在が消えて無くなる」という意味合いで使われていると感じた。

感想

アイドルの追っかけという一見明るいテーマにみえて、主人公の救いようのなさが際立つ。好きな芸能人が引退して虚無感に襲われる気持ちは理解できる。そして、あらゆる選択肢やコミュニティが溢れる現実世界で、簡素に生きるのが幸せという気持ちも分からなくもない(逆に簡素に生きれない人が多い気がする)。

ただ、あまりに生活への気力、他人に対する思いやりが無さすぎて、作品にも出てきた「自業自得」感は否めない。両親はともかく、姉やバイト先の人は少しは向き合ってくれてるように思う。
あかりが這いつくばりながらも「綿棒」以外も拾えるようになるといいなぁ。

#推し燃ゆ
#推薦図書
#芥川賞

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